見出し画像

ひだまりの唄 22

九月十八日

 

―――あれから早くも六日が経った。

学校では次の日の体育祭の準備で忙しなさを見せている中で、俺は体育委員である山木のライン引きを手伝っていた。

中でもこう言った学校の行事に携わるのは面倒極まりない。

だが、どうしてもと言うのだから、仕様がない。

そしてじいさんはと言うと、体調は一定を保っている。

週一回はじいさんに顔を出している。

葵ちゃんも週に何回かは顔を出しているようだが、あれから直接は会っていない。

どうしているだろうと、少し気にかけてはいるが、どうも電話を掛けずらい。

そんな事を考えながらライン引きをしていると、山木が声を張った。

『おいおい!日野!どこまでいくんだよ!』

考え事をしながらラインを引いていたからか、下書き用のビニールテープでなぞらえているそれを、大幅に逸してしまった。

『…あ、やべ』

『もう、頼むよ。日野』

そう言って肩に手を掛けると、俺は何も言えないでいた。

『あ、そう言えば二人三脚のくじ引きでお前誰と当たった?』

『え?俺?見てない』

山木は深くため息を吐いた。

『普通それくらいチェックするだろう。それじゃあ、これ終わったら黒板見に行くぞ』

そう、日ノ出学園では『運動会前日くじ引き』と言うのがあって、練習無しの一発勝負を取り決める二人三脚が密かに有名なのだ。

それを帰りのホームルームでくじを引いて、番号を確認する。

そして、その番号を黒板に広げられている表と照らし合わせて、名前を入れる。

男女混合だから、それに現を抜かす人も少なくないのだ。

まぁ、山木はそれに概してはいないが。

『うっしゃ!出来た!それじゃ、行こうぜ。日野』

ライン引きを校庭の済みにある物置きに閉まって、校内へと足を運んだ。

去年はYと当たったのだが、今年は誰だろう。

『誰と当たるんだろうな。わくわくしないか?』

『…いや、別に…』

『何だよ、つまらんな』

『山木は誰と当たったんだ?』

『俺?俺は今年は横室とだ』

『Yとか。まぁ、去年は悲惨だったからなぁ…』

『あぁ、確かに!お前ら、本当に幼馴染みかって位、息があわなかったもんな。まぁ、大丈夫だ。今年は俺と横室で一等もらうから』

『いつにも増してやる気だな…』

『ったりめーよ』

そんな会話を交わしながら階段を上る。

教室の前のスライド式の扉を開けると、黒板に大きな表が覆っていた。

その表には番号がふられてある。

『お前、何番だ?』

山木がそう言うと、ホームルーム最後に引いたくじをポケットからまさぐり出した。

『二七番』

『二七番…えーと…ここだ』

隣の番号には十四番と記されてあった。

『名前書いとくぞ。日…野、と。あれ?』

『どうしたんだよ』

『ホラ』と、山木は十四番に指をあてる。

すると、その下には名前が書かれていた。

そして、山木がそれを読み上げた。

『…霧海ねむ…。ねむちゃんだ。うわ、日野と当たるなんて、かわいそうだ』

『え?』と、俺は耳を疑った。

しかし、表を幾度となく見つめても、確かに書いてあるのはねむちゃんの名前だ。

『俺の二人三脚の相手…。ねむちゃん…と?』

俺は何度も十四番の下の名前を見返した。

だが、やはり間違い無い。ねむちゃんの名前はしっかりと書かれている。

山木はそれに目を細めながら俺の肩に腕を置いて『大丈夫か?日野。隣で焦ってコケるのが目に見える』と、口もとは少し笑っていた。

『だ…。大丈夫だよ…!変な心配すんな』

『変な、は心外だな。結構真面目に心配してるんだが』

肩に置いた腕をグイッと山木の体に近付けられた。

山木はキョロキョロと辺りを見渡しながら、俺に耳打ちをした。

『なぁ、最近のねむちゃん、結構男子からモテ始めてるって噂を耳にした。嫉妬の矢がお前に吹き荒れなければいいがな』

『…誰から聞いたんだよ』

『…さぁな。じゃ、頑張れよ』

山木は俺の肩をバンと一つ強く叩いた。

『イタッ…!』と、肩を庇う俺を心配する事も無く、山木は教室から出ていった。

ねむちゃんか。俺からすれば、嫉妬の矢よりも気にかかる物が一つある。

それは、部活そのものだ。

ねむちゃんもYも、いつでも演奏出来る様に練習を怠らずに頑張っている。

しかし、最近の俺と来たら、あまりにも酷い体たらくで、部活に精を入れられていない。

あれから部室には通ってはいるのだが、次の目指すべき活動も見出だせていない。

これではいけまいと、自分にムチを打って演奏場所を探しても見つけられていない。

そんな状態でねむちゃんと二人三脚を組んで、上手く行くのか、とてもじゃないが自信がない。

俺は取り敢えず、自信を取り戻す意も込めて、部室へと足を運んでみた。

ガラガラと部室を開けると、やはり、いた。

Yが窓枠に腰をかけながら、そして、ねむちゃんはドラムチェアに腰を据えて練習に励んでいた。

『あ、マリーじゃん!山木の手伝い終わったのか?ご苦労さーん!』

『日野くん!お疲れ様!』

そんな二人の笑顔が今の俺には胸が痛かった。

『あ、ありがとう。二人とも』

『いやー、でもさぁ、俺たちも練習バカだよなぁ。明日体育祭だってのに部室で練習してんだぜ?』

『アハハ、本当だ』

ねむちゃんもYも、普段となんら変わらず、装いが無い。

俺はギターバッグを手にとって、ギターを取り出し、椅子に腰を置く。

一人でギターを鳴らしていると、Yが言った。

『そう言えば、マリーは二人三脚、誰と?』

そう訊かれた時、胸が飛び出しそうになった。

『俺は山木とだよ。いやー、絶対俺、引摺り回されるわ…』

『そんなに凄いの?山木くん』

『そうだよ!あいつの怪力半端ねぇんだから!』

お腹を抱えながら笑って、Yがねむちゃんと話し合っている傍ら、俺は違う意味でお腹を抱えたい。

『…で、マリーは誰と当たるんだ?』

『う…うるせぇな。誰とでもいいだろ?』

『え…?もしかして番号確認してないとか…?』

『そ…そんなんじゃないけどさ…』

『もう、じれったいなぁ。ま、いいや。ねむちゃんは誰と?』

するとねむちゃんは空を見て、口元に人さし指をあてがった。

『そう言えば…。誰とだろう…』

『えー?!二人とも確認してないのかよぉー。どれ、教室行ってみようぜ?』

Yがそう言った瞬間に、俺は飛び上がるようにその場を立って『いや!待って…!』なんて、思わずも声が出た。

『何でだよ。誰と二人三脚するかって、大事な事だろ?早く確認しないと…』

『いや、そうじゃなくて!…俺、なんだよ』

『へ?』

『だから!ねむちゃんの二人三脚の相手、俺、なんだよ…』

Yは腰を浮かせた様に立ち上がってまたも、『へ?』と、声をも上ずらせた。

すると途端にもねむちゃんは胸を押えてしゃがんでしまった。

『…あれ?ねむちゃん?』と、Yは驚き戸惑いながらも、ねむちゃんの肩を支えた。

『あ…。ごめん…なさい』

ねむちゃんが屈みこんで、立てそうになさそうだった。

どうしたのだろうと、俺が声を掛けようとすると、Yが声を発した。

『わりぃ。今日、部活中断していいか?』

『…え?』

『いや、ねむちゃん、保健室まで連れてってやらないと…。辛そうだし』

『あ、あぁ。いや、いいけど…』

Yがゆっくりとねむちゃんの身体を起こして、保健室まで連れていった。

俺には何が何だか、分からなかった。

急に胸を抑えてしゃがみこんでしまうなんて、俺には唐突過ぎて、状況把握が出来ないまま、部室でポツリ。

折角出したギターをケースに仕舞って、ついでのついでだ。Yのベースと、ドラムセットも静かに仕舞った。

それが少し切なく、仕舞いたいのは道具だけではない。

ねむちゃんを意識過剰となっている自分自身も、胸の内にしまっておきたかった。

だが、そんな意識はやはり無下になる。俺は黙してギターケースを背負って、部室の扉を締め切った。

部室の前、俺は天を仰いだ。

廊下の天井には、二本の蛍光灯が俺を照らしている。

その目下、俺はどうすればいいか、直ぐに検討は付かないが、取り敢えずねむちゃんの心配が募った。

俺は無意識にも保健室へと歩を進める事にした。

ギターバッグと鞄を背負っているからか、軽く猫背になりながらも、俺は保健室の前まで来た。

ドアの取っ手に手を掛けようとしたその瞬間、保健室の先生とYの話声が、板一枚を挟んで、俺の耳まで届いてくる。

『…あ、それはもしかして…』

『いや!先生!それ以上はシー!内緒です!』

『何でよ。素敵じゃない。霧海さん』

Yとねむちゃんの事だと、直ぐに分かった。

が、その先を聞くのが何となく怖くて、俺はドアに背を預けた。

『霧海さん、その胸の傷みはここで癒す事は出来ないわ。ただ、休める事は出来るから、ゆっくりしていって大丈夫。ね?』

ねむちゃんが悩んでいる。

何に悩んでいるのか、その先が知りたくて、俺は一度ドアに背を預けたまま、取っ手に手を掛けた。

しかし、中々それをスライドさせる事が出来ない。

興味本位で開けていい扉ではないと、俺は自分に言い聞かせる様に、取っ手から手を離した。

俺はそのままギターバッグを背負い直して、廊下を歩いた。

そして、下校途中、俺は天を仰いだ。

日の光が容赦なく俺に注ぎ込むが、俺は何処か日陰があれば入りたい気分だった。

そんな気分になった時、ふと頭に過るのがウタナのじいさんだ。

なんとなく、頓挫した時はいつもウタナナタウのエスカロップを食べながら、じいさんに話を聞いてもらってる。

が、そんなじいさんも今はいない。

ウタナナタウも閉店している。

本当に行き場が無くなった様に感じて、俺は辺りを見渡した。

すると、直ぐ側に公園があった。

ブランコが風に押されて揺れていた。

そのブランコを見つめていると、あの日の事を思い出す。

Yが俺に思い切って想いを寄せてる事を打ち明けたその出来事を、だ。

そう言えば、Yはマリア先輩に想いを寄せてるといいつつ、ねむちゃんとばかり一緒にいる。

それがどうも不信感を煽らせる。

そんな思考が交錯しながら、そこから俺は目を背けられずにいると、ブランコの揺れが段々と強くなっていった。

俺はそれに目を凝らした。

すると、急に風が吹き荒れた。

風で扇がれ、四方八方から身体を押されるのを、踵を踏みしめて堪えていると、それ以上の風力で俺はブランコの前へとにじり寄らされる。

ブランコが大きく揺れているその真ん前に、霧が勢いよくかかっていく。

まだまだ風力が増す。落ち葉や枯れ葉が大きく渦を巻くように揺れ動く。

それをかろうじて確認をしながら、大きく揺れているブランコに目を配った。

流石に目も留められない。俺は顔を覆って風が止むのを待とうとした。その時だ。

『久しぶりだね』

ブランコから、声が聞こえた。

『君が寂しそうだから、出てきちゃったよ』

お前は…カイガラか?

『行き場を失っていたから、道標をさそうと思ってね』

道標?それはどこだ。

『でも、本当は君の行き場など失っていない。君の単なる独り善がりな思慮が、出口の見えない森に独りで入って行ってるだけだよ。…君の親友はやはり親友さ。君が寄り添ったから、君に寄り添おうと孤軍奮闘してる』

…え?親友って、Yの事か…?

『大丈夫だよ。君は一人じゃない。皆も、僕もついるよ。だから…』

おい、行くな。

『だから、力に…なるよ…』

行くな…!

そう、胸の内で叫び散らかしても、風は収まって、落ち葉や枯れ葉は遥か彼方へと飛ばされて行った。

俺はその行く末をただただ見守るだけだ。

急に力が抜けて、いつもの様に尻もちをつきながら、ブランコが段々と弱く揺れているそれに目を留めた。

『あいつ…。本当に嵐の様に現れて、嵐の様に去っていくな…』

空しくもキコキコと軋む音を耳に、ただただ茫然とブランコを見つめる他無かった。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?