ひだまりの唄 43
三月三日
白銀が消える。その代わり、緑が顔を出す。
二月から三月へ。その一ヶ月と言う歳月は、景色を一変させる曙が、それを浮かばせる。
それに滲ませた光景は、自然の新たな門出すら感じさせるのだ。
あれからと言うもの、練習にも精を出しながら、俺とYはねむちゃんに手を合わせて、俺の家で家庭教師をしてくれた。
三学期末のテスト。ねむちゃんが丁寧に教えてくれた分、分からなかった問いもスラスラと手を動かせた。結果は…聞かないでくれ。赤点は免れたとだけ、言っておこう。
テストの返却が終わると、終業式。
だが、その終業式に、俺達三人と葵ちゃんの姿は無い。
なぜなら、葵ちゃんが横浜へと帰るからだ。
そんな春休みも前日と迫った今日、俺とYとねむちゃんは、ウタナナタウで荷作りの手伝いをしている。
『葵ちゃん、コレ…ここでいいかな?』
『あ、うん!そこでいいよ!ねむちゃん!』
『うんしょ!…と。よくこんなに一人で持ってこれたよなぁ…』と、Yが言う。
『だって、本当は帰るつもりなんて無かったんだもん。あ!マリー!それ、コッチ!』
『ん~…!ねぇ…!ギターとか、ベースとか…こんなにいる…?!』と、俺はギターケースに入っているそれをそれぞれ三本ずつ背負いながら、葵ちゃんのお父さんの車へと運ぶ。
『それぞれ種類違うから、要るもん』と、頑として意見を譲らないのが、葵ちゃんらしい。
『さて…と、最後に…コレ』
そう言って葵ちゃんは、店内の隅に置かれている一本のアコースティックギターを持ち上げて、俺の前へと歩み寄る。
それは、紛れもないウタナのじいさんの形見だ。そしてそれをスッと俺に差し出した。
『…え?』と、俺はギターと葵ちゃん、交互に目配せをしながら、疑い眼を向けると、葵ちゃんが『はい!』と、それを引き下げようとしない。
『…いや、受け取れないよ』
『いいから、持っててよ』
更にグイッと押し出したそのギター。
ボディーはとても艶やかで、弦の一本一本に傷の一つも付いていない。
それを見て、俺は尚更『いや!貰えないって…!そんな大事な物…』と、かぶりを振ると、『嫌だよ。誰もあげるなんて言ってない!』と、葵ちゃんもかぶりを振りながらそう言った。
それが可笑しく、『へ?』と、思わず聞き返してしまった。
『…預かってて欲しいだけ』
『俺に?』
『そう』と、葵ちゃんは頷いた。
『…また皆で会うその時迄、預かってて欲しいだけだよ。おじいちゃんのお店は私が引き継ぐから、おじいちゃんの音楽は、マリーが預かってて。…おじいちゃんの音楽に対する気持ちは、コッチに暫く置いておきたいんだよ。だから、お願い…』
その時、葵ちゃんとじいさんと俺、三人でセッションをした事を思い出してしまって、その葵ちゃんの言葉に、かぶりを振る事が出来なかった。
『…うん、分かったよ』
『ありがとう。助かるよ…。でも、必ず返しに来てよね!あげた訳じゃないんだから』
『分かってる…』
俺は一つ頷いて、葵ちゃんから渡されたギターを受け取った。
『…ありがとう、マリー…。よし!これで、完璧!…かな?』
葵ちゃんがそう言うと、葵ちゃんのお父さんが車の前で、大きく声をあげた。
『おーい!葵!準備は整ったか?!店の鍵、閉めるぞー!』
『うーん!だいじょーぶー!』
葵ちゃんがそう言うと、葵ちゃんのお父さんはお店の扉の鍵を、パチリと閉めて、俺達三人の前に歩み寄った。
『手伝ってくれてありがとう。助かったよ』
『こんなの朝飯前ですってぇ~!』と、Yはなんとも調子がいい。
『また向こうに行ったら連絡するね!』と、葵ちゃんはねむちゃんと握手をすると、ねむちゃんは『あ、う…うん!』と、少し驚いていた。
『ねむちゃん、ドラム、頑張ってね!』と、その握手した手をがっしりと掴んで、そう言った。
『…うん、ありがとう』
『…そして、マリー』
『…え?』
『マリーには沢山お世話になったね。ありがとう…』
『え?俺、何かしたっけ?』
『お店手伝ってくれたり、おじいちゃんの葬儀の手伝いもしてくれたし、至れり尽くせりで、お返し何も出来なかったけど…』
俺は更に首を振って、『え?…いや、何言ってるんだよ!そんなの、良いよ』と、首を振った。
『いや、私からもお礼を言わせて貰おう。本当に、ありがとう』と、葵ちゃんのお父さんが頭を下げた。
『…うん。…ってか、二人とも、ちゃんと仲良くやってね?』
『勿論!』と、二人で声を揃えると、二人は見合って、笑みを溢しあった。
それを見て、少し、安心した。
『それじゃあ…行こうか、葵』
それに葵ちゃんは一つ頷いて、乗車をした。
車のエンジンが吹き出す。その時、車から身を乗り出して、俺達に手を振りながら、言った。
『…皆!本当にありがとう!元気でね!』
そう言われて、俺達も手を振りながら、葵ちゃんを追いかける。
『元気でね!葵ちゃん!』と、ねむちゃんが言う。
『向こう行っても頑張れよ!』と、Yが叫ぶ。
『ギター、大切に預かってるから!必ず、返しに行くからね!』
その俺の言葉は、追いかけながらも遠ざかるその車まで、聞こえたのだろうか。
そのまま、車は小さくなって、遂には消えてしまった。
『行っちゃったな…』とYが言うと、ねむちゃんは『…うん』と、一つ頷いた。
じいさんも見ているだろうか。葵ちゃんは、また新たな一歩を踏み出す為に、ここを発つ。
そう、それも、 じいさんみたいな店を、また一から築く為に。
そう思って、俺は片手に持っているギターを強く握りしめた。
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