ひだまりの唄 35
十二月十九日
期末テスト。四日間の内の最終日、明日から土日と休み、テストの返却期間が来週のまである。それから、終業式で、冬休み。
あっという間だ。ただ平然と息をしているだけだと言うのに、もう一年が終わりを迎えようとしている。
そんな一年の締め括りと言える今回のテスト、何時もより空欄が多い。
ヘタをしたら赤点にもなりかねない程だ。
いつもなら適当に書いて空欄を埋められるのだが、今回はそうもいかない。
なぜなら、ペンすら動かないからだ。
テスト期間だと言うこの四日間、ふと気を逸らすと、俺は自問自答を繰り返し続けている。
その自問にすら、答えられていないと言うのに。
今向かい合っているこのテストの問題に、その自問とやらが問い掛けてきても、俺は全て空欄でテストを提出するだろう。
そんな自分に渇を入れるように、俺は自分の両の頬をパチンと叩いた。
そしてペンを持つ。
『やめ!それでは後ろから集めて来て』
その途端に先生が号令を掛ける。
俺は『オワッタ…』と心で呟きつつ、俺の席の前の人に、空欄が目立った答案用紙を渡した。
しかし、これで窮屈なテスト期間が終わり、俺はひと息ついた。
今日はテストだけの午前授業、学校も終わりだ。
俺は授業道具を鞄の中へと仕舞うと、先生が声を上げた。
『はーい!これで二学期末のテストが終了となります。皆、お疲れ様。来週で今学期も終了となります。逆に言えば、まだ来週もありますからね!皆さん、帰りはくれぐれも事故には気を付けて帰って下さい!先生からは以上です!』
先生の話が終わると、皆、一斉に席を立った。
『先生~、さようならぁ』と、生徒は学校を出る。
その間、先生はプリントを揃えるようにトントンと、教壇の上で叩いた。
その前を俺はゆっくりと通ると、先生が突如として、声を掛けてきた。
『あ、日野くん。ちょっといい?』
俺はふと先生を見る。
『日野くん、これ、持ってくれる?』
俺にその整ったテスト用紙をドサッと手渡されると、俺は不服ながらに『…俺が持っていくんですか?』と聞いてみた。
すると先生は『いいじゃない。たまには先生のお手伝い、してみない?』と、昔ながらのアイドルばりのウィンクを俺にかまして、そう言った。
そんな先生の姿に、俺は少し呆れながらに従うしかない。
先生と廊下を歩く。先生が俺の前、つまり、俺に背中を向けながらも、顔だけを俺に向けて、先生が口を開いた。
『今回のテスト、難しかった?』
勉強もしていない俺は『はぁ…』とだけ、言ってみる。
『えー?授業でやった所だけを出したのに?』と、先生もからかい様に俺に言った。
そんな授業も録に聞いていなかった俺は、『記憶にありませんね』と、断言をした。
『それはそうよね。最近の日野くん、外ばかり見てるもの…』
そう言われれば、そんな気がする。
『…でも、先生も昔、外ばかり見てたな』
俺はそんな何気なく話し出した先生の話に耳を傾けた。
『先生もここの学校の卒業生で、出来たばかりの三期生だったの。一年生からこの学校にいたんだけどね?生まれも育ちも、ここだったの。そんな高校生活で先生ね…』
すると、先生が立ち止まって、俺の方を振り返りながら、『…恋してたんだよ?』と、恥ずかしそうに言った。
そんな先生に、俺は『…先生も若かったんですね』と、少し笑いながら言うと、『今だって!』と、ムキになって、そう答えた。
『でも、そんな先生の好きな人も、よく外を見てたの…。だから、先生もその人と同じ風景が見たくて、よく外を眺めてたな…。でもね…』
すると先生は声のトーンを低くしながら、俺に言った。
『二年のある夜…。合唱部に入っていた私は、練習が遅く終わって、教室に忘れ物を取りに戻って、ふと、窓の自分を覗き込んだの…。すると…』
俺はゴクリと唾を飲んで、『…すると…?』と聞き返した。
『急に窓から強い風がブワーッと入ってきて、私の耳もとで囁き始めたのよ…。君に、力を貸してあげる…。ってね…。先生、怖くなって、走ったわ。それも、無我夢中で…。するとね…?』
俺は妙な親近感が湧くその話に『…すると?』と、いつの間にか身体を乗り出して聞き返した。
『急に、バン!…って、何かにぶつかって倒れ込んじゃったのよ。…そして、そのぶつかった何者かに、『大丈夫…?』って、手を差し出されたの…。私はおそるおそると目を開けたの…。そうしたら…』
何となくオチが見え始めたその話に、俺は黙って耳を傾けた。
『先生の好きな人だったのよー!!先生ね、慌てながら、大丈夫です。って答えたの。そうしたら先生のその好きな人、『一緒に、帰りませんか?』って、言ってきたのよー!』
興奮冷めやらぬ先生が、まるで女子高生に戻った見たいに目をキラキラと輝かせながら、そう言っている隣で、俺はどこか、冷めていた。
『そして先生、その人と帰る事になって、彼が中々帰らないな、と思ったら、その彼ね?先生の家まで送ってくれて…。先生、思わず呼び止めたの。『待って…下さい!』って』
『…先生はその後、なんて言ったんですか?』
『呼び止めて、先生ね。『好きです…。付き合って下さい…!』って言ったら、なんと…!』
『付き合えたんですね。おめでとうございます』
そう言った俺に、先生は肩を落として、『…もう、オチ位、先生の口から言わせてよ』と口を尖らせた。
『そんな彼とは今でも続いてるんですか?』
『一応…ね。今では遠距離恋愛なんだけど…。続いてるっちゃあ続いてるよ?でも、あの時みたいな新鮮さはもうないなぁ…。先生の甘い思い出…』
『えー?!そっちの方に驚きですよ。結婚はしないんですか?』
『…あはは。彼にはやりたい事あるんだって。それに満足したら、かな?』
そんな話に付き合っていたら、いつの間にか職員室についた。
『…でも先生、思ったんだ。日野くんもそんな幸せを届けてくれる霊を見ていたのかな?なんて…』
俺は鼻で笑った。
『そんな奴がいたら、とっくに悩み事なんて、吹っ飛んでますよ…』
すると先生はまたからかったように笑って、『あ!…って事は、好きな人がいるんだな?』と、俺を小突いた。
『…え?!あ、違いますよ…!』
『顔に書いてるよ。本当に日野くんは正直者だなぁ。あ、前渡したプリント、いつでもいいからね。冬休み明けでもいいから、皆とゆっくり考えて。先生、応援してるよ!』
そう言って、先生はテスト用紙を俺から取った。
『日野くんだけにしか言ってない、先生の秘密、言って良かったよ。日野くんらしさが少し戻ったから、先生安心した。学校は勉強だけをする所じゃないんだから。…それじゃあ、日野くん。頑張ってね?先生、応援してるよ』
『…あ!だから、そんなんじゃないんですって!』と、俺が慌て様に言うも、それは既に手遅れで、『オホホ!』と、高らかな笑い声を廊下に残しながら、職員室の扉をピシャリと閉めた。
『…ったく、先生め』
でも、正直、驚いた。
先生も俺と同じような経験を持っていた事に。
俺は尚更、その『幸せを届けてくれる霊』とやらの正体が気になった。
『…アイツ、本当にどこにいやがるんだ…?』
そんな事を考えながら、俺は帰路に着く事にしたのだった。
『ただいまー』と、家に帰ると、母さんがスリッパをパタパタと音を立てて此方へと来た。
『あら、麻利央おかえりなさい。お昼、出来てるわよ。食べるかい?』
『あー、食うかな』
『あと、お昼食べたら一回お風呂入ってきて』
『なんでさ』
『あんたの部屋の掃除したら、年頃の男の子の酸っぱい匂いが充満してたのよ』
正直、有り難迷惑だ。
『…ほっとけ…』と小声で漏らして、俺は二階へと上がる。
テストは多分、赤点で補習も有るだろうと思うと、頭を抱えさせられる
『うぁ~…』と項垂れる頭からベッドへと倒れこんだ。
暫く、ベッドの羽毛布団に身体を包ませていると、ふと、先生の話が頭に響いた。
『先生も貝がら、持っていたのかなぁ…』
俺はその踞った身体を更に縮こませて、身体を丸めた。
ふと、夢を見る。
目の前には広大とした海が、前に後ろにと、その海面を揺らせている。
陸と海の境目、白い泡が境界線を引いている。
夕陽は水面に当たった光を散乱させ、さんざめく。
それが何処か懐かしかった。
目の前にいるのは、小さな子供が二人、砂浜で遊んでいた。
バケツ一杯に砂を蓄えて、そのバケツを逆さまにし、お城らしき物を作っている。
その一番高くの平たい所に、貝殻が二つ、刺さっていたのだ。
それを一つずつ、お互いが手に取ると、その巻き貝の空洞となる部分を、耳にあてがった。
鮮明に覚えている。俺が見ているこの夢は、確かに昔、Yと約束を誓ったあの出来事。
端から見ていると懐かしむ思いで一杯だ。
だが、おかしい。バケツなんて持っていなかったし、城らしき物なんてあの時は作っていなかった。
あの時は、普通にYと大きな貝殻と小さな貝殻を、砂浜を見て歩いていたら、偶然にも見つけただけだと言うのに。
しかし、そんな思い出に浸っている時だ。
急に小さいYが、もう一人の小さい奴、つまり、俺の持っている貝殻を乱暴に取り上げて、海へと投げたのだ。
俺はべそをかいてしゃがみ出すと、どんどんと砂と化し、崩れていって、遂にはそのバケツで作った城と同化してしまう。
俺はそれに腕を伸ばした。
だが、足が離れない。
一歩も足を動かす事が出来ない俺は『おい!』と声を荒げようとする。
しかし、声も出ない。
砂になった俺は、そのまま海の中へと引き摺りこまれるように、バケツで作ったお城ごと飲まれていった。
すると、小さいYが此方をジロリと睨みつけている。
俺はそれに息を飲んだ。
小さいYがその形相を向けたまま、一歩、また一歩と、近付いてくる。
逃げたくても逃げられない。
ゆっくりとした足取りで近付いてくるYに、俺は成す術もなく、ただ来るのを腰を引けながら迎えるのみだ。
すると、小さいYが、目の前に立った。
小さいYが、俺に小さい貝殻を見せつけてこう言った。
『…こんな物があるから、ダメなんだよ!』
そう言ってもう一人のYもその小さい貝殻を投げ捨てて、俺を見ながら、どんどんと砂と化していく。
俺はそれに、『Y?おい!Y…!』と呼び止めようとするも、何も声が出ない。
するとYはそのまま、砂となって消えていった。
胸の中で『Y…!おい、Y!』と叫び続けて、やっと声が出た。
『…Y!』
ガバッと起き上がってみると、いつも見慣れた部屋が暗くなっていた。
『なんだ…夢か…。胸糞悪い夢、見ちゃったな…』
俺が右手で頭を抑えてると、小さなノックの音が聞こえた。
『麻利央…?あら、起きてたのね』
母さんが俺の部屋の明かりを付けて、そう言った。
『母さんか』
『…もう、お昼ご飯が夜ご飯になっちゃったわよ』と、呆れながら言う母さんに、俺は『あはは、ゴメン』とだけ返した。
すると、母さんが徐に俺の方へと近付いて、ベッドに腰を掛けた。
『どうしたの?なんだか、うなされてたわよ?』
『…え?あ、ホント?』
『ええ、横室君の名前を呼びながらね。寝言で横室君の名前を呼び続けるなんて…あなたたち、何かあったの…?』
『…え?いや、なんも無いよ。本当に。まさか寝言言ってたなんて恥ずかしいな』なんて、俺は頭の後ろに手を回しながら、母さんには笑って見せた。
『そう…?それなら良いんだけどね…?お風呂、沸かしてるから、入るんなら入んなさい。ね?』
『…うん。ありがとう。そうするよ』
そう言うと、母さんはゆっくりと俺の部屋の扉を閉めた。
『…うなされるなんて…相当だな。本当、このままじゃ俺、だめだ。自分でなんとかしないと』
友達から先輩だけならいざ知らず、先生や親にまで心配させてしまうこの状況に、嫌気がさした。
やはり、なんとかしたいが、どのようにすれば良いのかなど、見当が付かない。
『今夜は寝られそうにないな…』
身体を温めて、頭を冷やそうと、俺は寝巻きを持って、風呂場に足を運んだ。
堕落していた、今までの自分を振り返る為に。
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