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ひだまりの唄 5
五月二十一日
それから二週間が経った。学校に着いた俺は、自分の机の上に鞄を置き、窓を眺めた。
枝葉が小さく茶色が目立っていたその窓の向こうは、今日は青々としていて、風に乗って左右に踊っている。
一日経ったのにも関わらず、まだ高揚が沈まっていないのに、この時やっと気が付いた。
『マリー!ギター置きに行こうぜ!』と、Yは俺の肩を一つ叩いて手招きした。
俺はそれに頷いて教室を出ていった。
『たまにはマリア先輩いない時に練習して驚かせてやらないとなぁ~♪』
『…そうだね。俺も弦変えたし、絶好調!』
Yは驚いたように俺を見た。
『あれ?お金無かったんじゃなかったの?』
『いや、あの後、ウタナのじいさんの所に行ったんだけど、その孫娘さんがギター少しやってるからって、俺に五弦をくれたんだ』
『えー!良いなぁ。またエスカロップ食べたの?』
『…お金無かったから食べれなかった…』
『そうだよなぁ。でも、葵ちゃん…だっけ?』
『そう、葵ちゃん。その葵ちゃん、実は前にぶつかった彼女だったんだよ』
『え?!俺が、謝れ!…って怒っちゃった人?』
『そうそう!』
『えー…。マズったなぁ…。まさかウタナのじいさんの孫娘さんだとは知らずにあんな事言っちゃったよ…。もしまた会ったら謝っといて?』
『いや、今度Yにも紹介したいから『ウタナナタウ』に行こうぜ!その時、自分で謝ればいいよ!』
『え?!俺はいいよぉ~』
『いいから!…そして、俺、あそこでバイトする事になったし』
『え?なんで?』
『ウタナのじいさん、体調良くないみたいで…。昨日も倒れちゃったんだ…』
『え、マジか…』
『…だから、こんな時じゃないと力になれないと思ってさ。バイトする事に決めたんだよ』
音楽室へとたどり着き、それを開けた。
『でも、部活はどうすんだよ』
『どういう体制で働くかわからないから、なんとも言えない…』
『まぁ、マリーの本分はどっちかって事だよな』
少し厳重な口調でYがそう言うと、俺も少しムキになりながら言った。
『当たり前、部活だよ。折角今上り調で来てるのにここで失速はさせたくない。それは分かってるよ。でも、部活終わった後も、ウタナのじいさんに手伝える事があれば手伝いたいし、微力ながらやれる事って沢山あると思うんだ』
俺がそう言うと、Yが微笑んだ。
『それを聞いて安心した…。ったく、どこまでいいヤツなんだよ。マリーは…』
『…でも、マリア先輩の生徒会のお誘いは断るしかないなぁ…』
『それは…俺も安心した。マリーが入ったら俺も入らなきゃいけないから…』
俺もYも、ギターケースからギターを取り出して椅子に腰を掛けた。
『それじゃあ、朝の号令鳴る前に、やりますか』
『新譜の練習…。行きますか。所で、なんで英語?』
『ほっとけよ』
そう言って二人、マリア先輩にも負けずにひたすら新譜の練習をした。
集中しすぎてしまったのか、いつの間にか始業のベルが鳴り、『やばっ!急げ急げ』とYと俺はギターをギターケースに仕舞い、いつもの置場所である、音楽準備室にギターを置いた。
ダッシュで教室へと向かう。教室の扉を開けると、まだ先生は来ていない。
俺とYは『…セーフ』と、顔を見合わせながら胸を撫で下ろした。
俺とYはそれぞれの席へと着席する。それと同時に先生が教室へと入って来た。
本当に寸分の差で遅刻扱いをされる所だった。
『起立』と学級委員長が号令を掛け、俺達生徒は先生に朝の挨拶をした。
『着席』の号令で席に座ると、先生が徐にチョークを手にとって黒板に担々と書いていく。
書き終えると、チョークを置いて教壇に手を付きながら皆に呼び掛けた。
その黒板には、『学校祭 合唱の演し物』と書かれていて、二年生の合唱をする候補が何個か書かれている。
『はい!注目!今年も学校祭の合唱、この中から何を歌うのか、決めていきたいと思います!はぁい!話しない!』
先生が両の手を打ちながらそう言った。
『合唱か…』と、本当に嫌な訳ではないが、乗り気になるのに多少時間が掛かってしまう。
歌は少し苦手で、音楽は『弾く』以外、あまり携わっていなかった。
練習しだしたら、『こっちのもの』と、思えるのだが、そんな気持ちになるまで、やはり時間を費やしてしまう。
そんな俺は、『歌うのならなんでもいい』と、いつも合唱で歌う物は、マジョリティに乗っかっている。
そんな積極性を持たないまま『早く決まらないかなぁ』と、ただただ時間が過ぎるのを待っていた。
すると、俺の席の隣、即ち、ねむちゃんが細くて綺麗なラインを描きながら、手を伸び伸びと挙げて、『はい!』と言った。
『はい!ねむちゃん!』
『私はこの中でしたら、『COSMOS』を歌ってみたいです!』
『『COSMOS』かぁ~!いいねぇ。先生もこれ、推したかったのよ。因みにねむちゃん、これ知ってる?』
『前の学校で…。何度か』
『そっかぁ!それなら大丈夫だね!先生、やるからには、最優秀賞を獲ってやりたいの!だから、もし他のクラスと歌う物が被ったら、先生、もぎ取ってやるんだからね!』
教壇の隣で、拳を二つ握りしめて、腕を曲げながら仁王立ちしているその後ろから、猛々しい程の炎が見える。
先生は俄然やる気をだしたのか、『他に!他にはいないの?』と、聞くと、『ハイ!』と、Yも手を上げた。
『はい!横室くん!』
『俺も、『COSMOS』が良いと思います!』
『横室くんも知ってるんだ!いいねぇ~!』
『…いえ、僕は霧海さんが良いなら、いい曲に決まっている。…と言う理由からです!』
そこで、クラス全体に笑いの渦が起こった。
『あはは。横室くんらしいわね。嫌いじゃないわよ。他には?』
いつもなら、Yの発言で爆笑が起こるのは、日常茶飯事で、その位、Yはクラスではムードメーカーの役割を、本人は知らずにも担っていたりする。
だから、それはいつもの事で、俺も毎年、合唱の題目が決まるまでアクション等起こさないでいるのだが。俺も何故か、この時は手を上げてしまった。
『お!日野くん!』
『僕も…右に同じく、『COSMOS』で…。お願いします』
『お!いいわねぇ~。なんで?』
なんで?って、言われたらやはり困る。
いつもこれを聞かれるのが嫌で、発言などしてこなかったのかもしれない。
だが、俺もちょっと、ウケを狙って見ようかな。と、大いなる賭けに出た。
『横室くんが良いと言うなら、良いに決まっているじゃないですか』
『……』
『……』
ヤバイ、かえって白けさせて仕舞った。俺の背筋に冷たい汗がジワジワと出てくる。
『…なーんちゃって』と、手を頭にやっても時は遅し、と言う感じだ。
内心、『やっちまった…』と、思ったその時だった。
山木が『それじゃあ、俺も『COSMOS』で』と言うと、それに続き手を上げると、他の皆も『俺も!私も!』と、続々と手が上がる。
どうやら皆、俺の発言が冗談じゃなく、本気に捉えて仕舞ったのかと。その時思った。そう思うと少し笑ってしまった。
すると、隣の席に座ってるねむちゃんも、俺に微笑みながら、言ってくれた。
『ありがとう』と、ハッキリとは聞こえなかったが、そう言っているのは確かだった。
俺はそれに一つ頷いて、着席をした。
『満場一致なんて珍しいわね。わかった!わかった!二年E組は『COSMOS』で決まりました!先生、もぎ取ってくるから待っててね!昼休みに本格的に決まります!そして五時間目、決まった題目を練習しましょう!それまで待っててね!それじゃあ、解散!』
クラスで一体感が生れたような気がして、この時は少し、嬉しかった。
昼休み、Yと山木が此方へ来て、『マリー!購買行こうぜぇ~!』と誘ってくれた。
俺はそれに着いていく事にした。
『いやー、マリー。朝はお前の一言で皆が動き出したよな!あれ、ビックリしたよ』
『俺は少しヒヤッとしたよ』と、俺は頭を掻いた。
『確かに!あそこで俺が手を上げなかったら、白けてたぞ!』
『山木!それは言うな!俺も冷や汗で背中がビショビショだったんだから!』
『あ!そうだったの?!マリーも俺と同じ事言うんだもん!二番煎じはお笑いではご法度だろう!』
『うるせ!いい結果で終われたからいいだろ!』
そんな会話をしながら購買へと辿り着くと、誰かにぶつかってしまったように感じた。
『あー。ごめん』と、言うと、どこかで見たことのある人が立っていた。
『あ!麻利央くん!』
制服を着ているせいか、その時は一瞬考えてしまったが、ふと、思い出した。
『あれ?歩弓ちゃん?』
『あー!覚えててくれたんだ!』
すると、Yと山木が二人で頷いて、『それじゃあ、先に教室行ってるな!』と、購買のレジへと向かっていった。
『あ、ちょっ…』と、二人を引き止めようとしたが、歩弓ちゃんが間髪を入れずに話を続けた。
『昨日は急に話掛けてごめんね?』
『あ、いや、いいんだよ』
『それで…。決めてくれた?』
『え?』
『ほら、バイトの件だよ』
俺は後ろ髪を引かれるような、少し後ろめたい気持ちにはなったが、正直に言うことにした。
『いや、実はさ。昔からお世話になっている喫茶店があって、そこのおじいちゃんが体調が悪いんだ…。その手伝いをしたいから…ごめん。歩弓ちゃんの所では働けないんだ。本当にごめんね』
『あ…そっか…。でも、仕様がないよ!そう言う事情なら…。うん、大丈夫!私も急に誘っちゃったもん』
『でも、なんで俺を誘ってくれたの?』
『カッコ良かった…から』
『え?』と、俺は耳を疑った。
『麻利央くん、スマートフォン持ってる?』
俺はスマートフォンを胸ポケットから取り出して『持ってるよ?』と、言った。
『それなら、アドレス交換しよう!暇がある時でいいから、連絡待ってるね!』
『え…え?』
『これ、私のアドレスだよ。メール、待ってるから!それじゃあね!』
俺はその時、何がなんだか分からなかった。
こんな事になるなんて想像もしていなかったし、確かに歩弓ちゃんが言った言葉を、もう一度聞きたくなった。
聞こえてはいなかったが、誉められたと言うことは間違いない。
女の子に誉められ慣れていない俺は、胸の動機を押さえようと、右手を胸に押し当てて、教室へと戻ることにした。
束の間の昼休みが終わり、四時間目の終業のベルが鳴った。
俺は机に身体を預けるように、だらっと身体を伸ばした。
はぁ、疲れた。やはり机上学習がぶっ通しであると頭から湯気が出てきて仕舞うほどだ。
せめて音楽や体育や美術など、少し教室から出た学習さえあれば、少し楽なのだが。
そう思っていたら、急に肩を何かで叩かれた。
小さくトントンと触られたからか、俺はそれを気のせいだと思い込んでいた。
すると、またもトントンと小さく叩かれた。
どうせYか山木だろ。そう思って無愛想にも『何?』と、面を上げた。
『もう少しで、五時間目…だね』
そこには机から身を乗りだしながらも、俺の肩を叩きながら此方を見て話掛けてくれた、ねむちゃんだった。
『う…ん?』と、俺は一瞬では状況を把握出来ないで、少し戸惑ったが、状況が状況な為に直ぐに身体を起こした。
『あ、そ、そうだね!』
『先生、『絶対もぎ取る!』って言ってたよね。どうだったのかな?』
咄嗟な事に俺は慌ただしくも、寝癖が付いていないか、目やにが付いていないか、歯に焼そばの青海苔が付いていないか、急に心配になった。
あ、でも青海苔はずっと前の夜ご飯だから、大丈夫か。
そう思いながら、『も、もぎ取ってくれてるよ!だってウチの担任だよ?大丈夫だよ!』
俺は少し焦りながらもそう言った。
でも、ねむちゃんは俺とは逆に、落ち着きのある表情で言った。
『日野くんも私の歌いたい曲に手を上げてくれて、正直嬉しかった。その…。ありがとう』
落ち着きのある表情でも、少し俯いたようにそう言ってくれた。
『こちらこそだよ!それに、Yも俺も山木も、皆、同じ気持ちだよ!』
『…Yって?』
『ああ!岸弥の事だよ!岸弥もねむちゃんの歌う曲を歌いたいって、皆思ったから賛同したんだよ。絶対!』
ねむちゃんにそう言うと、にこりと笑い『日野くん、優しいね』と、ねむちゃんこそ、優しい笑顔で俺にそう言った。
俺はその表情にくらってしまい、それを忘れる事が出来ないだろう。
すると、先生が小さなラジカセとプリントを持って教室に入っては、『皆ー!もぎ取って来ましたよ!』と、早速も俺達に報告を下ろした。
それを聞いてねむちゃんが小さく俺にガッツポーズをしてくれた。
俺もそれに応えるように、小さくガッツポーズをした。
『それじゃあ、皆。プリントを先ず配ります』
プリントには『COSMOS』と題目が打ってある譜面とその下に歌詞が振ってある。
これからが勝負になるなと、その時思った。
先生はいそいそと小さなラジカセをセッティングして、『それじゃあ、先ずは曲を聞いて流れを把握して頂きます』と、再生ボタンを押した。
合唱といっても、これは難しい。ソプラノとアルト、そしてテナーと、混声合唱で三部ではあるものの、音程を確りと持っていないと、綺麗な物に仕上げるのは難しい。
女子でソプラノとアルト、男子はテナーと言った所か。
先ずはその区別をする所から始まった。
それぞれ歌いたいパートに分かれた所で、先ずは実際流してみながら歌う練習をした。
すると、隣のねむちゃんはソプラノのパートを歌っているのだが、かなり美声でビブラートを効かせながら綺麗に伸ばしている。
俺はついついそれに聞き惚れてしまい、自分が歌うのを忘れてしまう程だった。
すると、いきなり先生が『こら』と、注意を施した。
どうしたのかと辺りを見渡すと、先生がYの前に立っていた。
『リズムを取ってただけですよー』と、Yは弁明していた。
『そんな激しく身体を揺らせていたら気が散っちゃうじゃない。…あ、そうだ』
そう言って先生はYの手を引きながら教卓の前へとYを連れ出した。
するとYが『罰が過ぎますよ~』と、先生に猫なで声を発しながら言った。
『罰じゃないです。これから横室くんのリズムで皆歌ってみて』
『えー!恥ずかし!』
『いいから、さっきのリズムをお願いするわね』
そう言ってまた再生ボタンを押した。
成る程、Yは軽音楽部でもベースを担当しているからか、Yのリズムだと、テンポが確り取れる。
クラスの皆もYのリズムと合間って、一体感が生れたようなそんな合唱になっていた。
『やっぱり』
『何が…やっぱりなんですか?』
『指揮者は横室くんにしようと思います。反対な方はいますか?』
『えー!俺の許可取ってないじゃないですか!』
『僕は賛成でーす』と、山木が言った。
すると、クラスの皆も『賛成でーす!』と、声を上げた。
『皆ぁ!恨むからなぁー!』と、Yが言うとまたも笑いの渦がクラス中に起こった。
それにねむちゃんもクスクスと笑っていた。
それを見て、俺もねむちゃんに『Y、面白いだろ?部活でもいつもあぁなんだよ』と言うと、『いつも日野くんと横室くん、楽しそうにしてるもんね』と言った。
俺はそれに嫌な気持ちは無かった。むしろ、嬉しくもあり、それが誇らしかった。
『そう、凄く楽しく音楽をやれてる。それが出来るのがYのお陰な感じがするんだ。ウチの部活、本当に楽しいよ』
そう言うと、ねむちゃんが『そっかぁ…。いいね!』と、あどけない笑顔を見せていた。
俺はそれにふと、笑顔を浮かべた。
でも、本当にその意味を分かったのはその日の放課後だった
放課後、俺達軽音楽部は音楽室にいた。
『あーん!またずれたぁー!』
『『またお前かぁ!』』
俺とYは、お互いが音楽に対して得意気になってる高い鼻に、指を突きつけあった。
『俺のせいかよ!』
『だったら誰のせいだよ!』
『こらこら!歪み合ったって上達しないぞ!もう、学園祭まであと一ヶ月しかないのに…』
すると、コンコンと、大きな部室のドアに小さな音が鳴り響いたと同時に、俺もYも思わず黙ってしまった。
ガラガラガラ、と扉が開いた。
『日野くん、横室くん、いる?』
先生が不意にも教室に入ってきた。
『先生!どうしたんですか?』と、Yが聞いた。
『ホラホラ、おいでよ』と、扉の影に向かって先生は手招きをした。
『あ…以前誘って頂いたので、入部しようと思いました…。霧海ねむです。よろしくお願いします』
俺達は目を疑った。
『先生もね、思わず誘っちゃった。学園祭の合唱でスゴく綺麗な声で歌ってたから、合唱部を薦めたんだけど、軽音楽部に入りたいって言ってたから、後押ししてみたの』
すると、マリア先輩が静かに聞いた。
『合唱部に入りたかったって…』
すると、ねむちゃんが言った。
『私、合唱部に入りたかったんですけど…。でも、でも!』
息を大きく吸い込み、ねむちゃんがマリア先輩に言った。
『私…やっぱり、部局紹介の時の皆さんの音楽に対する姿勢が大好きです。中々出来ないと思います。校歌をロックみたいに歌うの。あんなにかっこいい校歌、聴いたことがありません…。私も、マリア先輩みたいにかっこよく歌ってみたい…。お願いします。入部、させてください』
そう言ってねむちゃんは、綺麗な水色の髪を下げながらマリア先輩に懇願した。
それに、マリア先輩は優しく笑いながら、ねむちゃんの肩に、手を置いた。
『よろしくお願いします。ねむちゃん!』
『…マリア先輩…。ありがとうございます!』
『いやぁー、これで廃部は免れそうですね!先輩!』
気さくにYもマリア先輩も、ねむちゃんに話かけている姿を見て、あの時誘って良かった、と心底思えた。
そして、下校時間。
『あー。本当に入部してくれるなんて、夢にも思って無かったよ!マリー。良かったな』
Yはニヤリとした口を無意識に出しながら言った。
『べ…別に俺は入って欲しいなんて思って無かったよ。…あれ?』
『どうした?』
『おっかしいなぁ。いつも鞄のファスナーに付けてるキーホルダー。無くなってるんだよ』
『別にキーホルダー位いいじゃねぇか』
『良くねぇよ!お前も分かるだろ!俺があのキーホルダーをどれだけ大切にして来たか!』
『大袈裟だなぁ。子供ん時作ったキーホルダーじゃん。また作りゃいい話だよ』
『あれは俺の宝物だ!探してくる!』
俺は血相を変えて学校中を探し回った。
心当たりのある部室の近くを通ると、そこから。
『…♪』
耳を澄ますと、部室から透き通った歌声が廊下に響いていた。
その歌声が、優しく俺の心を包み込むような感覚を覚えさせる。
おそるおそるドアを開けると、そこには、気持ちよく歌を口ずさむねむちゃんがいた。
目を閉じて聴いていると、いつの日か学校の窓から眺めた光景を思い出させる。
『ひ…日野君!』
ねむちゃんにあわてふためきながらそう叫ばれ、俺も動揺を隠せず。
『ご、ごめん!』
自分自身に不意をつかれたかのように、慌ててドアを閉めてしまった。
しかし、俺が閉めた反対側のドアがそーっと開いて、『あ…あのぉ。このキーホルダーの付いた鞄…。もしかして、日野君の鞄…?』
『え?あ…そ、そう!ご、ごめんね!ありがとう!』
俺は思わず、乱暴に鞄を取り上げて振り向こうとした瞬間。
『あ、あの!』
俺の心臓が飛び上がった。
『ど…どうしたの?』
『日野君が持ってる鞄…。私の…』
『あ、あー!俺、間違って持ってた!ホントに!ごめん!』
目も合わせることが出来ず、無理矢理彼女の鞄を彼女の腕に押し込んだ。
そして、部室から下駄箱までの長い廊下を俺は走っていた。
―――その時だ。走っている最中、昔の記憶が頭の中で過っていた。
『この貝殻の穴の中で、音がするよ!』
『うっそだー!』
『シューーーー』
『ホントだ!まるで、海の細波の音がする……』
『ねっ!』
『大きい貝殻は低い波の音、小さい貝殻は高い波の音がするんだね♪』
『ホントだ!綺麗な波の音……』
『俺、いつかこんな波の音を操れる人になりたい!』
『えー!無理だよぉー』
『なるったらなるのっ!お前もなるんだぞ!』
『えー?!僕も!?』
『なる!っていうか、なれるの!』
『それが出来れば、まるで魔法使いだね!』
『そう!俺達は音を操る魔法使いになる!』
『……うん!魔法使いになる!』
『『ぷ……あはは……あはははは♪』』
俺の鞄に付いている小さい貝殻が、今でも静かに鳴り響いている。
その記憶が途切れた瞬間、昇降口から凄まじい風が俺を、俺だけを襲った。
俺は下駄箱の前に立ち、両腕で顔を覆いながら足を取られないよう、そこで踏ん張っていた。
その位、俺には台風の中にいるような、そんな異様な感覚が俺を襲っている。
風がほんの少し弱まり、俺は両腕を静かに避けた。
『…やっと、思い出したんだね』
俺の頭の中でまたヤツの喧しい声が聞こえた。
『また…またお前か…!』
『シーッ。声を出さないでって言ったじゃないか』
なんだよ…!この風もこいつの仕業なのか?
『そうだよ。僕は君の一部だ。だって、君は僕を捨てられない…。僕は君の大切な思い出を担っているから…』
なんで、なんでお前は俺にそんなに付きまとう?
『僕が付きまとっているんじゃない。君が、僕に付きまとっているんじゃないか』
…何を言っているのか分からない。
『過去の自分を捨てきれないでいるから、君はいつまでも君のままなんだ』
は?俺は俺だ。何を言っているのか尚更分からない。
『君はいつも面倒くさいを理由にして、勇気を捨てているだけだ。…だから、僕が勇気をあげるよ』
それより、この強風はどうにかならないのか。
『今、君の周りに四つの希望の光がある。その光の中から一つに絞り、勇気をぶつけてみるんだ。…それが出来たら、君は僕を要らなくなるだろう。…でも、それがもし、光を一つに絞り込め無かったり、勇気をぶつけられ無かったら、それは君が一生そのままの道を辿り続ける事になる』
何?光?勇気?道?なんの事だ?
『でも、大丈夫。君はそれが出来る人だ。そしてそれが出来るように僕がいる。…手を貸してあげるよ。僕はずっと、君の鞄から見守っているから。…それじゃあね』
ヤツがそう言うと、急に風が止んだ。
俺はそれを耐えていたからか、急に腰が抜けたように、ガクッと腰を落とした。
いつも唐突に現れ、好き勝手な事を抜かした挙げ句、急に居なくなる。
『本当…。お前は何なんだ』
俺は鞄に付いているヤツを見ながらそう言った。
『ただいまぁー』と、俺が帰宅するやいなや、母さんが俺の所に来て、『あら、おかえりなさい。ご飯出来てるわよ?』と、聞いてきた。
『うーん。後にしていい?』と、疲れきった俺はその言葉を払いのけ、二階の自分の部屋へと向かった。
そして、鞄を床にドサッと雑に捨て置き、俺はその向かいで胡座をかき、腕を組んだ。
『……』
俺は鞄に…と、言うか、その貝殻のキーホルダーを、ただただ睨み付けた。
『お前は俺の大切な思い出を担っている…と、そう言ったな』
そう語り掛けても、風も霧も、起きはしない。
『確かにお前は…Yと大切な約束を誓った、大切な貝殻だ』
『……』
『だけど、強く思い出したのは、あの音楽室から下駄箱へ向かう途中。そこで、鮮明に思い出したんだぞ?』
『………』
『お前は確かに言ったな。『やっと、思い出したんだね』と。でもな、お前がその時の思い出を俺に思い出させたんじゃないのか?』
『…………』
何時までも何も起こらず、俺はとうとう痺れを切らせて、『コラーーー!何とか言いやがれぇ!』と、鞄に向かって指を指しながら怒鳴った。
『ズルいぞ!いつも好き勝手言って消えて行くなんて!少し俺の意見も聞け!』
俺はドタドタと地団駄を踏み荒らして、そう言うと、どこからか視線を感じた。
『ん?!ヤツか?!』と、俺は咄嗟に後ろを振り返った。
ドアの方を振り返ると、小さな子供の影が二つ見えた。
そして、俺が振り返ると同時にその扉は不意にパタンと閉まったのだ。
俺は逃すかと言わんばかりにその扉を開けた。
すると、そこには、双子の妹と、弟がいた。
『…。何してるんだ』
『『お兄ちゃん、変だねー。ねー』』
『いいから、自分の部屋へ戻りなさい』
『『お兄ちゃん、鞄に向かって怒ってたねー。ねー』』
『戻りなさぁい!』
双子の妹と弟は渋々も『『ハァーイ』』と生返事をかまし、自室へと戻っていった。
『はぁー』と、軽くタメ息を付いて、部屋の扉を閉めた。
俺は暫くその貝殻のキーホルダーを見つめるも、何も起こることはない。
『ちくしょう。出てきて欲しい時に出てこないんだから…』
そう言うと、俺はふと、思い出した。そう言えば、胸ポケットに歩弓ちゃんから貰ったアドレスがあったんだ。
『暇な時に送って』と、言っていたな。今、どうせやることも無いし、メールを送ってみようと、制服のこれまた胸ポケットからスマートフォンを取り出した。
打ち込んだアドレスに間違いは無いか一文字一文字確認をして、『本文』と書かれた所にカーソルを置いた。
『何て送ろう…』
取り敢えず、『初メール!これが俺のアドレスだから登録よろしく。麻利央』と、打ち込んだ。
よし。これで返信を待つだけだ。
その間に制服を脱いで、部屋着へと着替えた。
その幾分に、早くも返信が一通届いた。
スマートフォンの画面を開く。
その時だ。俺はその返信内容を見て釘付けになってしまった。
『メールありがとう!日野くん、良かったら…学校休みの日、遊んで欲しいな。いい?』
俺はその文面を見て、ただただ驚いた。
まさか一通メールしただけで、いきなりなんの段階もなく誘ってくれる女の子がいるなんて。
俺はそれにどう返信しようか、スマートフォンの上で親指を遊ばせながら、何度もカチカチと文字は打つものの、その数だけクリアボタンも押してしまった。
そして日取りだけでも決めようと、俺はカレンダーを捲って赤い日を辿った。
次の土日、うん、その日は予定が何もない。これで決めようと、俺はそこに的を絞った。
『次の休みの日でいいかな?』
俺は余計な文面を打つ余裕すらもなく、そんな端的な文章を歩弓ちゃんに送った。
すると、五分もしないで歩弓ちゃんから返信が来た。
『いいよ!そしたらその日、十時に駅前集合で、ね!』
『分かったよ!うん、楽しみにしてる』
そう送信して、俺はスマートフォンの電源を落とした。
全く相手の事を理解していない女の子と遊ぶのはまるで初めて。
どうしたと言うんだ。最近の出来事は、俺自身の鼓動を早くさせる出来事ばかりだ。
俺はまたも、歩弓ちゃんと遊ぶ事が楽しみになり、カレンダーを見直した。
あれ?そう言えば…と、そこで気がついた。
『明日、俺の誕生日だった』
もう既に、新鮮な出逢いと言う神様のプレゼントを貰った、そんな気がした。
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