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ひだまりの唄 2
四月二十八日
それから暫く経ち、東のしたけを感じる頃、俺とYは、それぞれギターバッグを肩に背負い、学校へと向かっていた。
その時の会話で『始まっちゃえば、あっと言う間だよなぁ~』なんて、Yが言うのも無理もなく、始業してから二週間が経っていた。
『しっかし、何時からかマリーはその髪型だよなぁ…。その髪型、いつかやめるの?』
『うるせぇな。Yだってそのツンツンとした髪型、変わってないだろ。…あれ?少し染めた?』
『ツンツンとした髪型って…。シャギーって言ってくれよ。しかも、染めてないし。元々こうだよ?』
そう言って首もとまで伸びた襟足を、手の指をまるで櫛のように髪に挟めて、整えながらそう言った。
『マリーだって、染めるの?その髪型だった当時のビートルズは茶色掛かってたぞー!』
そう言って俺のご自慢のマッシュルームカットを弄ろうとしてきた。
『止めろよ』と振り払うとYは少し楽しそうに笑っていた。俺もそれにフフっと笑った。
昔、Yとおもちゃのギターで遊んでいる時、父さんがよく聞いていたビートルズのCDをこっそりと持っていって、それをコンポに入れて聞いて以来、二人でビートルズにゾッコンになった。
小さい頃は母さんが切ってくれる髪型によく、ビートルズのCDジャケットを見せて『これと同じにしてください』と、美容室ゴッコながら本気で言っていた。
それに母さんは笑いながら『はいはい』と言って、髪の長さを揃えてくれた。
しかし、周りの友達はこれの良さを全くと言って良いほどわかってもらえず、変な髪型だと、よく馬鹿にされた。
これにYは、『うるせえー!びーとるずはかっこいいんだぞ!』と、躍起になってその馬鹿にする友達を追い払ってくれた思い出がある。
それ以来、俺はこの髪型をキープしている。
だが、今となっては回りの友達は言って来なくはなったが、Yがこの髪型をツンツンと指でつつきながら弄って来る始末だ。
そんな事を思いだし、学校の校門を潜ると後ろからすごい勢いで俺とYの間を割り込んで来て、『よう』と、野太い声を出して話しかけて来た。
『山木…』
こいつは山木と言って、二年E組で同じクラス。柔道部の副キャプテンも努めている。
身体と心を鍛える事に余念が無く、常に授業中は精神統一をしている。
それを先生によく寝ているように勘違いをされ、注意されるが、それも全く動じていないのが、すごいのか、どうなのか。
『今日、なんか演奏するの?』
『え?演奏?なんの事?』
『だって今日だろ?部局紹介』
俺とYはお互いの顔を見合せて、『あー!』なんて大声を出した。
『俺の所はどんどんと新人入って来てるけど、そっちはまだみたいなこと言ってたろ。新入部員を掻き入れるなら他と言ってないチャンスだ。頑張れよ』
そう言って、山木にとっては軽く叩いた背中だったろうが、それが凄く痛かった。
それよりも、部局紹介を忘れていた事の方が、俺とYは相当痛かった。
『やっべぇ…。部局紹介今日って事は…』
『部室でマリア先輩…』
『絶対待ってるじゃん!』と、俺とYは声を揃えて駆け足で向かった。
バタバタと足音を慌ただせて、俺とYは部室へ向かった。
部室は校内の一階なのだが、只でさえ部室までの廊下は長い。そのせいからか、幾度足を上げてもなかなか着かない感覚が俺を襲っていた。
『ヤバイヤバイ…!』なんて頭の中で連呼していると、部室付近でドンドンと低音の響く音が、段々と近付いてきた。
『的中、しちゃったよ』と、またも頭の中でボソリと呟き、部室の扉の前で立ち止まった。
『なに立ち止まってんだよ…!』と、Yは俺の肩を叩いた。
『いや、終わったわ。マジで』
『謝ってみなきゃわからないだろ…』と言いながら、Yは恐る恐る部室の扉を開けた。
カタカタカタ…と静かに扉を開けると、背を向けたマリア先輩が、ドラムセットと向い合わせに座ってる。
しかし、先程までバスドラムをかなり大きく響かせていた筈だったが、その静かなドアの開く音で、唸らせていたドラムを一気に黙らせた。
『あー、マリア…先輩…?』
この静まり返った部室なのにも関わらず、様子を伺うYの声に一つも反応しなかった。
一瞬で分かった。マリア先輩、怒ってる。
俺は一気に背筋に冷たいものが走っていたが、それでもYは黙らず、更に弁解を諦めずに続けた。
『いやー、今日は部局紹介という大事な日だから、メンテナンスは怠っちゃ…いけないと思って…』
聞き苦しいYの弁解で、俺の背筋を冷たくするだけに止まらず、凍らせる勢いを増幅させていたその時だった。
『岸弥?』
『は…ハイ!』と、Yもこんな時は折り目正しい返事をする。
『…今日は何の日か、知ってる?』
マリア先輩の背中は、静かにYを問い詰め始めた。
『は…ハイ、部局紹介で…』
『…いつもライブする時、朝練は?』
『はい!朝練は登校時間の一時間前に集合する事!これ、軽音楽部の基本であります!』
Yは何故か軍隊のノリで、敬礼までしていた。
すると、自然と肩に掛けているギターバックが、機関銃か何かに見えてきた。それにくすっとも笑いたいが、それを許す場ではないので、呑み込む事を余儀なくされた。
その場でマリア先輩が静かに立った。
『分かってるんだったら…』
そう言って振り向いたマリア先輩の形相を見て、俺とYは身を寄せあって震え上がった。
『なんで遅刻なんてするのよ!!』
『ひゃあー!ごめんなさいごめんなさい!!』
―――暫くマリア先輩の説教は続いたが、いつもの締めのセリフ、『いい?今度からしないでよ?』でひとまず落ち着くのだ。
それに俺とYは声を揃えて『ハイ…』とその時はいつも本気で反省はするのだが、たまに忘れてしまう時がある。
そんな説教を終える頃には朝のベルが校内を響かせる時間になっていた。
『え!もうこんな時間…。合わせる時間なくなったじゃなぁい!』
『あれ?昼休み合わせられるじゃないですか』
『やめてよ。昼休みの後に部局紹介あるんだよ?あたし、生徒会副会長だから、色々準備あるのぉ!』
すると、Yはあちゃーと手を額にあてて、天を仰ぎながら『ヤバイ…。もしかして、最後のチャンス?』と聞くと、『そうだったのよー!』と、マリア先輩が跳ねながら言った。
だが、何故か俺はそう言う逆境に燃えるタイプだった。
『…こうなってしまったら、意地でも三人でリズムを合わせる事に集中しよう。Yはマリア先輩に、俺はYにリズムを合わせて。こう言う時こそ、基本を忠実にやっていくしかない』
そう言った俺に集中したのは、背筋だけではなく、Yとマリア先輩の視線も冷たかった。
『誰のせいよ!』
『お前が言うな!』
と、怒号を浴びたのは言うまでもない―――。
昼休みも後十分で終わると迫った頃、俺とYは部室からアンプやエフェクター、ドラムセットやドラムコード等、部局紹介で使うものを体育館へと移動させていた。
『いやー…。本当、重たい…』と言って体育館に荷物を下ろすと、マリア先輩が歩み寄ってきた。
『私たち一番最後だから、荷物は一時的に用具庫に入れておいて』
『えー!!一番最後ですか?』
マリア先輩は何も気にする事なく一つ頷いた。
『今年からステージじゃなく、体育館の真ん中で説明する事にしたんですね』
体育館の中心ラインに沿って、大きく円にラインテープが貼られていた。
『そうよ。この中心ラインの端、ここで部長が説明をして、この大きな円のテープの中で披露するの。この円の回りは一年生から二年生、一番外側は三年生と続いて座って貰うの』
『それ、あんな体育館の端の倉庫から道具一式持ってくるの億劫なんですけど…』
マリア先輩はそんな贅沢を言った俺の頭をコツンと一つ叩いて『仕様がないの、我慢して』と言った。
俺はうんともすんとも言えず、ただただ唇を尖らせた。
『司会は私がやるの。だから、少しでも協力してくれたら嬉しいな』なんて、マリア先輩らしくなく可愛らしく言われた。多分、司会と言うのが少しプレッシャーになっているのだろう。
俺とYは『分かりましたよ…』と、その無意識にも可愛らしく言ってきたマリア先輩に反論出来ずに口をこもらせた。そのまま俺達は道具の一式を用具庫に入れて、その時を待つことにした。
そして、昼休みも終わり、ぞろぞろと体育館に人が集まり、体育館内は一瞬でごった返した。
校長先生や生徒会長の挨拶が終わると、部局紹介が始まった。
やはり例年の通り、人気のある順番に組分けがされていた。野球部、サッカー部、バスケ部、柔道部、吹奏楽部、バドミントン部、演劇部、書道部等、順番にも文武は関係なく披露している。
そして、結構一年生が食い気味で見ているのだ。これは、注目を集められるかもしれないと、俺とYは少なくとも思っていたが、しかし。
段々と終盤になっていくと一年生も飽き気味になってきていた。
最後から二番目の『自然観察愛好会』なんて、誰も見ていなく、説明も長々としていた。
その長々な説明に助けられているのは、次の出番の準備を、用具室の中で進めている俺とY位だろう。
『やっぱり重いよ…』
『なんとか全部台車に乗せれたぞ。でも、出番なんて案外あっという間だな』
『しかも本格的な準備は出てからじゃないとできないって言うね。これ、準備に十分位時間が掛かるだろう』
『そんなに待たせられないけど、仕様がないよな…』
―その時だった。外から『ありがとうございました』と、拍手の音が響いていた。
俺が『よし、それじゃあ行こうか』と言うと、Yは一つ頷いて用具室の扉を思いきり開けた。
その扉を開けた瞬間、光が、まるでスポットライトを一気に俺達に向けられた様な、そんな感覚さえした。
俺とYは勢いよく台車を転がす。
ガラガラと体育館のホールに響かせ、用具室からそのセンターラインまで、無我夢中に機材を乗せたそれを運んだ。
センターラインに着くと、『時間がないから一台ずつセッティングしよう』と、Yは俺に提案した。
それに、俺は黙って頷いた。
『自然観察愛好会の皆さんありがとうございました。それでは続きまして…軽音楽部の皆さん…お願いします』
多分、緊張が高まっているのだろう。マリア先輩も声を震わせて、それを読んだ。
すると、マリア先輩の隣にいる生徒会長がマリア先輩の肩を一つ叩き、頷くと、マリア先輩は首を傾げた。
司会のマリア先輩迄には程遠いセンターラインからでも、口パクでこう言った事がよくわかった。
『大丈夫、行っておいで』
それにマリア先輩はコクリと頷き、マイクをスタンドに納めて、こちらまで走って来た。
『えー。副会長の陽田 マリアさんに変わり、これからの司会進行は私、生徒会会長であります山田 清が、短い間ですが務めさせて頂きます』
体育館内に響いた会長の声、その中でマリア先輩は俺たち二人に、「急いで、やるよ!」と、笑顔で言った。
俺とYは黙って頷いた。
『この部活動紹介で、一年生の皆様は心に決めた部活動は何か、ありましたか?』
俺とYでスピーカー二台とドラムロール、エフェクター、ドラムセットの一式を台車から全て一気に下ろす。そして、俺はそのドラムロールにエフェクターとスピーカーのコンセントをはめて、ドラムロールのコードを一気に引っ張った。
その間にマリア先輩はセンターライン、その丁度真中にバスドラムとタム、手前にチェアー、サイドにスネアとハット、フロアタムをセットし、司会サイドに余っているマイクスタンドを一本、チェアーの横に置き、座って丁度良くなるように、微調整を手早く進めていた。
『高校生活を左右するこの部活動紹介、貴方の心に決めた部活動があるのなら、是非ともそれに進んで貰いたい。その一心で、我々生徒会一同は、今日のこの日の為に、準備を進めて参りました』
Yと俺もマリア先輩に遅れを取る訳にはいかない。予め背負って来たギターケースから、Yはベース、俺はギターを取りだし、それぞれスピーカーに線を差した。
俺の足下にエフェクターをおいて、この日の為に用意した一曲の音を、ペダルを踏んで探した。
Yも音の調子を探るべく、ボンボンと、軽くスラップした。その音で、前に座っている一年生の女子達が、前のめりになったのを俺は見逃さなかった。
それに負けじと俺も、ギターを軽く震わせた。が、誰も反応は無かった。
マリア先輩も、『あ、あー』と、マイクテストと、ドラムを叩いて、一つ頷いた。
『…そう、君たちはこれから、その部活動に入り、汗と涙を味わうだろう。でも、それは決して潮っぽい物ではない…!だってそれは、これからの君たちの未来、大きな自信と変わり得る物になるのだから…!そう、この学校から見える、あの広大な海の様に…!』
すると、マリア先輩が手を上げて、『会長ー。用意出来ましたー』と、マイクを通した。
『…しかし、その海からは、君たちの自信を奪い去っていくような津波だって起きるかもしれない。だけど、それは当たり前の事なのだ…!社会において、平穏な波などあり得ない。そんな社会の荒波にもまれながらも、君たちはもっと広大な…!』
そんな力説をしている山田会長に痺れを切らし、マリア先輩は『会長!!用意出来たって言ってるでしょ!』と、一喝すると、山田会長は『…あ、ハイ。すいません』と、一つ謝った。
『…え~、それでは軽音楽部の準備が整ったとの事なので、一つ演奏して頂きましょう。軽音楽部で校歌独唱』
俺とYは目を見あって頷いた。そして、マリア先輩も頷いて、スティックを三度叩いた。
それを合図に俺のギターから出だしが始まった。
弦を激しく揺らすと、体から何か熱い物が沸き上がった。
それに任せて、俺は身体を上下に揺らした。
この曲は、この部局紹介の為に校歌をロック風にアレンジさせた物だ。
ヴォーカルはマリア先輩以外いない。だから『独唱』なのだ。
しかし、それと同時に既にある楽曲を、より良くアレンジさせる、俺たちの『腕』を皆に見て貰いたい。そう言う気持ちもあった。
それがこの校内なら皆が知っている『校歌』をアレンジしよう。と、言うことになった。
そう言い出したのは、他ならぬマリア先輩なんだけど。
そう言うマリア先輩の熱い気持ちが、沸々と高まり、このギターの弦に乗せて弾き出したのかもしれない。
俺はその気持ちを止ませる事なく、目一杯弾いた。
その気持ちが伝わったのか、会場の前に座っている一年生達が身体を上下に揺らし始めた。
その時、俺はこの楽曲の手応えさえ、感じさせてくれるのだ。
マリア先輩が一番を歌い終えると、Yのソロが始まる。皆の前に出て、スラップをかました。その時だ。
『ワーーー!』と、言う黄色い声が体育館内を響かせていた。
もう、こうなってはYの独壇場。誰も止める事は出来ない。
それが終えると、二番が始まる。
校歌は三番まであるのだが二番まで。そこまでで留めないと時間上、折り合いがつかなくなってしまうからだ。
そして、演奏は無事失敗する事なく、終わった。
『ふぅー』と、一汗拭うと、大きな拍手が俺たち三人を包んだ。
それに応えるべく、『ありがとうございました』と、三人で一つ礼をした。
すると、予想外にも『アンコール!』と、手を叩く生徒が、相次いだ。
それに戸惑い、俺たち三人は目を合わせた。
そこで、山田会長がマイクを取った。
『ありがとうございました。アンコールが出ていますが…』と続けた所で、山田会長はマリア先輩を見た。
すると、マリア先輩は、山田会長に向かって手を合わせ、『ごめんなさい』と、口パクをした。
それを察し、山田会長は一つ頷いて『時間上の都合により、これで以上となります。閉会の挨拶を校長先生からさせて頂きますので、皆さん、静粛にお願いしまぁーす!』
『えー!』と、言う会場の怒号が飛び交う中、今まで掴んだことがない手応えに、俺たち三人は、小さくガッツポーズを取った。
『いやー!最高の舞台だったなぁー』と、Yが言う。
それに釣られて俺も、『本当、アンコール出たときどうしようかと思った…。なんも用意してなかったからなぁ』と、ギターをケースに仕舞いながら言った。
すると、マリア先輩が遠くからドラムロールのコードを巻きながら近付き、『あんたたちも早く片付けるの手伝ってよ』と、ふくれっ面を俺たち二人に見せつけていた。
しかし、Yは跳び跳ねたように悦びを露にしながら、『だって、俺たちにアンコールですよ?初めてで、嬉しすぎますよー!』
『これで新入部員、沢山来てくれると嬉しいなぁ…』
『そんなに上手くいくかしらねぇ…』
すると両の手をパンパンと、ゆっくり鳴らしながら山田会長が此方に向かって来た。
『すばらしい。校歌をあんなにクールに決めてくるなんて、様々な感動が、口から溢れ出そうだった…!』
『え?どう言うこと?』と、マリア先輩はその言葉を流すように言った。
『あのー…。今日はありがとうございました』
俺が一つ頭を下げると、山田会長は急に手を差し伸ばし、俺に言った。
『君たちの事は陽田ちゃんから聞いてるよ。これからも、よろしく』
そう言われ、『あ、はぁ…』と、言葉を濁しながらも互いの手を交わせた。
『それより陽田ちゃん、後十分で生徒会あるから、よろしく』
すると、マリア先輩はドラムセットを片しながら、『えー、またかぁ…。分かったよ』と、愛想なく言った。
山田会長が振り向き様、去っていくと、Yがマリア先輩に近付き、『あの会長、ちょっと変わってますよね』と、耳打ちをした。
『そう?でも、情熱的で、情にもろく、とてもいい人よ。困ってる人を放っておけない、そんな人。あの人が会長で良かったわ』
そう言ったマリア先輩は爽やかに言った。
『ふーん…』と、踏ん切りをつけないような返事をすると、『いいから、早く片付けるの!時間ないんだから』と、マリア先輩は俺たちを急かした。
そして、俺たちは台車に一式を揃えると、ガラガラと体育館の扉を開けて、そこを後にした。
『それじゃあ、生徒会に行ってくるから。あんたたちはもう帰るの?』と、マリア先輩が聞いた。
Yが台車二台に指を向けて『これらを片付けるんで部室には戻りますけど…』と、濁らせる中、俺がマリア先輩にも聞いた。
『マリア先輩はどうするんですか?』
『あたし?あたしは一度生徒会終わったら部室をチェックさせてもらいます』と、腰に両手をあてて少し、胸を張らせた。
それを見て俺とYはフッと吹き出し、『それじゃあ、待ってますよ』
『部室でチェック受けるの、待ってますね』
廊下の窓から夕暮れの陽が差しこみ、マリア先輩を照らす。
そのせいで、顔を赤く染めたマリア先輩は大きく『うん』と、笑顔で頷いた。
『それじゃ、また後でね』
手を振りながら振り返り、マリア先輩は廊下を走っていった。
Yは思わずもその背中に手を上げたように見えたが、俺はそれに、何とも思わなかった。
『マリア先輩、嬉しそうだったな…』
Yにそう言うと、Yは徐に台車を転がしながら言った。
『あぁ、何度も練習したし、マリア先輩もこの部を潰したくは無いんだろう。…だからあんなに人一倍努力を怠らなかったんだ…』
『…そうだよなぁ』
『…なぁ。マリーはこの部、存続させたい?』
カタカタカタカタと、台車からはけたたましい音が鳴り響く。
『…俺は、別に』
『…なんで?』
『なんで…って。俺は…』
俺は一度、そのけたたましい音を止めた。
『なんだろう。俺は…。俺は、Yと何時までもギターを奏でていたい。…出来れば、Yとマリア先輩と三人で…いつまでも』
すると、Yも台車を停めて、俺の方を振り向いた。
『あんまりさ…。俺も口下手でこう言う事言うの苦手なんだけど…。マリア先輩が卒業しても、この三人でやりたい。廃部になっても、三人でまたバンド組んでさ。今までのように、色々な祭りに参加したり、デパートの一階の踊り場借りてさ。この街を活気づかせ続けられれば、俺はそれでいいんだ』
するとYは、ギターケースを背負い直して言った。
『…成る程…』
『え?』
俺が持っている台車を、Yの台車に揃えるように押して、Yの隣に立った。
『…そうか、その手があるのか。部を存続させなくとも、マリア先輩とバンドを組んじゃえば、ずっとこの三人で続けられるじゃん…』
そして、唐突に俺の肩をバンと叩いた。
『あったまいい~♪流石、マリーだよ』
『え?…何が?』
すると、俺たちはまたも、けたたましい音を響かせ、部室へと向かった。
部室の扉をガラガラと開ける。
『実はさ…。さっきの演奏、凄く楽しくてさ。やっぱり三人でやるのが、本当にやめられないと言うか…。マリア先輩が考えた校歌のアレンジも最高だったし、皆の心惹き付けられた実感もあるし、充実してるんだよ』
スピーカーやドラムセットを一つ一つ音楽準備室まで運び、定位置まで戻そうと、それらを持ち上げた。
『その時思った。やっぱりこの三人で続けて行きたいって。…ただそんな我が儘を言っても、マリア先輩の卒業は一分一秒と近付いてる。だから、せめて部活だけでも存続したいって。でもさ…』
ゴトンと音を出しながらも、スピーカーを丁寧に置いたYが此方を振り向き、真っ直ぐな目でこう言った。
『…マリーの話を聞いたら、それもありだなって、思えて来たよ』
そう言ったYも、腰に両手をあてて胸を少し張らせていた。
その姿を見て、『こんなYでも、マリア先輩に少しか憧れを持っているのかな』と、ふと思えた。
普段の練習の光景を見れば、少し型破りなYは、時々アレンジを入れる。
が、いつもマリア先輩に『譜の流れを少しでも掴んでからにして!』と、怒られている。
『大丈夫ッスよぉ~…』なんて、少ししょぼんとして言っているが、そのやり方がYにはマリア先輩の言う゛譜の流れ゛を掴みやすいのだろう。
それは昔からYを知っている俺には分かる。
だがそれが、マリア先輩がわざわざ時間を割いて作ってくれる譜を、乱されるように感じるのかもしれない。
でも、アレンジは基本的にマリア先輩は『いいねぇ~!』と、了承してくれる。
そこがマリア先輩の器量の大きさだと、俺は感じる。
因みに俺は、譜の通り演奏をしてからアレンジを多少入れるタイプだ。
よく『石橋を叩いて渡る』と、言うが、正に俺はその類いに入る。
しかしYは、その石橋をアーチ状に改築してから渡るタイプ。つまり『天才肌』なのだと、俺はよく思うのだ。
しかし、そんなYが人を尊敬するなんて今まで一度も考えた事がなかったが、それをさせてしまうマリア先輩は、本当に凄い人だ、と、改めて感じさせてくれた。
『終わったぁ~!』
そんな一抹な思いを抱いている最中、台車に乗っていた物を、気が付けば全て片していた。
『案外、あっという間だったな…』
するとガラガラとマリア先輩が部室に入って来た。
『どう?おわったぁー?』
『終わりましたよ!ホラァ!元通り』
『チェックするまでもない位ですよ』
するとマリア先輩は生き生きと『…それより、お二人に報告したい事がありまして…』と切り出した。
『…お?!とうとう新入部員ですか?!』
『残念ながらそうではないんだけど…』
『なんスか…。勿体ぶらずに、教えて下さいよ』
そう言ったにも関わらず、マリア先輩は『ふふふ…。実はね…』なんて勿体振り、間を作った後、こう言った。
『学園祭のプロローグとエピローグ、私逹にお願いされちゃった!』
『…え?!やったじゃないですか!』
『うん!生徒会長の山田が今回の『校歌独唱』良かったからもう一度プロローグでやって欲しいって!そしてエピローグで私たちの好きな曲、一曲やってもいいってぇー!』
そう言ってマリア先輩は跳び跳ねて喜んでいた。
『確かにそれは嬉しいっスね。…で、何をやるんですか?』
『それをこれから決めるんじゃない。はぁ~…。楽しみぃ~』
マリア先輩は手を合わせながら、顔を天に仰ぎ、まるで神様にでも感謝をしているかのようにも見えた。マリアだけに。
『あの会長、粋な事をしますねぇ~!』
『あ~。山田もいいって言ってくれたんだけど、それ以上に校長先生も凄くお気に召して下さったみたいよ?それが嬉しかったぁ~!』
『あの白髪おじさんもいい耳してますねぇ~』なんて、悪戯にも笑いながらYが言った。
『コラ。冗談でもそんな事言わないの』
身近にも自ら作った曲を認めてくれた人がいる。
それが、俺たち三人の最高の自信に繋がったのは、間違い無いだろう。
『さて、それじゃあ帰りますか。…三人で』
『そうッスねぇ~。それじゃあ、三人でマリーの行きつけのお店でも行きます?』
『えー?!なにそれ。どこにあるのぉ?』
『…あ、馬鹿!言うなよ!』
『いいじゃんよー。エスカロップ食べようぜ!デパートのエオンの近くですよ!早く行きましょう!』
俺たち三人は、そんな陽気な気分で部室を後にしたのだった。
三人はその陽気な足取りを、喫茶店である『ウタナナタウ』の前で留めて、『…。ここですよ』と、俺のあまり気持ちが込められていない紹介を二人に投げた。
『随分と投げやりね』
『だって…。あんまり知られたく無いんですもん…』
『いいから早く入ろうぜぇ…。もうお腹ペッコペコ』
その喫茶店は、三角屋根がぐったりと項垂れて見える程の勾配で、古いレッドシダーで建てられ、看板が無い代わりに、イーゼルに小さな黒板が掛かっている。
その黒板には『ウェルカムトゥーコーヒーショップ』と、カタカナで書かれていた。
カランカランとドアベルが遊び出すと、グレーのニット帽を被り、白い髭を蓄えたマスターが『おや、いらっしゃい』と、言いながら、此方を見た。
『今日はお友達と一緒かい?』
『…うん』
『エスカロップ三つ!』
『うわー…。キレイなお店…』
マリア先輩が思わずそう言うのも無理は無い。店内は、観葉植物で囲まれ、緑で埋まっているのだから。
そのせいか、息を静かに深く吸い込むと、何処か清々しく、心も穏やかになる。
すると、今まで肩にずっしりと掛けていたギターケースを、思わず外して、入り口すぐ横の壁に、立て掛けてしまったりもするのだ。
『そう言えば、ウタナの爺さん、体調落ち着いた?暫く元気無さそうだったけど…』
『いやいや、麻利央くんが心配して、この冬、雪はね手伝ってくれたお陰で、元気が戻ったよ。ありがとうね』
『え?マリー、そんな事してたの?偉いじゃん!』なんて、マリア先輩は大袈裟にも口を押さえながら言った。
『あ、俺も手伝ったんですよ!』と、Yも手を上げながら言った。
『急にマリーから、『手伝って!早く!』なんて急かされるもんだから、なんの騒ぎかと思ったら…。猛吹雪の中での雪掻きだったんですよ?まぁ…そのお陰でマリーの行きつけの喫茶店を知ることが出来たんですけどね?』
『え?それまで岸弥は知らなかったの?』
『はい。コイツ、こんなにいい隠れ家的な喫茶店があるにも関わらず、今までずぅーっと、教えてくれなかったんですから』
『へー。岸弥にも、マリーの知らない事があるんだね』
物珍しそうに俺の顔をまじまじと見たマリア先輩がそう言った。
『俺だって、Yの知らない一面位、持ってますよ』
すると、マリア先輩は『ふーん…』と、口を尖らせてカウンターに頬杖をつけて、頷いた。
『所で、体調悪いって…。どうかなさってたんですか?』と、その頬杖をやめて訊いた。
フライパンを温める為に、『カチカチカチ』と、ガスコンロを点火させながら、ウタナの爺さんが口を開いた。
『いやいや、大した事は無いんだよ。この冬寒かったせいか、身体が急激に冷えて、少し風邪を拗らせてしまっただけさ。その間だけお店を休ませて貰おうとしたら、外からザクザクと音がしてね?何だろうと、二階のベッドから窓を覗き込むと、麻利央くんが雪はねをね。黙々とやっていたんだよ』
『…いや、ただ積もってたから、ちょっと手伝おうとしただけだよ…』
マリア先輩は少し驚いた様に『へー…。マリーがねぇ』なんて、丸くした目を此方に向けながら言った。
それに俺は『…どういう意味ッスか…』と、それに反発するように、間を積めて聞き返した。
するとYが空かさず、『いや、そう言う意味でしょ』と、漏らすと、『いや、どういう意味だよ』と、負けじと返した。
そこで思った。二人は俺と言う人間をどう見ているのか、と。
ウタナの爺さんは、それに構いもしないで続けて話した。
『それでね?孫が一人、神奈川にいるのだけど、心配してなのか何度も電話をくれてね。『爺ちゃんは大丈夫だよ』と、何度も言ったのにも関わらずだよ。それなのに、ここに転校するって聞かなくて…。孫一人が単身でこっちに来たんだよ。もう、ビックリしてさ…。この春からこっちに来たんだ。『喫茶店を手伝いながら、学校通う』って、聞かないんだよ。全く…。心配してくれたのは有り難いが、自分の人生を棒に振る事にはしてほしく無かったんだがね…。『手伝いながらでも、勉強は出来る』って…』
俺たち三人は目を丸くさせてそれを聞いた。
『今年から…。こっちに?』
『俺達三人と同じ…学校…?』
『それって…まさか…』
多分、俺達三人が連想させた人物は一致していたように感じた。…と、言うよりも、一人しか出てこなかった。
そう、霧海ねむちゃん。その人だ。
するとマリア先輩は落ち着いたように『その子は何年生なんですか?』と、ウタナの爺さんに聞いた。
『今年で二年生。麻利央くんと一緒だ』
おいおい、マジかよ。
ねむちゃんがこのウタナの爺さんの孫にあたるなんて。
でも、ふと感じた違和感が俺の中にはあった。
ウタナの爺さんの苗字は確かそのまま、『歌名』だ。
霧海には到底遠退いた苗字だ。…が、ウタナの爺さんの娘さんが『霧海』と言う旦那を貰えば辻褄が合う。
そこで少し踏み入って訊いてみた。
『そのお孫さん、ウタナの爺さんの娘さんの娘さん…て、事になるんですか?』
すると、両隣の二人がゴクリと生唾を飲み込んだ。
しかし、ウタナの爺さんは首を振った。
『息子の娘…だ』
俺達三人は、なんだと言わんばかり、胸を撫で下ろした。
『息子にこの家を継いで欲しかったが、やりたい事があって、本州に飛んで行ってしまったんだ。だからか、中々帰ってこれなくてね。それを気にかけて孫は此方に来たのだろう。わざわざ引っ越しの手続きまでして、わしの面倒を見てくれるなんて…。息子も、『葵の根気には負けたよ。高校に通うこの二年間、面倒見て欲しい』なんて言っていたけど、面倒を掛けるのは私の方さ』
そう言い終えると、『はい、エスカロップ三つね』と、カウンターテーブルにそれらを並べた。
平皿一杯に、お米が湯気を出し、そこから仄かなバターの匂いを感じる。
そのお米の上に豚カツを一杯に乗せて、デミグラスソースが一面にかけられていた。
サイドにサラダがついていて、それが少し得をしたような感覚を芽生えさせてくれる。
『いただきまーす!』と、 Yはスプーンを持ちながら手を合わせた。
『美味しそう…。凄くいい匂いね。いただきます』と、マリア先輩も両手を合わせた。
俺もエスカロップを口に運ぼうと、スプーンでそれを掬い上げた。
…と、その前にウタナの爺さんに一つ質問を投げた。
『葵…と、言うのは、名前なの?』
『そうだよ』と、ウタナの爺さんは静かに頷いた。
『因みに、女の子?男の子?』と、Yは口をもぐ付かせながら訊いた。
『女の子だ』
『そうなんだ。転校生で、二人は聞いた事ある?』
マリア先輩のその質問に、俺達二人は同時に首を振った。
『二年A組と言っていたよ』
『あー、違うクラスだ。だから、知らないんだ』と、Yはまだ口一杯にエスカロップを含ませていた。
『俺達、E組だもんな』
すると、ウタナの爺さんはニット帽を取り、深々と頭を下げた。
『孫をよろしく』
唐突にもそんな頭を下げたウタナの爺さんを見て、俺とYは思わず立ち上がった。
『いやいや!頭、上げて下さいよ!』
『本当だよ!そんな改まらなくても…』
すると、マリア先輩はスプーンを置き、俺達二人にもそのジェスチャーをした。
それに従って俺もYもスプーンを置いた。
『私たちからも、よろしくお願いします』
それに続いて俺とYも頭を下げると、ウタナの爺さんは顔を上げてニコリと笑い、『ありがとう』と、言ってくれた。
その言葉が本当に温かかった。
『さぁ、続きをいただきましょう!』と、マリア先輩も笑顔で言った。
『それじゃあ、改めまして、いっただきまーす!』と、三人で声を合わせた。
そんなウタナの爺さんのエスカロップは、繊細で優しい味がした。
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