ひだまりの唄 32
十二月七日
布団の中では寝ぼけ眼。今日は学校だ。
外では凍てつく程の寒風が吹いているのか、部屋にこそこそと入り込むその空き間風に身を震わせて、中々布団から出る事が出来ない。
タオルケット、毛布、掛け布団に身をくるませて、サンドイッチ。
それがとても居心地が良くて、ピピピと喧しい目覚しを止めた。
もう少しと言わんばかりに、布団に潜る。
すると、ドアを大きな音を上げて双子の妹弟が部屋に入って来た。
『『おーにーいーちゃーん!ちーこーくーすーるーよー!』』
二人掛かりで布団を剥がれては、流石の俺でも無抵抗。
全て布団が無くなってしまった俺は、身震いをしながら、『もう少し良いだろ…』と、身体を縮めこませた。
『『お母さん、ご飯出来たって言ってるよ?!』』
『…あー…もう。わかったよ…』
冷えた身体を起こして、一階へと降りる。
すると、毎度ながらに母さんがいた。
『おはよう、麻利央。ご飯、食べて行きなさいね』
『分かってるよ…。ふぁ~…』
ブラシに粉を付けて、歯にあてがい、右左、右左…。その手付きも寒いせいかゆっくりで、瞼も重りを付けているかのように重かった。
それがなんとも我慢が出来なく、タオルを濡らして顔を拭う。
水道管から出る水が非常に冷たいせいか、目が直ぐに冴えた。
パチリと冴えた自分を鏡で見て、一つ、気合を入れる。
『よし』そう言って、両の頬をパチリと叩く。
俺は着替える為に、二階へと上がった。
朝食も早々に済ませて、『行ってきます』と言いながら靴を履く。
『あら、今日は早いのね。横室くん、まだ来てないのにいいの?』
『あぁ、通学路のどこかで会うだろう』
そう言って家の扉をガチャリと開けた。
すると、すぐ目の前にYの姿があった。
『おう、今日早いじゃん。ベル鳴らそうと思ったら扉が空くから、ビックリしたじゃんか』
『あ、ワリィ。おはよう』
『おはよ。じゃ、おばさん!行ってきます!』
『うん、行ってらっしゃい』
住宅地から抜けると、駅前に出る。
レンガで敷かれた歩道は、今となっては雪が敷かれて、その透き間からしか、レンガは見えない。
路面も凍って、滑る程だ。
『うわ~…。シバれてきたなぁ~…』と、Yがなんとも肩を震わせながら、両手に息を吹き掛けている。
その様を見て、俺は呆気に笑った。
『まだまだ厳寒はこれからだよ』
『え?…いやいや、なんか余裕ぶってますけどもねぇ、麻利央さん。この冷えに耐えれる方が感覚、どうかしてますよ』
駅のくだり坂を下りて暫く歩くと、Yが少し悪戯な笑みを浮かべて俺に言った。
『今日は早く出れたから、少し遠廻りして行くか』
Yが指をさす方向は確かに遠廻りだが、不思議と嫌な気持ちがなく、二つ返事でそれについて行く事にした。
Yに付いていくように暫く歩くと、夏祭りでライブをやった公園迄たどり着いた。
そこが綺麗に除雪作業が行われている。
『…あれ?この公園、冬になんかやってたっけ?』と、俺がソレを見ながら、Yに聴いた。
『あれ。去年もやってたじゃん。クリスマスのイベント、クリスマスフェス。イルミネーションを施して、あのサイロの真ん中にツリーが来る。沢山の出店もあるから、楽しいんだよ。ってか、去年、山木と三人でいったじゃん。覚えてない?』
そのイベント業者が、公園の真ん中にどでかいレンガ造りの蜂を添えて、ワイヤーで繋がれた松の木を植えようとしている。
『そうだったっけ?…ゴメン…覚えてない。それにしても、大きいな。あれ』と、俺はそのワイヤーに繋がれているそれを見ながらに言った。
『そりゃそうだよ。クリスマスのイベントなんだぜ?』
そう言って俺とYは再び歩きだした。
『なぁ…マリー、こんな噂、耳にしたことある?学校では有名なんだけど』
『…え?何?』
『毎年恒例でさ。あのツリーの下で実ったカップルは、別れる事が無いって話』
『…え?迷信だろ』
『いやいや!だけどさ、毎年一組、あの木の下で生まれたカップルも多いって聞くぜ?しかも、まだ別れてないって』
『ふぅーん…』
俺はそんな松の木を一瞥しながら通り過ぎると、業者が『せーの!』と掛け声をあげながら、その松を持ち上げている。
それが立ち上がった時、俺は前を向いて通学路についた。
キンコンカンと、ベルが鳴ると、席に着いている俺は一つ溜め息を吐いて、机の中に教科書を仕舞った。
昼休みになるとYは、窓際の一番後ろ、もとい、俺の席まで来てくれる。いつもの事だが。
『おい、マリー。購買行こうぜ』
すると、隣でねむちゃんも身を乗り出して言った。
『私も行きたい!』
『あれ?ねむちゃん珍しいじゃん。お弁当は?』
『今日、忘れちゃって…』
俺はそれに相槌を打って、『それじゃあ、三人で行こうか』と、席を立った。
その時だった。
『おーい。日野、いるかぁ!?』
ドアの方から俺を呼ぶ声、そこにふと顔を向ける。
すると、葵ちゃんがそこには立っていた。
『呼んでるぞ』と、葵ちゃんに指を向けたそいつの所まで行って、葵ちゃんの目の前に立った。
『よっ!』と、葵ちゃんは言う。
『よっ。どうしたの?』
『ちょっと…話がしたくて…』と、頬を赤らめた葵ちゃんが言った。
俺はそれに少したじたじと、葵ちゃんから目を背ける。
すると、そのクラスメイトが『おいー!日野ぉ!こんな可愛い彼女がいるなら、紹介してくれよぉ!』なんて、恥ずかしいことに、教室中に響く程の大きな声で言われると、俺は『おい…!そんなんじゃないって…!』と、小さな声で言う事しか出来ない。
その言動に任せて、教室の扉をピシャリと閉めた。
『…お待たせ』
『…なんか、ゴメンね?』
俺は首を振った。
『ううん。全然』
『それじゃあ、ここじゃ落ち着かないから音楽室、行こう?空いてるかな』
『鍵を取りに行けば、開けられる。行こうか』
葵ちゃんは静かに頷いた。
職員室に真っ直ぐ向かって、鍵を取り、音楽室を開ける。
見慣れた筈の音楽室が何処か懐かしむ思いで室内を練り歩く。
『…おかしいな、ここに来るの、久しぶりだ…』
葵ちゃんは音楽室の大きな窓に腰を凭れながら、窓枠に手を掛けて、外を見ながら、言った。
『仕様が無いよ。…色々…あったもん』
白一色に染まっている窓の外側。俺もそれを眺めるように、葵ちゃんの横で窓枠に手を掛けた。
『…うん。色々、あったね』
『…急に呼び出しちゃってゴメンね?でも、コレだけはマリーに伝えたくって』
俺はその言葉が気になって、横目でチラチラと葵ちゃんを見ながら、窓を眺める振りをした。
『…伝えたい事?なんだろ』
『私、今年度一杯までこっちに居られるようになったんだ!』
『え?!良かった!』
『お父さんがね、ネンキュウ?態々取ってくれて、今年度まで皆と居られるようになったの!本当にうれしいよ!』
チラチラと見ていた目を、いつの間にか葵ちゃんに向けた。
それに気がついたのか、葵ちゃんも乱れる事の無い真っ直ぐな目を俺に向けた。
『…でも、それまでコッチで沢山料理の勉強する。お父さんに教えて貰いながら』
葵ちゃんは恥ずかしそうに顔を俯かせて、言った。
『…不思議だな。コッチに来るまでやりたい事なんて見つからなかったけど、お祭りで皆とバンドやってから感じたよ?やりたいことに真っ直ぐな皆を見て、私もやりたいことに正直になろう。…って、そう思えた…。それがね?コッチに来て、おじいちゃんの手伝いをして、いつの間にか、おじいちゃんみたいなお店を作ってみたいな。って、思えるようになったんだ…』
葵ちゃんは身体をくるりと、白一色に染まった窓に向けて、空を見上げた。
『…変だよね!横浜に行っていた長い期間、しかも、おじいちゃんのお店を手伝っていたお父さんが側にいながらだよ?そんなの、微塵にも思った事無かったのに…』
『変じゃないよ…』
俺は無意識にも、そう声を出した。
『…え?』と、葵ちゃんが聞き返す。
『…だって、それもじいさんが、教えてくれたのかもしれないから…』
そう言った俺に、力が抜けたように葵ちゃんが『…うん、そうかもしれないね』 と、笑って言った。
『…ううん、絶対そうだよ。…そう思えたら私、頑張れそうな気がする』
しかし、満ち溢れた笑顔がフッと途絶えて、下をうつ向くと、葵ちゃんは言った。
『…だからね、私…』
その先を聞くのが、何処か怖い。
けれど、容赦なく、葵ちゃんは話を続けた。
『…出来れば…ウタナナタウやりたい…』
俺は無言にも外を見た。
『お父さんとお母さんの所に帰って、料理の勉強してさ。いつかコッチでウタナナタウ、やりたいんだ。それが、私の夢…』
俺は胸の内とは裏腹に、『…そっか、頑張って。応援してる』と言葉を添えた。
すると、葵ちゃんは大きく頷いて、『…そっか…そうだよね…うん、ありがとう』と、笑顔で言った。
何故だろう。それが何処か胸を締め付けた。
『…でも、もし良かったら…その、横浜に行くまでの期間で、マリーの事…ウタナナタウで、待っていたい…。…迷惑、かな?』
俺はそれにどう顔を向ければ良いのか、それが 分からなかった。
すると、葵ちゃんは急に、アハハ。と、笑い声を上げて、顔の前で手首を振った。
『ゴメン…!やっぱり、私、どうかしてたのかも。一人でずっとやって来たのに、どうしたんだろうね?おじいちゃんが居なくなって気が動転してたのかな。ホント、ゴメン!』
俺はそんな葵ちゃんを目を広げながらに見た。
すると、葵ちゃんは腰を上げて、音楽室から出ようとすると、その扉の一歩手前、そこに立ち止まって、背なかで言った。
『…でも、ずっと、友達でいようね?』
すると、くるりと振り向き、俺にひとさし指を向けながら、言った。
『横浜にも、遊びにくるんだぞ!』
『う、うん!勿論…!』
そう言った俺に、葵ちゃんは力が入った肩を緩めて、頬も緩めた。
そして手を振りながら、葵ちゃんは教室を出た。
すると、昼休みが終わるベルが鳴る。
お腹の代わりに胸が一杯になって、喉は何も通らなそうだ。
俺は暫く胸に手を当てたまま、その場から動く事が出来ない。
俺は何度も深呼吸をして、辺りを見渡した。
『…音楽室、こんなに広かったっけ…?』
俺は静寂にもなる余韻を残して、やっと、足を動かす事が出来た。
放課後、俺はボーッと外を眺める。
音楽室と比べれば、教室の窓は少し小さい。
だが、今の俺には十分過ぎる程の大きさで、外を眺めるにはこの世界観が丁度良かった。
『おい、マリー。今日さ、久々に部活やろう』
Yが誘う。しかし、俺はそれを無下に、『…後で行く』としか言えなかった。
『…分かった。ねむちゃん、行こうぜ』
ねむちゃんとYが教室から出ていく。
俺は窓から覗くその枯れ木に目を向けるも、今日は驚く程、ゆったりだ。
俺は机の横に掛けてある鞄を乱暴に机の上に置いて、席を立った。
窓をずっと眺める。しかし、それが少しそわついて、落ち着かなくなってきた。
ここで強い風が吹き荒れて、アイツが来てもおかしくは無いのだが、中々その風が吹いて来ない。
どうした事かと、俺は貝殻のキーホルダーに目を向けるも、音沙汰が無い。
貝殻に耳を当てると、弱々しくも、波の音は響いていた。
俺は貝殻と外を交互に見ながら、少し地団太を踏むように、足を動かす。
そんな自分に、ハッとした。
俺は無意識にも、アイツを待っている事に、今になって、自覚を持った。
そこで、自分自身に呆れるように、『俺は何を待ってるんだ。馬鹿馬鹿しい』と、机の上の鞄を乱暴に取り上げた。
階段を下りて、部室へと向かう。
しかし、やはり葵ちゃんの事、そして、歩弓ちゃんの事が、頭から離れない。
歩弓ちゃん家の窓から押された時、一瞬に見せたあの口動。そして、告別式前夜の、葵ちゃんの行動。
その二人のコウドウが、俺の鼓動を早めさせる。
だが、気になっているだけで、好きとはまた違う気がする、が、やはり二人が気になる。
この気持ちはなんなんだろうか。
廊下の窓から入ってくる夕陽が、時々刻々と下りている。
そんな事を頭に過らせながら、俺は部室の扉の前に立って、一つ溜め息を吐いた。
除に部室のドアを開けると、そこには…。
『ちょっと……!岸弥君…?!』
ねむちゃんとYの顔の狭い隙間から、夕陽が顔を出していた。
俺は目を見開いた。
咄嗟にドアを締め、丸くさせた瞳の奥から離れない二人の顔の距離感。
俺は何がなんだかわからなかった。
途端、Yがドアを開けて『マリー!』
俺のカバンを掴みあげたYに、俺は『いいから…』
強がって、Yを突き放した。
理由もわからず、なりふりも気にする余裕も無く走っていた。
一目散にただただ走った。
どこまで走ったのだろう。膝に手を付けて、息を切らしている俺の目の前は真っ暗。
トクントクンと心臓が波打つ音だけが喧しく震わせていた。
そのまま、ふとカバンに耳をやった。
波の音すら聞こえない。
おかしく思って、座り様に、俺は鞄を乱暴にもあちらこちらと、向きを変えて探ってみる。
『…あれ?…あれ…?!どこ、どこだよ…!』
必死になって、探してもやはり何処にもいない。
『…アイツ、いなくなっちゃった…』
学校からの帰路、足場が悪いからか、ゆっくりと足を運ばせる。
いや、そのせいだけで、ゆっくりなのではない。
徐ながらに、俺は家へと辿り着いた。
学校から帰ってきて、靴を脱いだ。
『あら、麻利央、おかえりなさい。ご飯は?食べないの?』と母さんは俺の身体を労ってくれるも、それを一蹴するように、『いらない』と、真っ直ぐに部屋へと向かった。
鞄をドサリと置いて、ついでに俺の身体もドサリと、ベットに投げた。
枕に顔を埋めて、思い描かれるのは音楽室でのYとねむちゃん。
前々から引っ掛かっていた点と点が、漸く全て繋がった。
二人は、付き合っていた。
『…Y、俺に嘘、ついていたのか…?』
マリア先輩の事が好きなのかと、俺は思い込んでいた。
でも、本当はねむちゃんと付き合っていたのかと思うと、それがとても悲哀に満ちてしまう。
だが、そんな自分にも疑念を抱いた。
何故俺はここまで落胆しているのか、それがよく分からない。
俺は身体を持ち上げて、壁に背中を預けながら、ベットの上で体育座り。
貝殻の無い鞄を一点に見つめて、俺は自問自答を繰り返した。
俺はねむちゃんの事をどこまで知ってる?いや、考えてみても、ねむちゃんの事をよく知らない。
俺はねむちゃんとデートに誘った事があったか?いや、自分から誘った事は無い。
そもそも何故、こんなにもねむちゃんに無意識にも意識をしているのか、それ自体がよく分からない。
Yもねむちゃんも、異性からモテる。そんな二人が付き合うなんて、至極普通な事では無いかと、端から見ても当たり前に思えてしまう。
…が、やはり腑に落ちない。
何故、腑に落ちていないのか、よく分からなくなって、俺のご自慢のマッシュルームカットをぐちゃぐちゃに乱れさせた。
『あーー!!!!やっぱりわかんねぇよ…!』
俺は俺自身が、よく分かっていない。
俺を知りたい。
そこで、俺は鞄にもう一度、目を配った。
しかし、何度も見た所で、アイツは下がっていない。
今が一番、アイツに会いたくなっていた。
何故なら、アイツに会えば俺自身を知れるような、そんな気がするから。
『お前は、本当に会いたい時に、出てこないよな…。何処にいるんだよ…。畜生…』
そのまま、ベットに倒れ込むように横になって、そのまま目を瞑った。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?