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ひだまりの唄 33

十二月八日

 

次の日の朝、俺はいつものように顔を洗い、歯を磨いて、髪型をセットする。

朝は昨日食べられなかった残りなのか、けんちん汁とご飯に目玉焼き、そして、キャベツとアボカドと卵のマヨネーズ和え。

昨晩、食べていなかったからか、それらをペロリと食べ尽くした。

『ご馳走さま』と、手を合わせると、『お粗末様』と、母さんは皿を下げる。

俺は学生服に着替えて、鞄を背負う。

鞄を手にとっても、キーホルダーの音は、今日は鳴らない。

それ以外は何時もの朝、俺は靴を履いて、『行ってきます』と、声を出した。

『あら、最近早いわね。横室君、まだ来てないわよ?』

『途中で会うだろ。それじゃあ』

そう言って扉を開けると、そこにはYがもう来ていた。

『おう、マリー、ベル鳴らそうと思ってた所だった…』

そう言ったYを尻目に、俺は前へと歩き出していた。

『おい!マリー!もう…。おばさん、行ってきます!』と、Yは母さんに大きく手を振っていた。

素早く交差する足が止まらない。

俺はYから逃げるように、更に足を速めるも、Yはそんな俺の背後を右往左往しながら、俺に話し掛け続けた。

『なぁ!マリー!速いって。どうしたんだよ?』

そんな話を掛けるYよりも、更に遠くへ行こうと、俺は尚も足を素早く交差する。

『…なぁ、マリー。どうしちゃったんだよ。…あ!昨日の事、なんか誤解してるな?ねむちゃんとは別に何でもないってぇ』

Yが話を掛ければ掛ける度、俺の鼻息は荒くさせる。

まるで闘牛の様にYの言葉をヒラリと交わし続けながら、俺は前をひたすら早く歩く。

『なんだよー、マリー。言いたいこと有るならハッキリと言えよー。別にそんなに怒る事でも無いだろ?』

耳を塞がずとも、俺はYの言葉を右から左へ。

所謂、ムシを決め込みながら、俺はまだまだ足を速めた。

『…あ、実はマリー、ねむちゃんの事が好きだろ?くー…!気が付かなかったなぁ。もう、それならそうで、早く教えてくれよぉ!それじゃあねむちゃん、本人にも訊いてみようかな?』

そう言われた時、俺の速めた足がピタリと止まった。

振り返って、俺はYに思わずも、静かに怒鳴った。

『五月蠅いよ。Y、頼むから黙ってくれないか?』

すると、Yも立ち止まった。

『だって、ねむちゃんの事が気になっているから怒るんだろ?』

『…んな事…』

『図星だろ?素直じゃないな。マリーは』

『…いいから…!俺にはもう、関わるな…!分かったか!』

『マリー…』

図星だろ?と、的を射ぬかれたような。そんな気分だった。

俺はその勢いに任せて、過ぎた言葉を放つも、Yはそこから黙ったままだ。

俺は再び、足を速めて、学校へと向かった。

午前中の四時間もある授業が、全く頭に入って来ない。いつもの事だけど。

いつものようにYが此方へと来た。

俺は机に伏せたまま、窓に目を向けているも、だんだんとYが視界に入ってくる。

だが…。

『ねむちゃん、購買行かない?』

俺の真隣にいるねむちゃんに、声を掛けていた。

『…今日はお弁当、持ってきてるから…』

『…そっかぁ、残念』

Yは背中を向けたまま教室を出ていった。

俺が鼻から大きく息を吐くと、大きな影が俺の身体を覆った。

『おいおい、どうしたんだよ?お前ら』

その大きな影から声が聞こえた。見なくとも、山木だと直ぐに分かった。

『あぁ、山木か…』

『横室と喧嘩でもしたのか?』

『別に?』

『嘘言うなよ。今日は学校で一回も喋ってないじゃん』

『…たまたまだよ』

『嘘言うな。毎日カップルのようにべったりのお前らが一緒にいない理由なんて、他にない。分かりやすいからな。お前達』

俺は顔を伏せたまま、山木に『いいから俺に構うな。Yと一緒に、購買に行ってこいよ』と、投げやりにもそう言った。

『俺は行かん。弁当あるからな。日野こそ、弁当無いなら買いに行ってこいよ』

『俺はいらない。食べたくないんだ…』

すると、山木が机に凭れたのか、俺の机が微動した。

『…どうした。横室には黙ってやるから、話を聞くぞ?』

『…余計なお世話だよ』

俺が机から立ち上がると、山木がその後を追うように、『日野…!』と声を上げるも、俺は『ほっといてくれ、頼むから…』と、その山木の言葉ごと、振り払った。

『日野…』と、弱々しく言った山木の言葉が背中に刺さる。

しかし、俺はそれを気にも留めないように、教室から出ていった。

 

廊下に出てみれば、ワイワイと五月蠅い声に紛れて落ち着かない。

すぐにも静かな場所を探そうとした束の間、ふと、アイツの幻姿が俺の頭を過った。

そう言えば、キーホルダーは何処へ行ったのかと、俺はそんな喧しい声には目もくれず、下を向きながら歩いた。

もしかしたらと、部室である音楽室で、Yに鞄を捕まれた時に落としたのでは無いかと、思い出した。

下を向きながら、音楽室へと足を進める。

何も見つける事が出来ずに、音楽室前。

『やっぱり、無いか…』

俺は音楽室の扉に背中を預けて、ズリズリと身体を滑らせて、遂には尻もちまで付けてしまった。

『何処へ行ったんだろう…』

辺りをキョロキョロと目配せをしても見つからない。

情けなくも、俺はそこから立つ気力さえ、失われていた。

一言で言った。

『めんどくさ…』

そう言った時、よく目を凝らすと細くて白い線が二本、俺の目の前で縦に引かれてあった。

それに俺は目を擦った。

するとその二本が縮んだように屈すると、俺の目の前、顔を覗かれた。

『…隣、座ってもいいかな?』

少し、驚いた。目の前に突如として現れたのが、ねむちゃんだったから。

俺が黙って頷くと、ねむちゃんは隣に腰を下ろした。

『…あのぉ…。日野…君?岸弥君と、何かあった…?』

『…ハハ。別に、何でもないよ』

『…本当?』

『…うん、本当だよ』

『…そっか』

俺はねむちゃんに、それ以上も、それ以下も、言えないでいた。

『…私ね、日野君が何か誤解を生んでるような…。そんな気がして、追って来ちゃったんだけど…』

『…誤解…?』

ねむちゃんが恐る恐ると、チラチラと俺に目配せをしながら、言った。

『…昨日、ここの音楽室で…』

俺はそれに、ピクリと、勝手に動いて、『…いや、見なかった事にしておく…』と、ポツリと言った。

すると、ねむちゃんも、弱々しくも声を少しばかり張らせて『違うの…!』と、声を上げた。

『あれは…少しウジウジとしている私を、岸弥君が説教してくれてね?だから…』

そんなねむちゃんの弁解を耳にする度に、俺の疑問点は一つ、二つと、更には疑問が疑問を生んでいる。

だが、そんな疑問を全てぶつけたい所だが、その前に生れた疑問が『自分はねむちゃんのなんなんだ』と、自分自身に疑問が出てきた。

そんな自分が情けなく、ねむちゃんに言った。

『…大丈夫。…誰にも言わないから。俺は何も見てないから…』

『…え?』

『だから、そっとして置いて欲しいんだ…』

『日野くん…』

俺はそのまま立ちあがって、音楽室から離れて行く。

ねむちゃんは後で『日野くん…!』と、呼び掛けられるも、それに俺は反応もせず、ただただ歩いた。

そこで、俺は思った。学校での居場所がどこにも無いと。

何処に行けば一人になれるか、そんな事ばかりが頭を過ってしまい、仕方がない。

少し胸の蟠りを解そうと、俺はその音楽室とは反対である、体育館の長椅子に尻をつけた。

またそこで、深く溜め息を吐く。すると、気分こそは晴れないが、体の力んだ部分が、何処か楽になる。

しかし、そんな溜め息をした俺にまたも容赦なく、声を掛けて来た。

『コラコラ。溜め息をした所で、幸せが逃げていくだけだよ?』

俺はその人を足もとから徐々に見上げていった。

眼鏡をかけて、何処か凛とした、爽やかな立ち居振る舞い。これは何処か見た事がある。

『…あれ、貴方は…もしかして…』

『暫くぶりだね?元気していたかな?』

そこに立っていたのは、前生徒会長である、山田先輩だった。
『よいしょ』と、隣もずっと隣、間隔を空けて山田先輩は座った。

『部活、頑張ってる?』と、何気無く言ったのだろう。だが、俺はそれに返す言葉が見つからない。

『まぁ、君が頑張ってない訳がないか。愚問だったな』

俺はそれに『ハハ…』と苦くも笑いながらに言った。

『…いや、実はね?僕、陽田ちゃんと同じクラスなんだけど、陽田ちゃん、君達の心配ばかりするんだよ。だからさ、たまには顔を出したら?って言ってはいるんだけど…。あの子達なら大丈夫の一点張りで、行こうともしないんだ。…ったく、本当は心配で仕様がない癖にね』

椅子に座りながら、得意気な顔で手をポケットに入れて、天を仰ぎながら山田先輩が言った。

『心配…?何を心配してるんですか?』

『君達の先、じゃないかな』

『先…ですか?』

『将来だよ。将来』

山田先輩が息を吐きながらそう言うと、伸ばしていた座っていた足を曲げて、前傾姿勢になりながら、膝に肘を付けた。

『陽田ちゃんが目指している第一志望の大学、狭き門でさ。今、死物狂いで勉強してるんだ。僕は推薦だから、アンパイを狙ったんだけどね?陽田ちゃんは、どうしてもなりたい職業があるからって、そこに直向きになりながら頑張ってる。凄いよね、陽田ちゃん』

それを聞いて、やはりマリア先輩の情熱には勝らないと、痛感する。

俺はいつもやると決めても、その情熱を持続させる事が出来ない。

でもマリア先輩は、違う。

俺に話したあの夏の日からか。いや、それよりもっと前からなのかもしれない。

その日から、なりたい自分になろうと努力する。

そんなマリア先輩に今の俺を見てほしく無いような、そんな劣等感が俺を襲った。

そして、自分を卑下するように、俺は『フッ…』と、笑った。

そんな俺に山田先輩は、『どうしたんだい?』と、眼鏡をあげながら訊いた。

『…いや、少しだけ、自分自身が情けなく思っただけですよ』

『そんな陽田ちゃんと比べて、かい?』

俺はコクリと頷いた。

『君も何かあったのだろう。溜め息の理由までは聞く気はないけど』

そう言われると、手に輪を作りながら山田先輩から目を背ける事しか、俺は出来ない。

暫く無言が続くと、山田先輩は少しだけ笑った。

『…君が立ち上がった時、なにもかも変わるだろうな』

そう言い捨てた山田先輩は、椅子から立ち上がって、教室の方へと歩いた。

『…え?何が変わるんですか…?!』と、俺もその場で立ちあがり、山田先輩の背中にぶつけた。

『…何もかもだよ。何もかも』

よくは分からないが、山田先輩の言葉には全てを悟ったような。そんな風にも聞こえた。

山田先輩の背中を見届けながら体育館ホールの踊り場で立っていると、昼休みが終わる、チャイムが鳴った。

しかし、その合図が俺の耳には響いていなかったのか、そのまま突っ立っている事が、やっとだった。

 

 

 

 

 

 

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