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ひだまりの唄 9

六月二十一日

 

『…ねぇ、本当にこのドラムセットの位置ってセンターかな?』

『センターです!大丈夫ですよ!マリア先輩』

『自分でセットしといてなんだけど、ちょっとズレてるように感じる…』

『もう、今更ッスよ!ズレててもそこでやるしかありませんよ』

『あ…。すいません!コード踏んじゃいました!』

『大丈夫大丈夫!…あれ?マリー、さっきから全然喋ってないけど、緊張してるのか?』

暗闇の檀上で周りが騒がしくしている中、俺は胸に手をあてて静かに目を瞑っていた。

一度深く息を吸って、ゆっくりと吐いた。

すると、耳元で生徒会役員から借りている、四人全員に配られたトランシーバー用のイヤホンから声が聞こえる。 

『アー。聞こえる?照明と音響はもう僕に任せてくれ。何かあったら陽田ちゃんのトランシーバーから声をあてて欲しいんだ』

『アーアー。了解』

『トランシーバーとかカッコいいッスねー!マリア先輩。何かのミッションを遂行するみたいで』

『そうよ。ここからバンドを成功させるミッション、始まるよ』

暗くても俺達三人はマリア先輩の方を振り向いて一つ頷いた。

『よし、そろそろだ。体育館の照明、全部落とすよ』

バチンとした音と同時に、体育館一帯が真っ暗になった。

その反動で生徒たちは『オー!』と煽りを入れる中、檀上の司会にライトが照らされ、その司会がマイクを通して、『お待たせ致しました!それでは、学園祭のオープニングを飾るのは、軽音楽部による『校歌独唱』です!お願いします!』と、学園祭の始まりの狼煙を上げた。

『よし、弾幕開けるよ』

山田会長のその一声で、幕が徐に両開きになる。

ステージ上はまだ暗い。

『開ききったら檀上は暗いが、初めて欲しい。陽田ちゃんのスティックでカウントを』

『了解』と、マリア先輩が言った。

そして、マリア先輩はスティックを高く掲げ、叩きながらカウントを始めた。

 

『ワン・ツー・スリー・フォー!』

 

すると俺達は一斉に演奏を開始した。

そしてそれと同時に、ライトが俺達四人を照らした。

赤や青、黄色にオレンジも織り混ぜて、山田会長は俺達を照らしている。

会場は一気に沸騰し、『マリアさーん!』『横室くーん!』等、黄色い声援が飛び交っている。

『麻利央くーん!』は、まだ無い。

ねむちゃんの明らかにお腹から絞り出しているその声に、会場の全員が響動めきを隠しきれずにいた。

その時の山田会長は、音響ミキサーの前に座ってツマミを少し弄り、音のバランスを微調整していた。

若干だけど、ねむちゃんの声が体育館一帯に通るようにしてくれた。

曲の間奏に入るとYがステージの一歩前に立った。

するとその咄嗟の判断で山田会長はYにスポットライトを照らした。

あからさま、Yはそのライブを楽しんでいる。

俺は、そこまで楽しめていない。

むしろ、ミスをしないことに集中を、無意識にしてしまった。

しかしYは、ベースを自分の膝の辺りにまで持っていき、体制をうんと低くしながら、弦を沢山に振るわせている。

『うぉー!』と言う歓声で、会場を見渡すと、おおいにペンライトが揺れているのが、この目の中に写りこんでいた。

逆に俺が、その光景に圧巻させられた。

そして、Yの出番が終わり、一歩後退るとねむちゃんが再び歌い出した。

会場は『エイ!エイ!』と掛声を発する。スポットライトは再びねむちゃんを照らした。

そして、綺麗なビブラートが体育館内に響き渡る。

それが徐々に弱まって、プロローグが終了した。

『イェー!』と会場が大盛り上がり。それと同時にアンコールが響いた。

すると司会が『軽音楽部で『校歌独唱』でした。ありがとうございました。アンコールしてしまっては学園祭の始まりが遅れてしまいますので、ご遠慮願います』と言った。

『ありがとうございました』とねむちゃんが言うと、俺達も一礼して、ステージから捌けた。

ステージの脇、体育館の準備室へと繋がっている。

そこまで歩みを進めると『…やったね』と、マリア先輩が言った。

『…やりましたね』と続けてYが言うと、ねむちゃんも、『やっちゃい…ましたね』と、合わせて言った。

『やったーーーー!』と、おおいに嬉しそうに三人は喜んでいた。

だが、俺は素直にそれを喜ぶ事が出来なかった。

そう、このステージも何処か浮わついて、集中が十分に出来ていなかった。

『これで手応えはバッチリ!新譜の方も完璧にやれば俺達の腕は確かだって事が証明される!やったな、マリー!』

だが、このままだといけない。俺はそう思っていた。

この楽曲が成功したのも、マリア先輩のお陰だ。マリア先輩無くとも、この出来に匹敵する何かを得なければいけない。

そんな、今まで考えた事が無い事まで頭が過っている程、今の俺は追い詰められていた。

『…なぁ、なんとか言えよ。マリー』

そう言われてやっと、『あ、あぁ』なんて、心、ここにあらずな返答を一つした。

『おい、マリー。明日のエピローグ、しっかりやろうな!これからだからな!これから』

俺は、コクリと一つ頷く事が今はやっとだった。

『さぁてと。これからどうします?』

『学園祭、楽しむに決まってるじゃない!』

『それじゃあ、四人で行動しましょうか!』

Yが間髪入れずにそう仕切るが、今の俺にはそんな元気も無い。

『悪い。俺、ちょっとパス』

俺がそう言うと、Yは肩を落としながら『えー!何でだよ!お前も来いよぉー』と肩を組んできた。

すると、マリア先輩が『Y、無理に誘わない方が…』と、かばってくれた。

その言葉に甘えて『悪い。皆、ホントごめん』とそう言って、俺は皆から離れた。

 

 

 

丸めた背中で廊下を歩いていると、その背中が押し出されそうな勢いで叩かれた。

バッシンと、とてつもなく大きな音がして、俺の周りの人が此方を向く程だった。

『いって!』

ビックリしたその反動で一気に背筋を伸ばした俺は、後ろを振り向いた。

『マリー!おっはよー!』

葵ちゃんだった。葵ちゃんの制服姿を見るのは、初めて会った時以来だったからか、一見した時、戸惑いがあった。

『あ、葵ちゃん…。おはよう』

それを隠しきれぬままそう言うと、『プロローグ、かっこ良かったよ!』と、葵ちゃんが言った。

『あ、見てくれたんだ』

俺は少し安堵を溢しながら、そう言った。

だがそれ以上の言葉が中々出てこない。そう思って、『…じゃあ、エピローグも…よろしく』と、言葉を適当に出した。

一瞬伸ばしたその背筋をまた丸めて、俺は外へと出た。

外の校門の周囲を見渡すと、屋台を出して賑わっている中、俺は兎に角静かな場所でゆっくりと頭を冷やそうと、足をグラウンドへと向かわせた。

学園祭が始まったばかりのグラウンドならば、まだ静かな場所だと、そう思ったからだ。

その歩を進めると同時に、俺の頭の中はこれからの軽音楽部の活動の事。そのものだ。

何せ、このままではバンドはやっていけない。

しかし、どのようにすればいいのかも、俺の中では纏まってはいない。

ねむちゃんが折角加入してくれて形が整って来たのに、軽音楽部を潰す訳にはいかない責任さえ、感じた。

そんな事を考えて外を歩いていたら、後ろから何か気配を感じる。

俺が歩みを止めると、その後ろの気配も歩みを止めた。

俺は暫く様子を伺い歩を進めると、後ろの気配も歩を進めてきた。

また俺が歩みを止めると、その気配も足を止めてきた。

 『何かに…つかれている』

俺は横目で後方を確認するも、誰だか検討もつかない。

髪が長くウェーブのパーマがかかった女性だから、マリア先輩ではない事は確かだ。

そして、ウェーブのパーマがかかっていると言うことは歩弓ちゃんではない。

…と言う事は…。そう思い、その思いきりを勢いに、後ろを振り向いた。

すると、まだ葵ちゃんが此方の顔を伺いながら、見ていた。

『ど…。どうしたの?』

『…いつものマリーじゃなくて心配だったから、ついてきちゃった』

俺はその一言に、胸を突かれた。図星だったから。

そのまま俺と葵ちゃんは、グラウンドの芝生に腰を下ろす事にした。

風が静かに吹き、芝生の草々をざわつかせていた。俺も葵ちゃんも、それに耳を傾けていた。そんな風が徐々に吹くのをやめると、草々は葉の先を傾けた。そして葵ちゃんは、今度は俺の話に耳を傾けようと、一つ訊いてきた。

『何か…あったの?何かあったような…そんな感じに見えたけど』

グラウンドを目の前に、体育座りをしながら顔を横に傾けて葵ちゃんはそう訊いた。

俺は胡座をかき、手元は芝を触りながら、『…いや、別に…。なんでも無いんだけどさ…』と、濁した。

『何でも無いわけ、ないよ』

『…』

俺のそれは、人に言って解決できるような、そんな柔らかいものではない。

そんな事しても無駄だと思い、胸に仕舞いこんだまま、それを取り出そうとは決して思わない程、固い意思で繋がれていた。

すると、体育座りをしていた葵ちゃんは、ふと顔を上げた。

『ねぇ、マリー。マリーは何でおじいちゃんのお手伝いをしてくれるの?』

俺は思わず葵ちゃんの顔を見た。

『だって、赤の他人じゃん。なんで?』

そう訊かれて、口を閉ざすままにはいかなかった。

『ウタナのじいさんは、俺の悩みをあのカウンターで聞いてくれてたんだ』

『悩み?』

『大した悩みじゃないよ。ほら、ウタナのじいさんはギターが好きだろ?ギターなんて弄った事が無かった俺に、沢山のアドバイスをくれた。ギターの直し方から、ギターの弾き方まで、全て。俺からすればギターを教えてくれた師匠みたいな物さ』

俺はまた芝を弄りながら話を続けた。

『でも、昔から教わっていたから、もう赤の他人なんかじゃない。だから、他人事のようには思えないんだよ。…だから、手伝っている。本当はお金なんて、要らない位さ』

そう言うと、葵ちゃんは『…そっかぁ』と、体育座りしたその足を伸ばした。

『…そう言ってくれて本当に嬉しい』

照れたように俯いて、葵ちゃんは話を続けた。

『…でも私も、マリーがおじいちゃんの事を赤の他人って思っていないのと同じ位、手伝ってくれるマリーの事も、私は赤の他人なんて思っていないんだよ?だって、お店を手伝ってくれるから、もう兄弟のような、そんな感じ』

そして両手を思いきり伸ばしながら言った。

『だからマリーも、悩んでる事があったら…何でも言ってくれたらな…って思うの』

葵ちゃんのその言葉に、俺は言葉を少し詰まらせた。

俺の顔色をジッと伺いながら、葵ちゃんはずっと見つめている。

『…今話せないなら、いつでもいいよ。別にココじゃなくても良いからね、私達の場合』

そう言って下唇を噛み締めた。

『もう、元気出してよ!マリー!』

またも凄い勢いで背中を叩かれた。

痛かったが、背中はジンジンと滲むほど温かさも感じた。

それはいつも落ち込んでいる時にマリア先輩が背中を叩く時と似たような温かささえも感じる程だった。

『ハハ…ごめん。いつか話せる時が来たら話すよ。それより、今日の学園祭、どうするの?』

『これから友達と約束してるんだ!こっちに越して、あまり友達を作らないようにしてたんだけど、皆誘ってくれる。本当にこっちの人、温かい人多いよね』

笑顔で葵ちゃんはそう言うが、そんな葵ちゃんも十分に温かい人だと、俺は感じた。

『葵ちゃん、元気出たよ。ありがとう』

すると、葵ちゃんはにこにこした表情で『あ、話してくれるの?気になるなぁ』なんて、顔を覗き込むように此方を見た。

『ハハ…。今は…まだちょっと…』

 『わかってるよ!それじゃ、約束あるから、またね!』

此方を見ながら手を振り、走っていった。

それを見て俺も一先ずは学園祭を楽しもうと、そう思えた。

午前中は一年生の合唱。それが終わると、午後からは一日目の目玉とも言える二年生の合唱コンクールの演し物がある。

父母の方々も見られる様になっており、体育館は開放状態だ。

マリア先輩は一日中体育館の誘導を務めているせいか、忙しなさそうだ。

その傍ら、俺とYとねむちゃん、ついでに山木も準備室で待機をしていた。

今はD組の合唱が始まる寸前で、それを俺達四人は準備室から覗いている所だ。

先生は俄然にやる気に満ち満ちている。

『皆、もうそろそろだよ!楽しみだね!』

そんな先生の言葉を横目にしながら『いや、それはマジで先生だけでしょ』と、山木があしらった。

『いや、先生。僕も感じてますよ!ミマスの満ち溢れた楽曲をここで開放させる時が来たンスよ!このステージと言う名の『COSMOS』を、皆で感じとりましょう!だって、見てください!上に照らされている照明が、星の様に感じませんか…?!』

『うん、そうね!分かってくれる?横室くん。さすが、二人で指揮の練習をしただけあるわね!それでこそ、指揮者よ!そのものよ!』

嫌にYも先生も、目の奥に火の玉を作りながらステージを見続けている。

なんでこの二人は前のめりになっているのか、俺には分からなかった。

 すると、隣でねむちゃんがふふっと笑いだした。

山木が『なんでねむちゃん、笑ってるんだ?』と言うと、ねむちゃんが『放課後、先生と横室くんで指揮者の練習励んでいたから、なんだか熱い気持ちが伝わってきたの。凄く楽しみだね』と、嬉しそうに言った。

俺は『あー、そう言う事か』と、一つ納得をした。

すると、D組の合唱が終わった。

皆で一礼をするとD組がステージを捌けていく。

『続きましては、二年生最後となります。二年E組の発表です』

そう言ってY以外の全員がステージへと歩調を合わせながら向かった。

全員がステージへと辿り着くと、全員の緊張感が犇犇と俺の身体へと伝っていく。

一番前の俺は深く深呼吸をして前を向いた。

隣にはねむちゃんが凛とした表情で立っているのが視界に入る。

俺はそれを真似するように背筋を伸ばした。

皆が整列し終えると、Yが静かな足取りで指揮台へと登った。

Yが後ろを静かに振り向き、一礼をした瞬間だった。

カランカランと音を立てて、タクトを落としてしまったのだ。

客席はクスクスと笑いだしたが、Yは咳ばらいをして、調子を取り戻そうとしていた。

俺はそれを見て両手の拳を強く握り、首を振って『気にするな』と、合図を送った。

するとYが気がついたのか、俺の方を見てニコッと頬笑み、一つ頷いた。

俺達全員にYがアイコンタクトを取る。俺達はそれに、静かに頷いた。

そしてYは、演奏者にも一つ頷いて、タクトを立てた。

それを合図に演奏者もピアノの鍵盤の上に指を置いて、弾き方を用意した。

Yがゆっくりとタクトを振る。

前奏が始まると、身体を左右に揺らせながらリズムを取る。

Yのタクトは小さく四拍子を描きながら振るっている。それに、合わせながら、皆歌っていた。

そして、隣でねむちゃんも歌っている。

静かながらも透き通ったその声を、俺は身近で感じられて影響を受けているのか、合唱の練習でも俺はいつの間にか、ねむちゃんの歌い方が身に染みついていた。

するとどうだろう。高々と声をあげられる。

俺はそれに、快感をも感じていた。

しかし、今までは練習で歌う方に意識を向けていたからか、歌詞など、見向きもしたことがなかった。

だが、歌っていくにつれて、歌詞の内容が頭に響いてくる。

Yのタクトがゆっくりと見えるのと同時に、二重になって見えるのが分かる。

どうしたことだろう。

やはり、何かが俺の感情に囁き始めていたのを、この時やっと気が付いた。

最後のフレーズを歌い終えると、Yは演奏者に身体を向けて、タクトを振り続ける。

ピアノがそれを見てゆっくりと演奏を終わらせた。

音が止むと、鍵盤から手を離す。

そしてYは客席に身体を向けて一礼をした。

拍手喝采が体育館中に響き渡る。

そして、俺達は檀上を後にした。

すると、ねむちゃんが最初に話を掛けてきた。

『はぁ…。スッキリした…。ね、麻利央くん。あれ?麻利央くん?』

『へ?』

『泣いてるの?』

『あれ、可笑しいな。別に悲しくもなんともないのに』

ねむちゃんは静かにハンカチを俺に差し出した。

『ありがとう』と、俺はハンカチで目元にあてがった。

『やっぱり、歌詞が最高だよね。この曲。感銘を受けて思わず溢してしまったんだろうな…』

ねむちゃんは静かに笑みを溢した。

『分かる?』

他の生徒と先生は、Yを中心として円を描きながら成功の歓喜に見回っていた。

『やったーーーー!成功じゃないッスか?!』

『本当ね!よくやったわ横室くん!』

『…でも、指揮棒落しだ時、ヒヤッとしたよ。どうなるかと思ったんだからな。横室』

その円の外側で、俺とねむちゃんは二人で見つめあっていた。

『ちょっとだけ、いいかな』

『…え?』

その時、準備室の隙間の扉から冷たい風が弱々しくも俺に当たっていた。

俺は静かにその扉を開いて準備室を出た。

それに付いてきてくれるように、ねむちゃんも俺の後を追った。

『光の声が天高く聞こえる。君も星だよ。みんなみんな』

俺の頭の中では、今でも最後のフレーズが余韻嫋々と響いているのだった。

 

 

 

体育館から部室までの長い廊下。それを黙々と歩いている。

だが、俺の頭の中では騒がしいほどの自問自答を繰返していた。

そうすると、不思議と回りの生徒や訪問者の事は、目に写らない。

そして自分自身でもわからない。

なぜねむちゃんを呼び立ててしまったのかも。

でも、口が勝手に動いてしまったのは事実だ。

俺はねむちゃんに確かめたい事はたった一つだ。

マリア先輩がいなくなっても、この部を継続させるか否か。

俺は雑多に散らかった頭の中を少しでも整理をしようと、ねむちゃんを呼んでしまったのかもしれないと、その長い廊下を渡りながら考えていた。

そして部室の前、引き戸に手を掛けると、その部室は無防備にも鍵がかかっていなかった。

『入ろう』と、俺は扉を指しながら言った。

ねむちゃんは静かに頷いた。

部室に入ると、殺風景な程、机も椅子も何もない。

ガランとした部室に二人っきり。

ねむちゃんが部室に入るとねむちゃんは部室の扉を静かに閉めた。

部室には二人きり。静かな空間でお互い何も口を開かない。

ねむちゃんは両手を重ねて、俺が言葉を発するのを待っている様に思えた。

それなら、俺が口を開かないと埒があかない。そう思って、一つ訊いてみた。

『この部に入って、一ヶ月半が経ったね…』

ねむちゃんは『うん』と、一つ頷いた。

『歌い方も、段々マリア先輩みたいな、力強い歌い方になって来たよね』

『そ…そうかな』

モジモジと手を弄りながらねむちゃんが言った。

『ねむちゃんはマリア先輩に憧れてこの部に入ったんだよね?』

そう言うと、頭を少し捻りながら『それだけじゃないんだけどね?』

『…前も言ったんだけど、麻利央くんもマリア先輩も横室くんも、みんな仲良くしていたのを見て、私もそれに加わりたかったから。それが、今思えば一番…なのかなって…』

『だから一番に入りたかった合唱部を蹴ってこっちに?』

ねむちゃんはうん、とまた一つ頷いた。

『でも、マリア先輩は本当に凄いよね…。私、マリア先輩から凄く勉強になった事も、沢山あるの。バンドで歌うのと、合唱で歌うのと、歌い方がまるで違うの。表現の仕方が全く違うんだもん。でも、私は表現が自由な軽音楽部の方が性に合うのかなって』

そして、ねむちゃんは下を俯いた。俯いたまま、全く面を上げなかった。

『それは…俺も思った』

そう言った瞬間、ねむちゃんが面を上げた。

『合唱部の練習でさ、俺もねむちゃんの影響を受けて、歌い方も気がつけば、ねむちゃんに寄せようとしてたんだ…。それは、やっぱり…』

ねむちゃんの歌に惚れてしまったから。なんて、到底口に出来るわけも無い。

今の俺には、そこまで言う事がどうしても出来なかった。

でも、ねむちゃんは少し照れた様に顔を傾けて『ありがとう』と、そう言ってくれた。

俺はそれに意表を突かれた様に、『へ?』と、惚けた顔をした。

『合唱の良さも分かってくれるのは、本当に嬉しいよ…。私、転校する前は合唱部だったから、尚更嬉しい。合唱は合唱で大好きだから』

頬を染めて此方を見ながらそう言うねむちゃんを、俺は目を背ける事が中々出来ない。

思わずも、俺はそんなねむちゃんに見惚れていた。

我に返った俺は、それを誤魔化すように直ぐ様目を背けた。

瞬きを何度もしながら、調子を整えようとしていると、ねむちゃんが口を開いた。

『…ねぇ麻利央くん、『COSMOS』好き?』

『え?』と、整えようとした調子が狂っている最中に返事をしてしまった。

『私は、大好き』

『俺もだよ!』なんて、思わず口走った。

『本当?おんなじだね!』

嬉しそうにねむちゃんが此方を頬笑みながらそう言った。

『歌詞がね、大好きなの。時の流れに生まれた者なら、一人残らず幸せになれるはず。皆、生命を燃やすんだ。星のように、蛍の様に。…そう、どんなに遠くにいても、皆、生を授かって生命を燃やすような努力をしているのなら、いつかは絶対この広い宇宙の何処かで、星のように輝いて、一緒になれるって。そう、思わせてくれるような歌詞がね、本当に大好き』

俺はその一言でハッとした。

『だから、私も頑張ろうって、そう思えたの。実はね、東京にいた時に、合唱部の一つ上の先輩で好きな人がいたの。でも、一年生だった私は中々近付けなかった…。でも、引っ越しが決まって最後のコンクールで『COSMOS』を歌ったんだけど、その時に感銘を受けたんだ。そして私、思ったの。引っ越しても頑張って輝けば、いつかは先輩に近付けるって。でも、先輩は私の事なんか…。目にも留めてくれていないから…。それだったら…私…』

その話を聞いて、粉々になりそうな気持ちを抑えつつ、『…そんな事、無いんじゃないかな』と、言った。

『え?』

『ねむちゃんも頑張ってるんだ。一つの輝きなんだ。いつかはその先輩は振り向いてくれるよ。絶対』

ねむちゃんは哀愁を漂わせつつ、弱々しい笑顔を浮かべながら、『そんな事無いよ』と言った。

『どうして?』

『私ね、その人に告白しようと部活の終わりに廊下で待ってたの。でもね…』

ねむちゃんはまたも下を俯いて、しめやかに言った。

『人を好きに成る程、暇じゃないって…。先輩と先輩の友達と、そう話する声が聞こえたんだ』

『でも、告白してないんでしょ?告白してないなら、分からないんじゃないかな』

更に、ねむちゃんは首を振って言った。

『もう…いいの。私、先輩には踏ん切りをつけてこっちに越してきたんだから。でもね?私…私…』

何処か身体を震わせて、ねむちゃんが言葉を発した。

『その人を忘れられるような素敵な人が…この学校で…』

そう言いながら、ねむちゃんは俺をじっと見つめた。

しかし、ねむちゃんはハッとした表情をして、咄嗟に口を押さえて『…ごめんなさい!』と言って、不意にも部室から走って出ていってしまった。

『え…?ねむちゃん…?ちょっと…!』

教台も、机も、椅子も、何もない教室にただ一人ポツンと佇む事しか、今の俺には出来なかった。

俺はハッとして、『…あれ、そう言えば聞きたい事、聞けていない』そう思った。

ねむちゃんの唐突なる先の言葉で、俺の雑多に散らかった頭の中を更にぐちゃぐちゃにさせた。

以前、公園で語ったYの時と言い、このバンド内で三者三様の想いがなんらかで動いていると、そう感じた。

そう、昨夜のマリア先輩の話も含めれば、本当に三者三様なのだ。

だが、昨夜の事など、今は思い出したくもない。

俺はふと窓を見た。窓から見た木々はまだ静かに揺れているからか、何も語りかけて来ない。

いつもはやかましく感じるヤツのあの声を、今は何故か聞きたくなる程だった。

『本当、来てほしい時に来ないよな…』

俺は静まり返った部室でポツリとそう呟いて、部室の扉を静かに開けた。

 

重い足取りで教室に戻ると、二日目の展示会に向けて準備を進めていた。

『あ、マリー。どこ行ってたんだよ』

Yの陽気な声が聞こえた。

『もうちょっとで完成なんだぞ。どうだ?お化け屋敷っぽくなってきただろ』

そう言ってYは俺の肩に手を掛けながら言うと、野太い声で『あ!日野!どこ行ってたんだ』と、ズカズカと歩み寄って来た。

でもその野太い声のそいつは、白い布で覆われていた。

『誰だ?』

『声で分かるだろ!俺だよ』

そう言って白い布をまくりあげ、顔を露にした。

『何だ、山木か』

『なんだはないだろ。お化け役も楽じゃないんだぞ』

するとYがからかった様に、『明日が山木の最大の見せ場だもんなぁ』なんて言いながら、肩を組んだ。

『うっせ!』と、Yの言葉をあしらいながら山木は白い布をまた被った。

『そう言えば…ねむちゃんは?』

Yがそう言うと、俺は少し身体をピクリとさせた。

『あぁ、ほんとついさっき戻って来たんだ。随分と顔を赤らめていたから、体調悪かったんだろ』

『それにしても、ねむちゃんをお化け役にするなんて、分かってないなぁ…山木は』

『お前たちが断るからだろ』

『だって展示会行けなくなるじゃん。なぁ、マリー』

俺は『お、おう』と、空返事をYに送った。

『ねむちゃんはお化け役には、似つかわない事くらい分かるだろぉ!』

『だから、それだったらお前がやれよ!』なんて、山木とYの口論が飛び交う中、俺は明日の方向へと顔を傾けていたその時だった。

『あー。いたいた!二人とも。…あれ?ねむちゃんは?』

『あ、マリア先輩!』

マリア先輩が下校準備を整えて俺達の教室、二年E組まで赴いてくれた。

『ねむちゃん、もう少しかかると思うんですけど…』とYが言った束の間だった。

『…お待たせ、山木君。あ、マリア先輩!お疲れ様です』

『あ、ねむちゃん!お疲れ様!準備、今終わったの?』

『はい!』

『今日、四人で帰りたいんだけど、いいかな』

マリア先輩が少し照れたようにそう言った。

『勿論!良いよな!ねむちゃん』

『はい!勿論じゃないですか!』

『なぁ、マリー!』

そうYに言われて、俺はふとマリア先輩を見た。

すると、マリア先輩はらしくなく、目を俺から少し背けた。その時、俺は自分の蟠りがややこしく感じた。

俺はその複雑な気持ちを振り払って、『…皆で…帰りましょうよ。マリア先輩』と思いきって言った。

すると、マリア先輩が晴れやかな笑顔を浮かべて、『うん!』と、一つ頷いた。

『俺は?』

『山木は誘われてないから駄目だ』と、Yが言った。

『マジか…。随分と寂しい事言うな』

 『今度、帰ってやるから。な?』と、Yが言うと、『まぁ、軽音楽部の大事なライブの前日。一致団結する為ってか。分かったよ。俺も柔道部の後輩誘って帰るかな』と、いやに全て分かったような口調で言った。

そして、俺達四人は鞄を背負い直して、昇降口から学校を後にした。

四人で肩を並べながら校門を潜ると、Yが開口一番に『明日が本番だなぁー!』と、一つ背中を伸ばした。

『何も気負う事無いよ。いつも通りやろう?』

マリア先輩がそう言うと、ねむちゃんが『でも、ドキドキと言うか、楽しみと言うか。何だろうこの胸騒ぎ』と、言うとマリア先輩が『それ、楽しみな人が言う言葉だよ!』と言った。

『マリーの方がガッチガチに緊張してるんじゃないのぉ?』とYが言った。

『え?そんな事は…』

『だってさ、プロローグだって緊張してたのか何も喋らなかったじゃんかぁ~』

するとマリア先輩が『Y、マリーだって色々考えてるんだよ』と言った。

『…まぁ俺も合唱の時、指揮棒落としちゃいましたしね…』

『そう言えば!私も、入り口から見てたよ?Yこそ緊張しやすいんじゃないの?』とマリア先輩が言った。

『いやー。そんな事ないんですけどねぇ。変だなぁ』

いつも通りの会話が飛び交う。

そんな中、やはり俺だけが違和感を抱えていたのかもしれない。

三人の胸の内を聞いたのは俺だけ。

そんな皆の胸の内を三人に話す事など、今の俺には到底出来る事ではない。

皆の気持ちを打ち明けてくれたのは、三人とも俺だけなのだから。

そんな想いを抱きつつ、俺は三人と肩を並べている。

それがどうしても、些か戸惑いとして態度に出てしまっているようにも俺は自覚もしている。

俺は、そこまで器用ではない。

そう気がついた時、俺の面倒臭がりが露になって、その不器用な声を皆にかけた。

『なぁ!明日は皆で思いっきりはっちゃけようぜ!』

三人はキョトンとした表情で此方を振り向いた。

『だってさ、新譜をやるんだぜ!新譜!俺達皆で、思いっきりぶっつけてさ。蟠りとか、鬱憤とか、全ての感情を明日にぶつけて、相殺する位の勢いでさ!やっちゃおうぜ!』

すると、唖然とした表情を浮かべていたYが、突如として満面の笑みを浮かべて言った。

『…あぁ!勿論!端からそのつもりだよ!マリー!やってやろうぜ!』

すると、ねむちゃんも笑顔がこぼれだした。

『うん!私もお腹から思いっきり声を出して、スッキリする位の勢いでやる!ミスしたらどうしようとか、変な事なんて考えないで、思いっきり歌っちゃう!』

そして、マリア先輩が今まで見たことがない最高の笑顔で言った。

『…そうだよね!私たち、皆を盛り上げられなかったらどうしようとか、新譜をする事に恐怖感を持ってたけど、そんなのどうでもいいよね!マリー、やっちゃおっか!』

『よし!明日は兎に角、スマイル!レッツファンだ!』

そう言って俺が天高々に拳をかがげた。

すると、Yも重ねて『レッツファン!』と言って拳を天にかがげた。

それに続いてねむちゃんも、マリア先輩も『レッツファン!』と拳と声を天高々に上げた。

俺達四人の拳が太陽に照らされて、まるで四人の煌めきをその時取り戻した様に感じた。

明日は学園祭の最終日。俺は四人にとって忘れる事が出来なくなる様な、そんなライブにすると、硬く心に誓ったのだった。

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