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ひだまりの唄 41

一月二十一日

 

冬休みも終わりを迎えて、今日は三学期初日だと言うのに、冬休みの浮わついた気持ちがつきまとって、離れていないのか。

夏の真っ只中って訳でもないのに、紺の短パンと白い半袖で、俺は浜辺の砂の上に、ただ茫然と立っている。

『…ここは…?』

風が心地よく吹いて、果てしなく続いている虚空に手を翳す。

蒼天の空。目の前には広漠とした海がある。だが、それだけだ。

俺はその海に近付いて、海水を思いきり振り上げた。

すると、何故かギターを一弦から六弦まで、何も押さえずに鳴らす音そのものが聞こえた。

『…え?なんで…?』

俺は左の掌を広げて、しっかりと目視すると、冬休み中に、久々ながらも毎日のように練習しているせいなのか、タコが何個かぶつぶつと出来ているのが分かった。

そして、やはり海水に触ったのだろう。掌はちゃんと濡れていた。

夢だとしたら、こんなにも現を写すだろうか。

だが、今は冬だ。こんな格好をしても尚、心地がいいと言う事はこれは正しく。

『夢だよ』

俺は声の鳴る方へと振り向いた。

そこにはマッシュルームカットをした、俺の腰位の背丈の坊主が、俺と同じく、白い半袖と紺の短パンを身に着けて、立っていた。

『…お前…』

『久しぶり…だね』

ソイツが、ゆっくりと、振り向いた。

『…僕は、カイガラ、だよ』

いや、カイガラではない。

それは奇しくも、歴とした、小さい時の俺の姿だった。

『…お前…俺…だったのか…?』

『…何を今更言ってるんだよ。最初から言ってたじゃないか。僕は、君だってね』

『…なんで…お前が、此処に…?』

『お別れを言いに』

『…お別れ…?』

『…そう、もう僕達の役目は果たされたから、今日で、お別れ』

『僕達…?』

『そう、僕達。…つまりそう言う事さ』

つまり、どういう事なのか。そんな夢中説夢をされても、俺には到底、理解し難い。

『君は四つの光を一つに絞る所か、それぞれに道標を示した。…そして、君自身にも、もう迷いが無くなった…』

そう言えば、こいつはずっと光りがどうのとか抜かしていたが、それもよく俺には分かっていない。

『お前、よく光りがどうのって言ってたけど、それってどう言う事だよ』

『君を支えてくれる光り、だよ。でもその光りはとても優しく、君に甘い。その誘惑に負けよう物なら、それを一つに絞る所か、幾つもの光を求めて、フラフラと行き来をしてしまう物なんだよ。人間って、そう言う物』

『…なんだよ、お前が話す事って、いつも説教くさいというか…。説法みたいで、俺には到底理解が出来ないな』

『…分からないなら、分からないままでいいよ。…でも、分かっていないまま、君は君を見つけたと言うのか…。なんだか、悔しいな』

俺は腰に手をあてて、頭を掻いた。

『そっか…。もう君の中に、僕はいないんだね…』

『…あ?』

『君は無意識にも、僕を求めていたんだ。だから、僕はずっと君の側にいた。…でも、迷いが無くなった今、君はもう一人じゃない…』

俺はひたすら頭を掻いて、『あー!もう!』と、両手を腰にあてて、一つ、説教をし返した。

『俺は最初から一人じゃない。皆がいる。Yや山木に葵ちゃんに愛弓ちゃん、マリア先輩や山田会長、サップに葵ちゃんのお父さん。そして、父さんや母さん、妹に弟、ウタナのじいさん、それに…ねむちゃんだって…。皆が俺を支えてくれたように、俺も皆の力に成りたいって、そう思ってるんだよ。だから、俺は孤独なんかじゃねぇ!』

『…そっか…安心したよ…。あの面倒くさがりのマリーは、もう居なくなったんだね…』

『…え?』

『…君は常に孤独だった。だから、僕が君の力になって…』

『あー!』と叫びながら、俺がそのもう一人の俺に向かって指をさすと、もう一人の俺はハッとした顔を浮かべて、此方を見た。

『後!力になる力になるって、お前はいつも豪語してたけど、何の役にも立たなかったぞ!いつも自分のタイミングで出てきては説教して帰るだけで、お前の事を心から役に立ったって思えたの、ほんのこれっぽっちも思わなかったんだからな!…ったく、これだけは絶対に言おうと思ってたんだよ』

すると、そのもう一人の俺は、何も言わずに黙ったまま、俯いた。

『…それじゃあ、これだけは一つ、言っておこう』

『なんだよ』

すると、ふっと顔を上げて、もう一人の俺は言った。

『僕は、風だ。風を操る、魔法使いさ』

『…は?』

『…君があの時に耳にしたのは、風の音って事さ。煙がない所に火は立たないように、風の無い所に音は鳴らないんだよ…。それじゃあ、僕は行くね…』

すると、小さな俺はくるりと振り向き、ひたすら海に向かって歩き出した。

『おい、待てよ…!まだ言いたい事が山程…』と、その後を追おうとするも、砂の上で張り付い俺の足が離れようともしない。

すると、その浅瀬に足首を浸かったもう一人の俺は、此方を振り向き、また、言った。

『…孤独じゃ無くなった君に、僕は言う事なんか何も無くなったよ…。僕はただ、孤独の君に『助ける』ように見せて、ただ『悪戯』したかっただけなんだから…』

そして、もう一人の俺は、ゆっくりと、口元を動かして、『さ、よ、う、な、ら』と言った。

そこで、今度は突風が吹き、大きな津波が現れて、もう一人の俺を襲おうと、迫ってくる。

唐突にも起こったこの緊迫な状況で、俺はもう一人の俺に駆けて行きたかったが、足が動かない。

『…おい、カイガラ…。待てよ…!カイガラ、カイガラ!』

『カイガラーーーー!』

俺はそこで布団をガバッと持ち上げ、身体を起こした。

はぁはぁと、肩で息をしながら、俺はベッドに座っている。

『…ゆ、夢か…』

俺はふと、机の上に乗っている鞄に目を向けた。

相も変わらず、小さな貝殻は俺の鞄に吊るされて、揺れている。

俺はベッドから降りて、その貝殻に耳を近付けた。

不思議と、音が何も聞こえない。

『…あれ?おかしいな…。何も音がしないなんて、無いのに…』

すると、今度は小さく声が聞こえる。

『…え?』

俺はその声に、じっと、耳を傾けた。

 

その貝殻に耳をあてると、貝殻の奥の方から、がやがやと騒ぎたつ音が聞こえる。

それは紛れもなく、多人数の人の声だ。

しかしその中でも、ほんの微かで聞き取りずらいのだが、喋り声が聞こえる。それは、か細く、高い声だ。

何処かで聞いた事がある。それに、花火が大きく打ち上がる音も聞こえてきた。

耳を凝らして、それに集中する。

その甲高い声を頼りに、まるで、乱雑に散らばった箱の中に手を入れているように、俺はそのガヤガヤと騒がしい声を掻き分けた。

そしてやっとの事で手に触れるように、その微かな声を聞き取る事が出来た。

『…アハハ、何で、泣いてるの?』と、そこから聞こえる。

『…何でだろう…。分からないよ…。でも、凄く嬉しいんだ…』

これは、ねむちゃんと俺の声だと、貝殻に耳を強く押しあてながら、更に耳を凝らす。

『日野くん…。私も…。私も、凄く、嬉しいよ…。日野くん…』

『あ、アハハ…。ねむちゃんも泣いてるじゃないか…』

『…あ、アハハ、本当だ。何でだろう…。貰っちゃったのかな』

それを聞いて、無くなっていた記憶の断片を、やっと見つけた気がした。

そうだ、俺はここで抱き締めたねむちゃんを、離したんだ。

『…花火、綺麗だね…』

『…うん』

『…ねぇ、日野くん。さっき、私を助けてくれたの、二度目、だね』

『…え?…あ、あぁ…そうだったっけ?』

コレ、本当は覚えていたんだけど、わざと惚けたんだよな。

『…うん。そうだよ?私が初めてこっちに転校した時も、助けてくれて、友達になれたんだよ。そして…』

そうだ。ねむちゃんは潤んだ瞳をしっかりと拭き取って、ニコリと、その花火よりも綺麗な笑顔を浮かべてくれたんだ。

『私たちが付き合う初めての日も、日野くん、私を助けてくれたね…。…日野くん、大好き』

俺は何故か、この先を思い出したく無いような、そんな気がした。

『…ねむちゃん…』

そこで、俺はハッとしたんだよな。

『あぁ…!そうだ!ゴメン!俺、クリスマスプレゼント何も用意して無かった…』

『…あ、私も…。まさかこんな事になるなんて、予想もしてなかったよ…』

俺は何故あそこであんな事を言ったのか分からないが、でも、そのくらい、ねむちゃんが好きなんだよな。

『…だからさ、ここで…クリスマスプレゼントを渡したいんだ…』

『…え?用意して無いのに…?』

『…そう…。目、瞑って…』

ねむちゃんは、静かに瞳を閉じた。

そして俺と来たら、そこでねむちゃんの両の肩に、そっと手を置いたんだ。

『…ねぇ、ねむちゃん、知ってる…?』

『…ん?』

『…ここで恋が実ったカップルは、永遠の愛が約束されるんだってさ…』

そこで、ねむちゃんは目を開けちゃったんだよな。

『…え?それってーーー』と、ねむちゃんが言ったその時だ。

俺はねむちゃんの唇にそっと…。

やはり駄目だ。『だぁーーーーー!』と、俺は声を乱暴に上げて、貝殻から耳を離し、放り投げてしまった。

何でこんな事をしたのかと後悔したが、後の祭りだ。

『…何でこんな声が聞こえるんだよ…!』

そこで、ふと、思った。

俺は記憶を無くしたのではなく、カイガラに取られてしまっただけだったのかと。

そこで、もう一度、俺は貝殻を拾って、耳をあてた。

だが、本当にもう何も聞こえない。

『…ったく、アイツ…。最後の最後で、最高で最悪な悪戯をしてくれたな…』

俺は顔をひきつらせて、その貝殻にそう言ったのだが、もうアイツにはその声が届いていないと悟ったのも、この時だった。

『麻利央ー?!いつまで寝てるの?!今日から学校でしょ?!横室くん、来てるわよー!』

懐かしくも感じる下から聞こえてきた母さんの声。

俺はそれに『あー!起きてるよ!今行く!』と、一つ返事をした。

俺は急いで階段を下りてYに挨拶をかました。

『悪い!今急いで準備するから!』

『なんだよ。まだ準備してなかったのか?早くしろよ!』なんて、何時もならそう言う。

だが、今日は『うん。分かった…』と、少し覇気が見られない。

準備を一頻り整えて、俺は玄関で靴を履く。

『それじゃあ、行ってきます!』

『行ってらっしゃい!横室くん、麻利央を頼むわね』

『…え、あ、はい』

なんだ?Yの様子が尚更おかしく感じた。

Yと肩を並べて登校するのは、実に久しぶりの事だった。

冬休みの期間は部室集合で、毎日通しで練習をしている。

それも、マリア先輩が作った、あの『ひだまりの唄』だ。

段々と形に成って、Yもお得意のアレンジは、今回は入れず、マリア先輩の符の通り、演奏をしている。

そこに、Yの気持ちの入り用が分かるのだ。今回はY、本気だ。

俺もそれに応えるべく、練習を重ねている。

『なぁ、Y。今回、ワクワクするな!なんかこう…三人の一体感と言うか、そう言うのが生まれてる気がするんだよ。三位一体ってヤツ?アハハ、なんか、早く本番来いって感じだよな!』

『…あぁ』

『…マリア先輩にだけの、スペシャルライブ。絶対失敗しない。なんか、夏祭りよりも緊張するよ。…ワンマンライブなのにな』

『…そうだな』

『そう言えば、マリア先輩、センター試験終わってるよな。どうだったんだ…』

『なぁ、マリー』

俺はフイっと、振り向いた。

『今日さ、学校終わったら…付き合ってくんね?』

やっぱり、だ。Yの表情に、少しだけ曇りがある。

俺はそれを晴らしたい一心で、一つ、頷いた。

そう、今度は、俺がYに力を添える番だと、この時、腹を括った。

休み明けの学校の初日は、本当にあっと言う間だ。

始業式、ホームルーム、三学期末のテスト要項。それらを先生が捲し立てるように進めていくと、もう下校の時間。

まぁ、明日から通常の授業で、それも一ヶ月と間もなく、期末テストがあるのだが、それは一先ず置いておこう。

それが終わると、またも終業式で、春休み。

その春休みの間に、卒業式が待っている。

その卒業式は、俺達三人にとって、大事な意味を要している。

そこが俺達、軽音楽部の今学期最後のラストライブだ。

そう、泣いても、笑っても。

そんな大事な時に、Yときたら、深刻な面持ちで俺に話掛けてきた。

『…なぁ、マリー。一緒に帰ろう』

すると、ねむちゃんは不思議そうに此方を見る。

『…あれ?今日は練習、しないの?』

『…あ、あぁ…。今日は…』とYが茶を濁そうとしている所、『今日は無し!明日から本格的な練習を始動する!俺もしっかりと指導するぞ!』と、俺が切り出す。

『…』

『…』

が、誰の反応もない。

『…?あれ?面白く無かった…?』

『今のは…日野くん、親父ギャグを通り越して、おじいちゃんのギャグって感じかな…』

『…えー!そこまで言う?』

すると、ねむちゃんが鞄を背負って『それじゃあ、日野くん!一緒に…』と、言うが、それにパチンと両手を合わせて、『ゴメン!ねむちゃん、今日は一緒に帰れないんだ。ちょっとYと話がしたいんだよ。本当、ゴメンね!』と、言うと、ねむちゃんが少し唇を尖らせた。

『…なに?二人の秘密…?』

『…あー…と…。そんな感じ?』と、俺もよくは分かっていない。

『…行こう』と、業を煮やしたのか、Yが鞄を背負いながらも、俺の腕を強引にも引っ張っていく。

それにズルズルと引きずられながら、『本当にゴメン…!明日から、明日からちゃんと一緒に帰れるから…!今日は…今日だけは…本当にゴメン…!ゴメンねー…!』と、情けなくも、教室から出ていく他無かった。

ズルズルと引きずられたまま、俺は学校の外へと抜けた校門前、『ちょっと…もういいだろ?』と、俺はYに掴まれた腕を振りほどいた。

すると、Yはその場で立ち止まった。

『…なぁ、Y。どうしちゃったんだよ。またお前らしさが抜けちゃったぞ?』

『なぁ、マリー。これからさ、ちょっとだけ、浜辺に行きたいんだ…。良いかな…?』

此方も見ずに、背中を向けたままそう言ったYに、俺はゴクリと生唾を飲んだ。

黙々と、Yは歩き続ける。俺はそれに従う。

Yが何を思っているのか、俺は全く検討もつかないまま、その雪原とも似た砂浜に、ザクザクと足跡を付けた。海は凍ってはいない。しっかりと、波打っている。

Yは背中を向けたまま、じっとその広大な海を見ている。

そして俺は、その広大な海を背景に、背筋を立たせたYを見つめた。

『…Y、お前…』と、俺が話し掛けた途端に、Yも口を開いて、『懐かしいよな』と、そう言った。

『…え?』

『…覚えてる?マリーとここで貝殻を拾って約束した事』

『…あ、あぁ。勿論…』

『…ここでさ、俺、マリーと一緒に、魔法使いになろうって、そんな子供っぽい事、言ってたよな』

『…まぁ、現に子供だったしな。あの時…。それがどうしたんだ?』

すると、Yがクルリと振り向いて、『…俺、ちゃんと魔法使いになれたかな?』と、そう訊いてきた。

俺は『あぁ、Yのアレンジはいつもピタリと嵌まる。まるで魔法のようにね!』と、笑いながら、そう言うと、Yは安心したのか、表情を緩めた。

その直ぐ様、『俺は?』と、聞き返すと、『どうかなぁ!』と、大きく声をあげた。

『…なんだよ、それ!』

『…アハハ!嘘だよ、嘘。マリーは…俺の魔法使いさ。だって…』

すると、Yは鞄を揺らせながら、それに付いている貝殻のキーホルダーをちらつかせ、『…この波の音に気が付いたじゃん!その時から、マリーは俺の魔法使いだよ!』と、言う。

俺は駆け足でYの隣に立つと、Yは鞄のキーホルダーを、鞄から千切り離した。

それに驚いて、俺は『…え?!』と声をあげると、『ホラ、マリーも!』と、肩を叩いた。

俺は少し躊躇するも、それに応じて、Yと同様に、貝殻のキーホルダーを千切り離した。

Yが千切り離した貝殻に耳をあてて、『もう、音がしなくなっちゃったよ』と呟くと、俺もそれに合わせて、貝殻に耳をあてるも、やはり、あれからその波の音が聞こえなくなった。

『…俺も、聞こえなくなったよ』

そう言った俺に、『行こうぜ』と、手を招く。

『おい、ちょっと、Y!冬の海に入るのは…!』

すると、Yはその海の浅瀬に足を入れて、『うっわー!冷てぇー…!』と、身震いをした。

当たり前だと、正直、思った。

『ほら!マリーも入れよ!』

『…え?はぁ!?俺も?!』

『当たり前だろ!ほら、早く!』

Yにそう言われて、俺は足を浸からせると、信じられない位に固まりそうな足を、直ぐ様出したかったが、この調子のYなら、その海水を思いきり掛けてくるに違いない。

そう思って、俺はひたすら耐えた。修行僧にでもなったつもりで。

するとYは、海水の上に、その貝殻を静かに置いた。

『…Y?』

『…もう…あの時の俺と、決別するよ。子供の時の思い出は、この海がちゃんと覚えてくれる…』

『なんだよ…それ』

『だって、俺にはマリーがいるから』

それに、俺はふと、笑みを浮かべて、俺の手に持っている貝殻を、俺も、そっと海水に置いた。

ゆっくりと浮かんだその貝殻は、緩やかな波に揺られて、流れていく。

そして、大きな貝殻と小さな貝殻は、互いにぶつかって、しかしそれが助け合いにもなりながら、海路を共にしていったそれを見ながら、俺も言った。

『…俺も、Yがいるから…』

しかしそう言った時、Yは突然にも、『うっわ!やっぱ寒い~!ムリムリ!』と、海水から足を出した。

『いや、そんなの入る前から分かってたろ…!無理だって…!』と、俺もそう言いながら、海から出た。

冷たく悴んだ足をばたつかせながら、靴を履いていると、Yがそんな俺の肩をがっしりと掴んで、矢庭にも俺に言った。

『なぁ、マリー。俺がマリーって呼び出したの、ここで約束した次の日からだろ…?何でか、知ってる?』

『…なんで?』

『…ただ単に、麻利央だから、じゃないんだぜ?それは、この広大な海は…』

『この広大な海はマリーン…。偉大な魔法使いはマーリン…。カイガラの音を聞いて、その広大な海の波の音に気がついた俺は、マリー…』

すると、Yは驚き眼で俺を見た。

『…ってね?』と、俺はYに笑って見せた。

するとYは『変な奴…』と、俺を一瞥するも、ニコリと笑った。

俺とYは、静かに波を打つその光景を、黙って見張る。

それを飽きる程見てきた筈が、今は新鮮味すら感じられる。

何故かは分からないが、胸の中にあった鬱蒼とした蟠りが、今となっては空を巻いて晴々として、とても和やかだ。

やはり、気持ちが晴れていると、この冷たい潮風すら、心地よく思えてくる。

そんな夕陽で照らされた海風に当たっていると、Yは静かに口を開いた。

『やっぱりさ、俺、お前に嫉妬してたのかもなぁ…』

俺はそんな海から、Yを見た。

『…だってさ、俺が好きになる人、みんなマリーの事が好きなんだぜ?』

俺は風に当たりながら、ゆっくりと沈む太陽を見つめた。

『…ねむちゃんの相談受けてたって言ったろ?マリーに対する真摯な気持ちが伝わってさ…。俺、マリーが段々羨ましく思えた…。まぁ…今だから言うけど…俺…』

俺はYがそう言った時、ふと、Yを見た。

『…ねむちゃんに、気持ちが揺らいでたのかもしれない…』

俺はその時、目を大きく広げた。

『…だから、本当は、マリーからねむちゃんを奪う気持ちが、何処かにあったんだよ』

するとYは、目を大きく広げた俺の顔を見て、少し慌て様に言った。

『…え?いや!今はちゃんとマリア先輩が大好きだ!誤解しないでくれよ…!』

だが、そうか。Yの言葉を思い返してみると、ねむちゃんから相談を受けていたのは春頃からだと言っていた。

Yは去年からずっと密かに想いを寄せたマリア先輩への気持ちが、だんだんと移ろって来ていたんだと。

だから、俺にマリア先輩が好きだと言っていた時は、Y自身に言い聞かせる為だったのかもしれないなと、今になって漸く、Yの気持ちを汲み取る事が出来たような気がした。

『…だから、マリーの事が言えなかったんだよ…』

『…え?』

『マリーもさ、歩弓ちゃんや葵ちゃん、マリア先輩に振られたように、俺もねむちゃんに気持ちが傾きつつあったんだよ。情けねぇよな。でも…。教えてくれたんだ…。俺の弱さを…』

『誰が…だよ』

『俺自身の夢が、だよ』

『夢…?』

『そう、夢。…マリーにこんな話しても、信じてくれないかもなぁ…』

『…なんだよ』

『…笑うなよ…?』

『あぁ、笑わない』

『小さい時の、俺、だよ』

俺は、大きく目を剥いた。

『…俺、よく夢見てたんだ。小さい時の俺が夢で現れてさ。俺のダメ出しばっかしてくんの。でも、妙に的を得てて、言い返せなかったんだよ。変な夢だろ?』

この時、俺はまた海を見た。

確かに、もう一人の俺が言ってた。『僕達』と。

そうか、そう言う事か。

俺は何度も頷きながら、思わず、笑ってしまった。

『…アハハ。そうか、そうだったのか…』

『…あ!マリー、笑うなって言ったろ?!』

『…いやいや、違うよ。バカにした笑いじゃなくて、嬉しいんだよ。アハハ』

『…は?嬉しい…?』

『…そう、Yの口からそれを聞けて、凄く嬉しかったんだよ。ありがとうな』

『…?マリー、なんか今日、変だぞ…?』

『変だったのは、お互い様、だろ?』と、俺は笑いながら言うと、Yも釣られたのか、『…ハハ、確かに』と、笑った。

『…あ!でもな!ハッキリ言っとくぞ!Yは歩弓ちゃんと葵ちゃんに振られてって言ってたけど、振られてなんか無いからな…!そこだけは誤解しないでくれよ!』

『…え?そうなの…?』

『そうだよ!俺は一途として、ねむちゃんが好きなんだ』

そう胸を張った俺に、Yは疑りの眼差しを俺に向けて、『本当かよ…。あ!歩弓ちゃんと葵ちゃんだ!』と、指をさすと、俺は『え?』と振り向いてしまった。

『…おいおい…そこ振り向いちゃ駄目だろ…』

『…え?おい!騙したな…!』

俺がYを引っ捕らえようとすると、Yはヒーヒーとお腹を捩らせながら、逃げていく。

だが、やはりYは足が速い。中々追いつく事が出来ないまま、俺はずっとYを追いかけた。

それも、日が暮れるまで、ずっと。

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