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ひだまりの唄 36

十二月二十二日


どう行動に移そうか。迷いに迷っていたらいつの間にか終業式。

その終業式も終わって、後は帰宅の準備。教室内は明日からの冬休みで全員が浮かれ気分。宙に舞っているようだ。

そんな中で、俺とYとねむちゃんはしっかりと椅子に着いている。

あの件以来、Yとねむちゃんも険悪になってしまったのか。

俺は少しだけ気にかかって、『どうでもいい』なんて想いが少しずつ薄れているのにも関わらず、どう立て直そうか、全く想い描かれない。

土日と休みを使って考えても、何も思い付かない。本当に小さい頃からの幼馴染みかって程だ。

そんな事を考えていたら、教室の扉を開けて、先生が来た。

『皆、終業式お疲れ様!それと、テストはどうだった?補習ある人は後でプリント渡すから、先生の所まで来るように!』

テスト、俺はあんなにも真っ白な答案用紙を渡したにも関わらず、赤点は免れていた。

しかも、全教科。運がいいんだか、悪いんだか、分からない。

『それじゃあ、明日からの冬休み、皆、年明けもあるんだから、風邪なんか引くんじゃないよ?それでは先生からは以上です。皆さん、良いお年を!』

それに、皆の元気の良い『はーい!』の声、俺は参加しなかった。

そんな事はお構い無しと、俺は窓の外を眺めていた。

一人、また一人と教室から出て行く。

真隣では椅子を引く音。ねむちゃんも鞄を背負って、教室を出て行く。

俺の幾つか前では、身体を曲げたYが重たそうな背中を伸ばしながら、席を立つ。

鞄を背負って、Yも出ていった。

先生も教壇の上で資料を纏めたのか、その教壇を降りて、教室をあとにした。

教室内では、一人ポツンと隅で机に身体を預けている、俺がいる。

最近、この体勢が板に付いているようだ。

身体を机の板に付けながら、ふとそう思ったが、なんとも馬鹿馬鹿しく、笑う気も起きない。

笑い声の代わりに、俺は一つ深い溜め息を吐いた。

このままでは部の存続すら危うい。

マリア先輩ががむしゃらながらにも活動を続けて築き上げた物を、俺は全て崩そうとしている気にもなった。

それはYが口酸っぱく言っていた事だ。

俺はYに説教をされた今、漸くその事に気が付いたのだ。

そう言われれば、今回だけじゃない。

マリア先輩が部からいなくなる時も、俺は部から遠ざかっていた。

一度ならぬ二度までも。そんな自分が嫌になって、俺は顔を踞せた。

『…俺、何やってるんだよ…』

こんな姿をマリア先輩が見たら、どう言うだろうか。

何時ものように凄い顔を俺に向けて怒鳴るに違いない。いや、こんな俺に幻滅して、何も言わずして去るか。

それだったらいっそのこと、一喝して、ビンタの一発でも喰らいたい気分だ。

こんなのは甘えだろうと自覚をするも、俺は幻聴なのか、マリア先輩の声すら聞こえてくる。

『マリー。こんな所で何してるの?』

情けなくて、俺はフッと鼻で笑った。

『もう、音楽室にも居なかったから何処に行ったのかと思ったら、まだ教室に居たんだね。ねぇ、マリー、聞いてる?』

説教でも幻滅でもなく、優しく声を掛けられている、そんな気がした。

俺はどこまで甘えているのか。自分自身が情けなくて、鞄を持って帰ろうと頭を持ち上げた。

『おい!マリー!無視するな!』

『うわー…!!!』

正直、ビックリした。本当にマリア先輩が目の前に現れたのだから。

『なんでマリア先輩、こんな所に…?』

『なんでって…。それ、私のセリフ。部室じゃなく、教室で寝てるんだから…。もう、ビックリしたよ』

『久しぶりね。マリー』と、そう言いながら、マリア先輩は足を組ながら俺に身体を向けるように、ねむちゃんの席に座った。

『お…お久しぶりッス…』

『明日から冬休みだし、年明けちゃうじゃない?皆に挨拶したくてさ。部室に行ったんだけど、誰も居ないから、思わず探しちゃった。良かった、マリーが学校にいてくれて…』

優しく目を瞑りながらそう言うマリア先輩に、俺は胸が痛む。

『そう言えば、マリーに会うのも夏祭り以来だもんね。皆、元気?』

『まぁ…。元気ですよ。あ、でも、ウタナのじいさんは…』

『…あぁ、何となくだけど聞いたよ。風の噂で…ね…』

『…マリア先輩がお祭りの日に、じいさんを連れて来てくれて、本当に嬉しかったです。俺達のバンドを見せられた、最初で最後のチャンスでしたから…』

『…そんな…。そう思えば、あの時から体調悪そうだったから、余計な事しちゃったかなって思ったんだけど…』

俺は静かに首を振った。

『あれが無かったら俺達のバンド、見せる事すら出来ないままでしたよ。本当に、ありがとうございます』

マリア先輩は下を俯きながらも、首を振った。

そんな湿った話を切って、『マリア先輩は受験、上手く行きそうなんですか?』と話題を変えると、マリア先輩は嫌な顔をしながらに、言った。

『うわ!嫌な事聞くな。でも今期もなんとか成績落とさなかったから、どうにか受験資格は取れそう。受験日は冬休み期間中だから、いや~な年越しになりそうだなぁ…』

マリア先輩は本当に嫌そうに眉を下げながらそう言うと、俺はクスリと笑いながら、『頑張って下さいね』と、そう言った。

『うわぁ。他人事だと思ってぇ』

俺とマリア先輩は、ハハハと声を揃えながら、笑った。

すると、唐突にも、今度は俺の嫌な話題へと話は移った。

『そう言えば、マリーは部活、上手くいってる?』

俺はそれに答える事が出来ずに、思わず、黙してしまった。

『…その顔を見るに、何かあったんだな?』

やはり、見透かされてしまった。

『どうしたの…?』

何処から話そうか、俺は何通りもある答を探っていると、マリア先輩が痺れを切らせて『もしかして、また部活…行ってないの…?』と、様子を窺うように、そう訊いた。

『…ハイ…』

マリア先輩は溜め息をつきながら、頭を抱えた。

『ねぇ、どうしたの?前にも約束したじゃない。何があっても、部活はあんたに引っ張って欲しいって』

俺はそれにもまた、黙してしまった。

『…もしかして、Yと喧嘩でもしたの…?』

俺は黙って頷いた。

『…やっぱりね…』

『やっぱりって…何か知ってるんですか?』

『何となくヤマダから聞いてたのよ。なんだかマリーの様子がおかしいって。私、ヤマダと同じクラスだからさ』

そう言われれば、そんな山田先輩にも心配をされた。

やはり、自分を卑下してしまう。

『…何ででしょうね。俺、やっぱり部長って器じゃないのかも…』

『…え?』

『俺、たった三人の部を纏める事も出来やしない。Yの方が纏める力もあるし、カリスマ性もあるし、なんといっても、引っ張る力もある…。あいつはマリア先輩が築いた部を壊さないよう

に必死になってる。でも…でも…。俺と来たら、たった一回振られた位で腐っちゃって…。気付くの遅すぎ何ですよ。全てぶっ壊してからじゃないと気が付けないなんて、俺は…』

『…何に…気が付いたって言うのよ…』

『やっぱり、どんな状況でもいい。バンド、やりたいんですよ。俺。それをこんなボロボロになってから気が付いたんですよ…?俺は…』

『なんだ。何にも気が付いてないじゃない。あんた』

マリア先輩の声色が、変わった。

『マリー。あんたが誰に振られたのかはこの際触れないけど、それより、根本的な物に気が付いて無い。それは…』

俯いていたマリア先輩が、俺を圧すような鋭い目つきを見せつけて、俺に言った。

『私が何故、あなたを部長にしたのかと言うこと』

マリア先輩にそう言われた時、時が止まった。

マリア先輩がどういう思いで俺を部長にしたのか、そんな事、考えた事すら無かった。

だが、それを考えるのは俺の無い頭では何も分からない。

『…なんで、ですか?』と、覚束無い口調で訊いてみた。

しかし、マリア先輩は『それ、聞いちゃう?』と鼻で笑うようにそう言った。

『すいません…。分からなかったもので…』

すると、マリア先輩は組んでいた足を直して、言った。

『マリーは、なんだかんだやってくれるからだよ』

『買い被りすぎですよ…』

マリア先輩は二度、首を振った。

『ううん、そんな事無い。マリーは率先的じゃないけど、頼まれたら断れなくてやっちゃうでしょ?マリーは優しいから』

俺が評価されていた所はそこだったのかと、言われて改めて気付かされた。

俺は照れたように肩を竦めるも、マリア先輩は椅子を俺の席まで詰めよって、強い口調で言った。

『でも、それだけじゃダメなんだよ』

その竦めた肩を緩ませて、俺はマリア先輩を見た。

『だってそれって、マリーの意思じゃあ無いじゃない?マリーのやりたい事はバンドをする事でしょ?それはマリーの意思で始めた事じゃない。私が築いたとか、そんなのどうでもいいの。貴方の部なんだから、貴方のしたいようにYやねむちゃんを引っ張っちゃいなよ!あんたならそれが出来る!』

目から鱗だった。

俺はマリア先輩の部を壊さないようにと今まで意識を向けていた。

だが、マリア先輩の言い分はまるで違う。まるで、一つの城を壊して、俺の城を築き上げろと、そう言いたそうに。

『だってマリー、夏祭りであんなにも大勢の人を喜ばせたじゃない。それもさ、マリーとYが作った楽曲で。それって、誰にも真似できない事だよ。…正直、羨ましかったな。私もあの輪に入りたかった…。だから、ね?もっと自信持ってよ』

背中をバンと叩かれた。

それが、とても懐かしかった。

部をやっている俺のやる気を囃し立ててくれてるようで、マリア先輩とやっている時は、それで突っ走れた。

だけど今は…。

『駄目です…』

『…え?』

『…俺、マリア先輩のように二人を引っ張る自信が、今はありませんよ…。バンド仲間ってだけの関係じゃ無くなって来ているような、そんな気がするんです。俺も、Yも、ねむちゃんも…。俺にも…よくわからないんですけど…』

『マリー…』

俺も、マリア先輩も、二人で黙りこんでしまった。

どうしても、胸の内に秘められた霧がかった物を晴らす事が出来ない。

その正体がなんなのかも、分からない。

だけど、皆とはまた、バンドがやりたい。ただ一心に今はそう思っているだけだ。

すると、マリア先輩は徐にも口を開いた。

『…ねぇ、それってさ…』

俺はマリア先輩を見た。

『…恋…なの…?』

『…え?』

恋、そう言われて、変な気持ちになった。

『さっきも振られたって言ってたけど、マリーはねむちゃんの事…好きなの?』

『…分かりません…』

マリア先輩が座っている椅子、それが、少し俺から遠ざかった。

俺はそれを見て、少し俯く。

二人が無言のまま、時間だけが刻々と過ぎていく。

すると、マリア先輩が大きく息を吸うように、顔を上げて、俺に言った。

『ねぇ、マリー。それ、ねむちゃんに伝えた?』

『…え?』

『ねむちゃんが好きって気持ちだよ』

『…好きって…俺にも分からないんです…』

『好きじゃないのに、振られたの?』

俺はハッとしてマリア先輩を見た。

『…好きじゃなかったら、振られたなんて、言わないよ。もしかしたら、その気持ちを伝えたら、上手く行くかもしれない』

『…それは、分かりませんよ…』

『そうかな…。だって…』

マリア先輩がスカートのポケットから何やらまさぐり出そうとしていた。

『これ、マリーの…でしょ?』

俺は目を丸くした。

マリア先輩の手の平にポツリと置かれていたのは、いつしかYと作った、小さな貝殻のキーホルダーだった。

『音楽室の前に落ちてたのを拾ってね?その時、ねむちゃんしか居なかったから、ねむちゃんに訊いたの。そしたら、これ、マリーのだって。鞄間違った時に、この貝殻のキーホルダー付いてたの、覚えてたみたい』

マリア先輩はそう言って、その小さな貝殻のキーホルダーを俺の手の上に優しく置いた。

『…ありがとう…ございます』

すると、マリア先輩はフフッと笑った。

『私も意地悪いよね。直接ねむちゃんに渡せば、マリーの手元に届くの早かったのに…。私から直接渡したかったんだ…』

『そう…だったんですか…』

『でもね、そんな事覚えているって、やっぱりねむちゃんもマリーの事、好きかもしれないよ?気持ち、ちゃんと伝えてみたら?』

俺はその貝殻を握りしめるも、段々とその力が弱まった。

ふと、あの出来事が頭を過ったからだ。

Yがねむちゃんの肩を強く握りしめて、ねむちゃんと、Yの顔が、凄く近かった。

その隙間から太陽が入り込んでいて、よくは見えていなかったものの、もしかしたら。

そう思うと、俺はやはり、Yに遠慮をしてしまう。

『…いや…。それは、無いですよ…。だって…』

だが、俺がそう言った瞬間だった。

マリア先輩がガタリと勢いよく椅子から立ちあがる。

その椅子がのけぞって、仕舞いにはガタンと大きな音をたてながら倒れてしまう程に。

そして、大きな声で、俺を見つめながらに、『…バカ!!』と、一喝した。

俺は、そんなマリア先輩を更に目を大きく広げて、見る事しか出来なかった。

『なんでやる前からなんでも決めつけるのよ!やってみないとわからないじゃない!』

一心不乱に俺を見つめながら、尚もマリア先輩は声を張って、俺に言った。

『私の知ってるアンタは、そんな奴じゃない!ヤダヤダと言いつつも、しっかりとケツまでやり遂げるのがアンタだったのに…!しっかりしなさいよ!』

俺は『だって…』といいかけるも、マリア先輩を見ていると、その瞳から雫が混み上がっていた。

俺はそれに、言葉を飲んだ。

なんてったって、マリア先輩の涙を見たのは、この方生まれて初めての事だったから。

『振られるかもしれない?!バンドが解散しちゃうかもしれない?!そんなの恐れて、メリハリの無い部活を続けるより、そうなった方がよっぽどマシよ!ケリ着けないと、ずぅっとこのままだよ?!そんな進歩もしない状況で、アンタは満足なの?!』

その貯まった雫が、頬を伝っているのにも関わらず、マリア先輩は拭わない。

『いい?!元部長として言わせて貰うけど、人を振り回すんだったら、もっと責任のある振り回し方をしなさいよ!今のアンタは無責任過ぎるよ!そんなマリー、見たくなかった…!』

そして、思いきり目を瞑って、思いきり声を張り上げて、マリア先輩は、言った。

『昔のマリーは大好きだったけど、今のアンタは大ッッッッッ嫌い!!!!!』

そう言われて、俺の頭の中で、何かがプツリと切れた音が響いた。

俺はやっと、この席から、腰を上げた。

マリア先輩は『ホラ!行ってきな…!』と、背中を押すと、俺は一度振り向いて、マリア先輩を見た。

マリア先輩は瞳に貯まった涙をやっと拭っているも、俺を見ようとはしなかった。

『マリア先輩、ゴメン。ありがとう』

胸の中でそう言って、俺は走り出した。

その時、右手首に付けていたミサンガが、ホロリと落ちた気がしたが、そんな事は気にも留めない。

俺の手の中、小さな貝殻が遊ぶ余裕も無い程に、握りしめて、ひたすら走る。

すると、こんな季節なのにも関わらず、暖かい追い風が俺を包んでいるような、そんな気がした。

この感覚、久々だ。

そうなると、俺の頭に過っていたYとねむちゃんの合間に差し込んでいた訝しげな太陽の変わりに、俺の胸の中の霧をどんどんと晴らしてくれる太陽が、やっと顔を出したような、そんな気がした。

それは紛れも無く、マリア先輩が照らした太陽だ。

それに任せて、俺は尚も、ひたすら走り続けた。

ねむちゃん、いないかもしれない。でも、もしかしたら。

『ねむちゃん…!』

そんな僅かな期待を胸に、いつもなら鍵が掛かっている音楽室の扉を勢いよく開けた。

『…ねむ…ちゃん…?』

『…お、マリーじゃん』

その扉の向こうには、窓枠に腰を預けながら、Yがギターを抱えて、弾いていた。

『どうしたんだよ、そんな血相を変えて』

俺は音楽室を見回すも、そこにはねむちゃんの姿が無い。

『…俺に会いに来た。…って訳でも無さそうだな』

Yがギターを壁に立て掛けて、窓枠から腰を下ろした。

ねむちゃんが居ないと分かった時、俺は音楽室から出ようとすると、Yが『待てよ!』と、俺を呼び止めた。

『ねむちゃんなら、家に帰ってると思うよ?』

すると、Yがその立て掛けたギターを持って、俺に突きつけるように、腕を伸ばした。

その突きつけたギターをよくよくみると、なんら変わっていない、俺のギターだった。

『…何だよ』

『ちょっとさ、付き合ってくれよ』

『わりぃ、今、俺急いでるんだ』

『いいから…ちょっとだけ』

Yが何度も念を押すように、俺にそう懇願する。

俺はそれに負けた。溜め息混じりに音楽室の扉を閉めて、その突きつけた俺のギターを受けとると、Yが傍らに置いてあるベースを手に取った。

俺とYは、適当に一番近くにある椅子に座って、それぞれの楽器を構える。

ギターの弦を触ってみる。すると、なんら狂いは無い。

Yが度々触っていたのか、一弦から六弦まで、しっかりと音は揃っていた事に、正直、驚いた。

『俺とマリーとで作った曲、『mermaid in love』で。マリー、久々に練習するんだ。ワンテンポ、遅らせながら弾こうぜ』

俺はそれに頷くと、Yがベースのボディーを叩きながらワン、ツー、スリーと、テンポを付ける。

それに従って、俺は出だしをゆっくりと、滑らかに弾き始めた。

指が勝手に動く。ブランクはあれど、やはり体では覚えているものだった。

しかし、ロックテイストで仕立てているこの楽曲も、やはりベースとギターだけでは寂しい気もする。

ドラムがいない。

それだけで、やはり迫力は断然に違うのだ。

そんな寂しげにゆっくりと弾いている中で、Yが口を開いた。

『やっぱり、覚えてるもんだね。流石、マリーだ』

そう言われても、誉められている気は一切しなかった。

『…なぁ、マリー。俺が何で呼び止めたか、分かる?』

ゆっくりと、静かに流れている中で、Yが言った。

俺はそれに答えず、ひたすらギターを弾き続ける。

『…やっぱり、お前に言わなきゃ始まりにすらならない。そんな気がするんだよ。お前から聞いて来ないなら、俺から話す』

俺は尚もギターを弾き続ける。

『…もう、一ヶ月位前になるか。お前がココに入って来た、あの日の事』

それを言われて、俺はギターを弾くのを止めた。

『…なんだよ、途中で止めるな』

Yにそう言われて、俺は暫く指が動かなかったが、再び指を動かすと、Yの話も続いた。

『…そうだな。何処から話そうか…。遡ると春位になるかな』

そんな前かよ。と、内心に秘めながら、俺はただただ黙ったまま、ギターを弾き続ける。

『…俺、ねむちゃんから相談を受けてたんだ。恋愛相談ってヤツかな。…俺もソッチ系の話には疎いから、なんも話できなかったんだけど、話だけでも聞いてみようとしたんだ』

ねむちゃんの恋愛相談、そんなものを聞いてしまっては、俺の気持ちの整理がつかない。

俺は耳を塞ぐように、ギターを弾き続けた。

『ねむちゃん、軽音楽部に入って来た時、好きな人が出来てた。そのねむちゃんの好きな人は、ねむちゃんが転校したばかりで右も左も分からなかった時に優しく声を掛けてくれた人。この学校で初めて気持ちを許せた相手なんだって』

俺は黙々とギターを弾き続ける。

Yはベースを鳴らし続けながらも、話も続けた。

『その相手は…ねむちゃんが駒場達に絡まれた時、身体を張って、助けてくれた相手だ。つまり…』

俺のギターが、止まった。

すると、 Yもベースを止めて、俺に言った。

『マリー、お前だよ』

俺は思わずYを見た。

Yは優しく笑みを浮かべながら、ベースを置いた。

『…ハハ、言っちまったよ。ねむちゃんに怒られるかな』

『…でも、前に音楽室入った時、二人とも…』

『だからぁ、それは誤解だって言ってるだろ?…何?それ見て、俺とねむちゃんが付き合ってるとでも思った?笑っちゃうよ』

そりゃ、当たり前だ。と、胸の中で怒鳴った。

『…ねむちゃん、本当にマリーが好きなんだよ。だってさ、ことある毎にねむちゃんはマリーの心配ばかりしてるんだぜ?…ったく、あんなに一途に思われてるなんて羨ましいよ。そんな子、他にいないぜ?なのにマリーと来たら…』

俺も俯きしな、ギターを立て掛けるように置いた。

『…これだけは聞いておきたい。歩弓ちゃんや葵ちゃん、そして…』

Yはそう言うと、胸に手をあてて、ゆっくりと息を吸って、そして吐いた。

気持ちを落ち着かせたのか、続けざまに、Yは俺に訊いた。

『…マリア先輩の事、マリーは好き?』

Yが俺にふっと笑ったように、俺も笑い返した。

だが、Yは真剣に俺の目を見て、離そうとしない。

それに答えるように、俺は口を開いた。

『…俺も正直、誰が好きとか分からなかった。皆、好きだから。でも、俺が思っている好きとは、なんか感じが違うんだ。だけど、皆の好きに答えるなら、俺は…』

Yは、何も言わないまま動じず、俺の声に耳を傾けた。

『…俺は…ねむちゃんが好きだ』

すると、力が抜けたように、Yは笑いながら『そっか…』と言った。

『…あ、今、笑ったな』

『バーカ。これはバカにした笑いじゃなくて、何となく安心した笑いだよ』

Yは舌を出しながら、俺に言うと、俺もふと笑みが溢れた。

『…マリーの本当の気持ち、聞けたから続きを話すけど…。実はさ、マリーが音楽室で見た時、俺とねむちゃん、ちょっと言い争っちゃっててさ…』

『…言い争い…?』

『そう…。俺もねむちゃんに相談に乗って貰ってたんだよ…』

『…相談…って?』

『…マリア先輩の事』

ここでは何も言わないが、何となく、二人の関係に察しがついた。

『ホラ、前にさ。マリーにマリア先輩の事が好きだって言ったじゃん?それで、俺もねむちゃんに相談に乗って貰ってたんだ。初めてそれを言ったのは、夏祭りの準備の時かな。海にねむちゃんを呼んでさ。マリア先輩、もしかしたらマリーの事、好きかもしんない。って。あの時の俺、何処か弱音ばっかり吐いてたよ。ダサかったぁ~』

そう言えば、思い出した。俺が初めてねむちゃんとYが仲良く遊んでたのを目の当たりにした時だ。

そこから俺は、Yとねむちゃんの仲を怪しんで見てしまっていた。

『…それでさ、ねむちゃんが弱音を吐いたんだ。もしかしたらマリー、もう好きな人がいるかもしれないって、ね。…そりゃそうだよな。マリーの周りにはマリア先輩や歩弓ちゃん、葵ちゃん。なんか、急激にモテ出してさ。しかも可愛い子ばっかり!そりゃ、心配になりますよ』

Yが腕を組ながら頷いてそう話す。

だが、Yは首を振った。

『…でも、ねむちゃんだけじゃなくてさ。俺も心配になってたのは否めないよ。マリア先輩がマリーの所に行ったら…ってさ。それで、俺は俺自身に言い聞かせたかったのかもしれない。ねむちゃんに向かってさ、怒鳴っちゃったんだよ…。そんなの、柄じゃ無いのにさ』

『…なんて…怒鳴ったんだよ…』

『ねむちゃんも、ボーッと外ばかり眺めてたら、あっという間に一年経って、卒業して、好きな人が遠くにいっちゃうんだぜ。ってさ。そう言いきった時、マリーが来たんだ』

Yは俯いて、俺から目線を外して、力なく項垂れた。

『…バカだよ…。こんな卒業ギリギリになっても自分の気持ちを伝えられない苛立ちをさ、ねむちゃんにぶつけてるんだぜ?本当にダセーよ、俺も』

こんなY、初めて見た

そう言ったYはらしくなく、何処か自信が無さそうに、頭を抱えていた。

そんなY、俺は見たくなかった。

だから、俺も言った。

『だったらさYも、マリア先輩に気持ちをぶつけてみろよ』

『…言った所で、お前が好きなのは一目了然なんだ…。言っても仕様がないよ…』

俺は、マリア先輩の気持ちがやっと分かった。

怒るのが下手くそな俺は、小声で『バカやろぉ…』と、呟いた。

『…え?』と、Yが笑いながら聞き返した。

伝わってない。それなら、俺も、Yに言ってやらなきゃ、ダメだ。

『なんで…』

こんな声じゃダメだと、俺は自分に言い聞かせて、思いきり息を吸い込んで、席を立上がり様、声を張り上げてやった。

『…なんでやる前から決めつけるんだよ!お前らしくねぇな!!!』

すると、Yがキョトンとして、俺をまじまじと見た。

Yを怒鳴った事が幾度としか無かったせいか、俺は息を切らせながら暫く、Yをじっと見つめた。

Yも驚き戸惑った様子で、目を大きく広げながら、瞬き一つしないで、俺をずっと見つめる。

それに屈しない。言いたいことを言い切るまでは。

そう固く決めて、俺はYに静かに言った。

『…だって、わかんねぇじゃん。俺、マリア先輩に好きって言われた事無いんだぜ?さっきなんて、俺、大嫌いって、怒らればかりだ。だから、俺の事が好きだって思い込むの、やめろよ。本人に直接、Yの気持ちを伝えないと、何も始まらない。スタート地点に立つ前に白旗振るの、もうやめにしないか?』

『…スタート…地点…?』

『あぁ、そうだよ。だってさ、付き合ってゴールじゃないじゃん。付き合ってからが二人を知り合うスタートだろ?俺も、その覚悟でココに来てるんだ。スタート地点に、胸張って立つ為にさ』

Yはそう言った俺をじっと見つめて、口元を少し緩ませた。

『…可笑しければ笑えよ。でも、俺は…』

『…だから、可笑しいんじゃないって。嬉しいんだよ』

そう言って、Yも席から立ち上がった。

『だってさ、マリーの口からそんな熱い言葉を聞けるなんてさ…。今まで、そんな言葉すら恥じて言葉にもしなかったじゃん』

『…それは、Yに笑われるから…』

『…?俺、笑うか?』

『笑うだろ…!』

すると、Yは緩ませた口元を更に緩ませると、顔が完全に綻んだ。

『そっか、ごめんな。でも、俺もからかってる様に見えるかもしんないけど、内心、嬉しいんだぜ?…言われる俺も照れるんだよなぁ』

そう言ったYは本当に嬉しそうだ。

俺はそれに少し胸を撫で下ろして、Yを見た。

『…そっか…。でもさ、本当にマリア先輩に大嫌いって言われたの…?』

『…あぁ、言われたよ。しかも、さっき』

『さっき…?何処で』

『…教室だよ。マリア先輩、わざわざ教室まで来てくれたんだよ。…そう言えば、教室に来る前に部室覗いたって言ってたけど、会わなかったの?』

Yは少し悔しそうな顔を浮かべて、『マジか…。すれ違いか…?』と、呟いた。

『あれ…?随分悔しそうだけど…』

『そりゃあ、な』と、Yは頭を掻いた。

『…実は俺もさ、マリア先輩に渇を入れられてここまで走って来たんだよ。でもいざ着いてみたら、ねむちゃんじゃなくて、Yがいた』

『相当ガッカリだったろ…?』

俺は首を振った。

『…寧ろ、良かった。Yに話を聞けて、少し落ち着いたよ。でも、どうしようかな…。ねむちゃんの家、知らないし…』

すると、Yがスマートフォンを取り出して、『そう言えば、マリーは明後日の六時、暇?』と、訊いてきた。

『…え?暇だけど…』

Yが『分かった』と言うと、スマートフォンを耳にあてる。

『…おい、誰に電話掛けてるんだよ』と俺が言うと、Yは人さし指を立てながら口につけた。

『…あ、もしもし、ねむちゃん?うん、俺だよ。どうしたの?元気無さそうじゃん。…アハハ、そっか』

暫くねむちゃんとYの会話が続く。俺はその様を、無意識ながら眉間に少し皺を寄せながら見てしまった。

『そう言えば、明後日、暇?…そう。いや、部活じゃなくてさ、ちょっと遊ぼうと思って。マリーも居るよ。いい?…オッケー』

俺は目を大きく広げた。もしかして、Y…。

『それじゃあ、場所は…』

すると、Yも無意識なのだろう。俺をじっと見つめながら、ねむちゃんに話を続けた。

『…夏にライブをやった公園、覚えてる?そこのサイロが三つ、向かい合ってる丁度真ん中で待ち合わせない?目印は…大きな、クリスマスツリー。どう?』

俺は、Yを見た。

Yから聞いた噂。その場所にねむちゃんを呼び出した。

『…おい!Y!』

しかしYは、更に顔をしかめて人さし指を立てて、口につける。

『…いやさぁ。その公園で開催されるクリスマスイベント、明後日からだからさ。ちょっとピリピリした空気を和らげよう?…うん。よし、決定!それじゃあ、明後日の六時ね。時間厳守!それじゃ!』

そう言って、Yはスマートフォンを閉じて、ポケットに仕舞った。

『…そう言う事だから』

『…いや、どういう事だよ…!そんな所呼び出したら、バレバレじゃん!』

『…大丈夫、しっかりやれよ』と、Yは言いながら、ベースをケースに仕舞った。

『おい、Y…!こう言うのは、俺から誘わなくちゃいけないんじゃ…!』

『ったく、これから冬休みで学校でも会わない。部活も暫くやらない。だったら、俺から電話するしかねぇじゃん!』

『…ってちょっと待てよ。Y、お前どこ行くんだよ』

『なんだよ…!何処だっていいじゃねぇか!ってか、明後日は俺、行かないからな』

『…は?!来ないの?!』

『当たり前だろ?!じゃあな』

そう言ってYが音楽室の扉を開けると、『…あ。そうだ』と、振り返って、俺に言った。

『…ねむちゃんにはあの噂、教えて無いから』

Yはそうとだけ言って、扉をピシャリと閉めた。

『…ねむちゃんに…教えて無い…?って事は…』

ねむちゃんは、俺がコクるとは思っていないと言う事にはなる。が、そう言う問題ではない。

気持ちの整理が付かないまま、俺はただただ、Yが閉じた扉を凝視する。

俺は暫く、音楽室でただ呆然と立っている事がやっとだった。

Yの粋な計らい、と言うべきなのか。俺はむず痒い想いを内に秘めながら家へと向かった。

だが、家でも落ち着かなく、部屋にいながらも決して向かう事の無い勉強机に身体を置く。

告白など、俺はした事がない。

どう切り出そうか、俺は白い紙を机に置いて、ペンを持った。

『…何してるんだよ、俺』

今時、手紙に自分の思いの丈を載せて渡す奴が何処にいる。

俺は真っ白い紙をくしゃくしゃに潰して、ゴミ箱へと投げた。

『…んだよ、コレ。あー…告白かぁ…』

机に伏せた俺は、スマートフォンを開いた。

誰に相談しようか、俺は電話帳の一覧を眺める。

一番先に目についたのは葵ちゃん。いやいや、あんな状況で相談なんて出来る訳がない。

次には歩弓ちゃん。歩弓ちゃんはスマートフォンをラウスに取り上げられている。電話をしても意味がない。

後はYに山木、マリア先輩、エトセトラ。

駄目だ。誰にも相談出来る気がしない。

俺はスマートフォンを机の上をすべらせるように、雑に投げた。

『あー…。どうしよう…』

机の上に身体を伏せた俺が、窓に写る。

窓の向こう側でも、そんな俺が居るみたいだ。

そんな窓の向こう側の俺に同情をするように、俺はそいつに声を掛けた。

『…なぁ、どうすんだよ…。俺…』

すると、窓も開いていないのにも関わらず、少し風が入ったような気がした。

俺はそこで反射的に身体を起こした。

すると、どこからともなく突風が俺の周りを囲むように、吹き荒れる。

俺は思わず、両腕で顔を隠した。

隠した両の腕から隙間を作って、辺りを見回す。

すると、みるみる内に霧がかかっていく。

なんだと思いながらも、もしかして、と、俺は期待もした。

おい…カイガラ、お前なのか?と、声を出さずにそう問いかけてみると、『…そうだよ』と、そう聞こえた。

何処にいる…?

『後ろだよ、君の後ろ』

俺は回転する椅子なのにも関わらず、一度そこから立って、後ろを見た。

すると、周りの霧が、小さな子供の形だけをくり抜いたかのように、やっと姿を現した。

『久しぶりだね』

なんだよ、いつも会いたい時には姿を現さない癖に、いつも唐突だな。お前は。

『…本当に君が僕を必要とする時にしか、僕は姿を現さない。だって僕は、いつまでも君の胸の中にいるのだから』

なんだよそれ。この前、お前はカイガラだと、俺に言ったじゃないか。

『…でも、こうとも言ったよ?僕は君の一部でもあると。…でも、やっとこの時が来たんだね。…よく一つの光に絞れたよ。後は僕が力を貸そう。…そうだな、僕の事を彼女と会う時に、連れて行ってくれないか?』

…?どういう事だ…?

『…その貝殻を持っていくだけ。それだけでいいんだ。勇気を分けてあげるよ。…あ、そうだ。あと一つ、君に用意して欲しい物があったんだ』

…用意するもの?それは何だ?

『彼女が好きだという気持ちを持っていく事、忘れずにね。手紙じゃなくて、ただ、彼女が好きだと言う想いだけでいいんだ。その気持ちを持って行けば、それで十分だよ。…それじゃあ、僕は行くね』

おい!待て!ねむちゃんが好きだと言う気持ちは、もう持っているんだ!それを伝える術が欲しい…!教えてくれ…!

『…術なら、既にあるよ』

既にある…?それは何だ。

俺がそう胸で問いかけると、カイガラは俺の顔にひとさし指を向けた。

『君自身さ。それだけで十分。…他の物を彼女は望んじゃいない。余計な物を持っていくと、君自身の想いが重くなってしまう。重たくなると、受け取る彼女が大変だよ』

…ど、どう言う事だよ。

『…大丈夫。好きというその気持ちだけで、それで十分…。後は僕が後押しをするよ。…そうしたら、君は自然と口にしてしまうだろう。だから…』

おい…。待て、待てよ!

そう言って、その霧は晴れていった。

俺の気持ちは晴れていないと言うのに。

『…どういう事だよ…。俺にはさっぱりだ…』

辺りを見回すと、あんな強い風が吹いていたのにも関わらず、何一つ散らかってはいない。

俺は立ち上がって、机の上に目を向けた。

シャープペンシルが机の上で横になっている。

『…気持ち…か。上手く言えるか…自信が無い…。けど…』

俺はそのシャープペンシルを取ってペン立てにそっと立て掛けて、鞄に付けた貝殻を見た。

『…賭けてみるか…。俺の気持ちと言う奴に…』

俺がそう言うと、貝殻が少しだけ動いた気がした。

なんだか、今日はうんと疲れた。俺はそう思って、疲弊しきった身体をベッドに横にさせる。

眠りに付ける筈も無いと、分かっていながら。

 

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