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ひだまりの唄 6

五月二十二日
 
次の日、俺が『行ってきます』と、家の扉を開けた。

するとそこには、既にYが家の前で立っていた。

『よっ!』と、片手を上げて俺に近づいた。

『よっ!』と、ギターを背負い直して、Yに近づいた。

『そう言えばキーホルダー、あった?』

『うん。あったよ。いやー、俺さぁ…』

そういいかけた時、Yの顔が曇っていた。

『…あれ?どうした?』と、俺がYの顔を伺うと、Yは浮かばない顔を浮かべていた。

『…ん?いや、何でもないよ…』

なんか怪しい。

『何でもない顔には見えないけど』

Yが『…え?そう?』と、俺の顔を見た。

『うん。絶対何かあった顔してる』

するとYは、左上に顔をあげながら腕を組んだ。

『いやー…。なんだ?変な夢、ってヤツ?』

『…変な…夢?』

『…いや、ゴメンゴメン!なんか変な夢見ただけなんだ』

『どんな夢だよ』

『ん?んー。もう一人の俺が、俺に話掛けてくる…。そんな夢』

『え?!ドッペルゲンガー?!』

『あはは。ドッペルゲンガーだったら俺、ヤバいじゃんか』

正しくヤバいと思った俺は、Yの容姿を上から下までなめ回す様に見て、『んー…』と、考察をした。

『…なんだよ。別に変な所はないだろ?』

『うん。無い。強いて言うなら、Yの手首にしてるこの赤いサポーターが解れてきてる事位か…』

するとYはそのサポーターを庇いながら『ほっとけよー!』と、怒鳴った。

俺はそれに笑った。

二人で歩いていると、自然と身体がぶつかってしまう程、Yとはいつも楽しく笑いあえる。

二人の体がぶつかった時、キーホルダーにしている二人の貝殻が、カチンカチンとぶつかりあう音が響いた。

そしていつの間にか、俺達は学校の門を潜っていた。

昇降口で靴を履き替えていると、近くで声が聞こえた。

『やぁ。おはよう』

何処かで聞いた声。だが、少しぼんやりと覚えているだけだったからか、顔を見た。

そこには山田生徒会長が、俺の真ん前で仁王立ちしていた。

『うわ!生徒会長!』

『陽田君から聞いている?』

絶対、生徒会のお誘いだな。と、俺は直ぐに感づいた。

『僕直々に話をしよう。僕は君が次代、生徒会長に任命したいと思うのだが…』

何処でそう言う話になったんだよ。と、内心ツッコミそうになった。

『生徒会長は生徒の模範となる存在。即ち、君は生徒の模範ともいえる。無遅刻、無欠席、授業態度、部活に対する姿勢!全てを取っても抜かりの無い学校生活を送っている二年生は、君だけだ!』

『授業態度はそこまで良くないですよ?あと、成績も』と、Yが横で指を指しながら言った。

正直、ほっとけよ。と、思った。

『ノンノン。授業態度は君達の担任から、部活の姿勢は陽田君から聞いている。…聞くところによれば、文系や音楽、英語や美術において、君は優秀な成績を納めていると聞く。それだけで充分だ。大事なのは、学校生活においての姿勢なのだから』

はぁ…。と、俺は一つ頷いた。

『あー。いたいた!山田会長、こんな所にいたの?…あら?マリーにY。どうしたの?』

後ろからヒョコリとマリア先輩が俺達に歩み寄って来た。

俺は頭を掻きながら、『…勧誘されてる所ですよ』と、言うとYが、『マリア先輩までYって言うのやめてくださいよー!』と、マリア先輩の肩を叩きながら言った。

『あはは。でも私、Yってあだ名、結構気に入っちゃった!』

『えー!…でもまぁ、マリア先輩ならいいか』

すると山田会長は一つ大きく咳ばらいをして、話を進めた。

『ウォッホン!…まぁ、僕はどんな科目においてもトップクラスに躍り出ている分、少しは生徒会長の質が衰えてしまうが…。そんな僕が君を推す理由は以上の通りなのさ』

するとYが、『でも、トップクラスにいるけど、マリア先輩の方がいつもトップだから、マリア先輩の方が上なんですよね?』と、言った。

すると、山田会長がまた、一つ大きく咳ばらいをして口を開いた。

『…まぁ確かに、三年間ずっと陽田ちゃんがいつもトップで、僕はNo.2だ。それは認めよう…。それでも、生徒会長と言う、素晴らしい役職を担いこなせば、高校生活において…』

そんな話をしている横でマリア先輩が口を開いた。

『成績なんてどうでもいいのよ。少しでも経験をして欲しいだけ。無理強いしないわ。どう?やってみない?』

俺は少し間を置いて、『すいません』と、頭を下げた。

『俺、昔からお世話になっている喫茶店があるのですが、そこのおじいちゃん、倒れてしまって…。そこでバイトする事に決めたので、バイトと部活で手一杯なんです。すいません』

すると、マリア先輩はにこりと笑った。

『うん。分かったよ!…あの『ウタナナタウ』のおじいちゃん?』

『そうなんです。体調、あまり良くないみたいです』

『そっかぁ…。去年の冬、除雪を手伝ってたって言ってたもんね…。その時から余り体調良くないって…』

そう言ったマリア先輩の後にすかさず山田生徒会長が、『何?!』と驚いた。

『そうか…!ボランティアでそこまで…。僕でもそこまでは出来ない…!君はうちの学校の鏡だ…!やはり生徒会長には君が…!』

するとマリア先輩が、山田会長の首根っこを捉えて、『あー!もう、しつこい!ほら、早く行くよ!』と、山田会長を引きずった。

『あー!痛い痛い痛い…!もっと優しく…』と言って山田会長は足をバタバタさせ、その場を去っていった。

『…なんか、面白い人なんだな。山田会長って。もっと堅物だと思ってた』

『…うん』と、俺は一つ頷いて、教室へと向かった。

教室へと入り、いつもの窓を眺めると、茶色く目立っていた木の枝も、今では既に青々とした葉が大きく彩らせていた。

今年のチシマザクラは、幾度か数える程しか見ていない。

この季節の窓の向こう側は、風の波に乗せられているせいか、朝も昼も、どの時間帯も元気がいい。

だから、見ることをやめられない。

そして、そんな窓を眺めながら、俺はイヤホンを取り出し、スマートフォンで『ひのまりのネムロのひだまり』に耳を傾ける事にした。

『どうも~日野まりでございますぅ!一週間のご無沙汰、如何お過ごしでございましたでしょうかぁ!』

これはネットから過去の収録を聴けるせいか、聴きたい時にすぐ聴けるのが本当にいい。

そして、このパーソナリティも俺と似たような名前なせいか、親近感が沸く。

このラジオから流れるフリートークが最高で、それに耳を預けてみるのも、乙なものだ。

『今日は早速、このお手紙から入りたいと思います』

俺の名前と似ているこのパーソナリティーは、いつもはオープニングトークを挟むのだが、急にお手紙紹介なんて珍しい。

そう思いつつスマートフォンから引っ張っているイヤホンを耳に付けながら、机につっぷをしている。

このラジオを聴いているこの時間が、夢の境目に立っている感じがして、本当に幸せな気持ちにさせてくれる。

すると、片方の耳のイヤホンが急に取れて、現実に引き戻された。

『おーい。何寝てるんだよ』

Yが俺の耳元でそう言った。

『何?もう授業?』

『もう授業?じゃねーよ。ねむちゃん、暇そうにしてんじゃん。ねー』

そう言ってYが振り返った先にはねむちゃんがいた。

『え?あ…。ううん。私、本読んでるから、大丈夫だよ』

『何の本読んでるの?』

『…教科書、現国の予習しようと思って』

『はぁ~。ねむちゃんには感心するよ。隣のコイツと来たら、イヤホン付けながら寝ているだけだぜ?』

ほっとけよ。と、正直思った。

『今日から本格的に四人で練習…だな。俺達三人と…。マリア先輩』

Yが腰に手を置きながら窓を眺めてそう言った。
その時、俺は何となくだが、ねむちゃんに聞いてみた。

『そう言えば、ねむちゃんはマリア先輩に憧れてこの部に入ったんだよね?』

ねむちゃんは、目を俺の膝辺りに向けて、体をもじらせて言った。

『…あ、う、うん。それもあるし…。部局紹介の演奏もかっこよかったし…。そして何より…』

そのもじらせた身体を止めて、ゆっくりと俺に目を合わせながら、『…助けて貰った時、皆でいるのが、凄く楽しかったから…入れて欲しくて…』

それを聞いたYは『なんだよー。早く言ってくれれば、もっと早くでも歓迎したのにー。なぁ』と、俺に言った。

『も…。勿論!当たり前じゃん!』

Yは俺の机に腰を凭れさせながら、ねむちゃんにドンドンと質問を投げ掛けている。

その質問に対しての答えたを、ねむちゃんも投げ返す。

まるでキャッチボールをしているみたいに、それはとても流暢だ。

俺はYみたいに、こんなにもキレイに返すことが出来ない。

やっぱり、ねむちゃんと会話をすると、緊張してしまうのか、口が震えるんだ。

そんな時、俺はいつもYを羨ましく思ったりもする。

俺は二人の会話に耳を貸しつつも、片方にかけているイヤホンにも耳を傾けていた。

『今日の気になったニュースはこちらです』
 
一通りの授業が終わり、俺はYの机へと向かうと、急にYがそこから立ち上がった。

俺はそんなYに『Y!部活行こう』と誘うと、『ごめん。先に行ってて』と、パチンと両の手の平を合わせながらそう言った。

するとあろうことか、Yはねむちゃんの机へと向かってねむちゃんを誘い、二人でどこかへと行ってしまった。

『もうそんなに仲が良いのか』と、少し二人の向かう先が気になったが、構わない気取りを立てて、部室へと向かった。

教室から出て、階段を下りては部室へと向かう長い廊下を渡る。

その長い廊下が、一人だと尚更長く感じる。Yがいればいつもあっという間についてしまうこの廊下も、隣に風が通るような、片側が寒く感じる。
それが段々と悲しくなってくる。が、やはり俺は自分自身に強がって、無理矢理に腹を立てた。

なんでYも、いや、Yだけならいざ知らず、ねむちゃんまでも、俺を放って二人で何処か行ってしまうのだ。と。

考えるだけでも段々と本気で腹を立て、いつの間にか着いた部室の扉を思いきりスライドさせた。
バン!と大きな音を立てた事にも気が付かない俺は、部室の中へと入る。

『お疲れ様…あれ?』

いつもならマリア先輩がドラムの練習をしているのだが、誰もいない。

そんなこと、滅多にない。本当に珍しい。音楽準備室にいるのかと思い、覗きこんだ。

だが、誰もいない。

『あれ?マリア先輩?』

ドラムのセットが綺麗に整理されている。

今日は一度も触られていない事がそれを見て一発で分かる。

空空寂寂。誰もいないこの部室が俺の心を表している様だ。

はぁー。と、タメ息を漏らす。すると、急に目の前が暗くなった。

『おお…!誰?だれ?!ダレ!?』

『だーれだ?』と、ねむちゃんの声が聞こえた。
俺の目を手で覆っているのがねむちゃんだと気がついて、少し鼻の下を伸ばした。

『おい!鼻の下、若干伸びてるぞ!』と、Yの声が目の前から聞こえた。

目の前が徐々に明るくなった。

すると、目の前にYがニヤニヤしながら立っていた。

『ハッピーバースデー!』

『え?』

『ほら!今日はマリーの誕生日だろ?』

そう言ってYは、小さい包み袋を俺に差し出した。

『え…。マジ?』

『空けてごらんよ!』と、後ろからマリア先輩が俺の背中を叩いた。

小さい包み袋を静かに開けた。すると、中からは小さな黒いピックが出てきた。

そのピックはしなる程、柔らかかった。

『うわー…。使いやすそう…』

『良かった!柔らかいピック、好きだろ?早く手に馴染むくらい、よかったら使ってくれよ』

俺は、先までの苛立ちが、直ぐ様、落ち着いた。俺も現金な奴だと、つくづく思う。

『よし。それじゃあ、早速それ使って練習しよう?』と、マリア先輩は俺の肩を叩いた。

それに、大きく頷いた。

『よーし!いっちょやるかー!』

Yが音楽準備室へと向かい、ギターケースを二つ持ってきた。

Yから差し出され、俺はケースを手に取った。
そして、柔らかいそのピックは、今日から俺のギターを響かせる相棒になった。

ピックをしならせてギターの弦を大きく震わせていると、確かな手応えをピックから伝ってくる。

『よし…。やっぱり柔らかいピックは馴染むのも早い』

黒いピックも片手に持って見つめていると、何処か引き込まれそうになる程、デザインも俺好みだ。

ピックの中央には、蜂のシルエットが白く刻まれ、その完膚なきまでに綺麗なそれを、様々に角度を変えて見つめた。

角度を変える度、白くキラキラと蜂の脚部や触覚が輝いて見える。

『よく見ると、綺麗だな…』

ピックを見つめていると、Yがベースをケースに仕舞いながら近づいてきた。

『マリー流石だなぁ。もう使い馴れている感じが伝わるよ』

俺はそれをまじまじと見つめたまま、答えた。

『うん、凄く使いやすいよ。ありがとう』

すると、マリア先輩がドラムスティックを互いに叩きながら俺達に近づいた。

『はいはいはい!もう練習はおしまい!仕舞った仕舞った!』

『えー。折角ピック貰ったのに、もう仕舞わなきゃダメですか?』

『そうだよ?時間になったらきっかりやめる!これが上手くなるコツだよ』

『流石部長!ウチの部活はホワイト企業ですね!』

『もう…調子がいいよねぇ。Yは。でも、毎日同じ時間帯で、どれだけ成果を出せるか。これが上達の肝だと、私は思ってるから』

『あはは。それじゃあ続きは家で…』

俺がそう言うと、急にYのスマートフォンが鳴り出した。

Yが胸ポケットからスマートフォンを取り出して、耳にあてがった。

『もしもし、…なんだ、母さんか。…うん。分かった。今から帰るよ。はいよ』

スマートフォンの画面を消して、一息付いた。

『どうしたの?』

『…ん?いや、ちょっと用事が出来てさ。すぐ帰んなきゃ。ごめん!先、帰るわ!』

そう言ってYはギターケースを背負い直して部室を出ていった。

それをねむちゃんは心配そうに見守っていた。

『横室君…。どうしちゃったんだろう…』

『…さぁ。血相変えてたから、なんだか心配だね…』

そう言ったマリア先輩が急に思い出したかのように、『あ、そうだ!マリー、ちょっと手を出して?』と俺の肩を叩いて言った。

『あ、は、はい』

そんな唐突に言われたからか、自然と両手をコの字を描くように、受け手を作った。

すると、『そうじゃない。こう』と、マリア先輩は俺の利き手の手首、即ち、右の手首を掴みながら、俺の腕を伸ばした。

すると、『じっとしててね』と、三つ網状の紐を三度、キッチリと結んだ。

『…はい!出来た』

それは黄色と黄緑と白の三色を織り混ぜたミサンガだった。

『え?これ…』

『うん。誕生日プレゼント。マリーがこれからも友達でいてくれる様に、願って作ったんだから』

『あ、ありがとうございます。凄く…綺麗ですね』

すると、マリア先輩は両手で顔を扇ぎながら、俺から目を背けた。

『あーあ、アツイアツイ。それじゃあ、私も帰ろうかな。それじゃあね!』

そう言ってマリア先輩は、颯爽と部室を出ていってしまった。すると、ねむちゃんと俺の二人きりになったこの部室は、少しだけ、静かになった。
ふと、ねむちゃんに目を向けて、このままじゃ不味いと思った俺は、徐に口を開けた。

『…はは、皆どうしちゃったんだよ。誕生日プレゼントなんて、毎年Yからしか貰ってなかったから、変に照れちゃうよ』

すると、ねむちゃんがゆっくりと俺に歩み寄った。

『…そうだったんだ。日野君の誕生日、今日だと思わなかったから、私、何も…』

『…え?い、いや!いいよいいよ!だって、転校してきたばかりだし、部だって、入ったばかりだし!そんな事、気にしないでよ!』

『…』

少し膨れ面を見せながら、後ろを振り返る彼女を見て、俺は何か癇に障る事を言ってしまったのかと、心配をした。

すると、窓を開けた。

風に靡いたねむちゃんの綺麗な髪が、まるでオホーツクの海が波を打っているように感じる程、それは綺麗だった。

すると、その靡かせた髪をふわりと波打たせながら、振り返った。

『…私、何も出来なくて、ごめんね?』

俺はそんな彼女の姿に見とれてしまって、口が思うように動かない。

窓を開けた風が、俺にも吹きかかった。

そんな俺は唐突にも、こう言ってしまった。

『…一緒に、帰ろう?』

『…え?』

俺は不意に両手を口にあてた。

『何言ってるんだ…!俺は…!』と、自分を責めても責めきれない。

そう、自分でも自覚が無いまま、口を動かしてしまった。

しかし、ねむちゃんは暫く動かずキョトンとした表情を此方に向けている。

そりゃそうだ。唐突に誘ってしまったのだから。それはもう驚くに決まっている。

俺はそれを撤回するように、『…あ、ごめん!てか、ビックリするよね?こんなに急に誘っちゃうなんて…。本当に…!』

そう言いかけた時、ねむちゃんはニコリと頬笑みかけ、『…うん』と一つ頷いた。

『一緒に帰ろ』

その言葉を直接信じる事が出来ず、『本当に…いいの?』と聞き返してしまった。

それにも一つ、ねむちゃんはゆっくりと頷いた。
俺は『う、うん。一緒に帰ろう』と、もう一度、今度は自分の自覚をしっかりともって、言った。
すると、ねむちゃんはゆっくりと窓を閉めて、此方に歩み寄った。

隣に来たねむちゃんと俺は、部室の扉を空けて、部室を出た。

二人で昇降口から靴を履き替えて校門を潜った。

通学路の歩道を、二人で同じ歩幅で歩みを踏む。

道路では車の行き交う音が耳をつんざく。風に押されている木や小枝が、ざわざわと騒いでいる。

踏みしめる一歩一歩をこれだけ大切にしたことが、今まであっただろうか。その一歩一歩と、俺の心臓は同じく鼓動する。その位、俺の緊張は高まっていた。

『…風で、葉っぱが舞ってるね』

そんな高まりを鼓舞するかのように、彼女は俺の隣で話かけた。

俺は平静を装うように、『うん。そうだね。今年もここの春は風が強いな』なんて、全然装えてない返答を彼女にした。

『でも、風が強くても、ここは落ち着くね』

『で、でしょ?ここは何もないけど、目をよくよく凝らすと、たくさんあるんだよ』

『分かる!私、分かるよ!』

あー、分かってくれた。少し安心して、俺は話続けた。

『そう、海もあるし、風もあるし、カモメだって、ウミネコだって飛んでる』

『ウンウン!そして、おいしいご飯もあるし!』

『そう!ここの海の幸は最高だよ。夏のホタテは大きくて、網焼きにすると貝からジュワーと、汁が溢れ出る。そして、カニはふんどしをパカッと開けると、そこにはギッシリと詰まったカニ味噌が…。それを専用のスプーンでヒョイパクっ!…あー。考えただけでヨダレが…』

『あー!もう、日野君ったらぁー!』

『あれ?そう言えば、ねむちゃんはどこから来たんだっけ?』

『私?私は東京だよ?』

『東京かぁー。東京はなんでもありそうだなぁ』

『…確かにあるけど、生まれも育ちも東京だから、それが日常になっちゃった…。だから、私はこっちの方が好き。なにもかもが新鮮。そう、食べ物もね!』

『あはは。そう!食べ物はなんでも新鮮!』

いつの間にか、食べ物の、特に海鮮の話に、二人の話の花が咲いていた。

重かった足も、軽々と運べる程で鼓動も、もうそこまで早くはない。

そんな軽快な足取りは、坂道などあっという間に上ってしまった。

すると、桜の花びらが一枚、俺の目の前を横切った。

ふと見上げると、そこは凛凛しい程に満開な桜が、そこにはあった。

『うわー!綺麗…』

『本当だ。俺、今年は余り桜見れなかったんだよ』

そう言って俺はわざわざ回り込んで、その石段を足早に上った。

『ねむちゃん!こっちこっち!』

俺は少年に戻ったかのように、恥ずかし気もなく、無邪気に手招きをしていた。

『日野君、待ってよぉー』

『あ、ごめんごめん』と、慌てて戻った。

そして、二人で石段のてっぺんまで辿り着いた。

『うわぁ~…』

溢れ出た声は、無意識に息を混じらせる程だった。

まるで絵に描いたような満開な桜。今年は余り桜が見れなかった俺の最高の風景を、俺は目の当たりに出来た。

全体がピンクで敷き詰められたその木々から、ひょっこりと、赤い木造の建物が顔を出していた。
石畳の上にしかれた桜の絨毯は、たまにふく風で舞い上がる。

俺が手をだすと、俺の手の平に一枚、ヒラリと乗った。

『あ、桜の花。かわいい』

ねむちゃんがそう言うと、俺はふと小さく漏らしてしまった。

『…これが…ねむちゃんからのプレゼントだ…』

『え?日野君、何か言った?』

『うん。ねむちゃんから最高のプレゼント、貰ったよ』

俺はそう言って、手の平をねむちゃんに差し出した。

『…日野君…』

『ここのお寺の、この桜を見られて本当に良かった…。ありがとう、ねむちゃん』 

すると、ねむちゃんはニコリと笑った。

『やっぱり、ここは沢山ある。本当に、ここが大好き!』

『うん、俺も。大好き』

そう言って、俺はねむちゃんに桜の花びらを一枚渡すと、ねむちゃんも手の平に乗った桜の花びらを一枚、俺に渡した。

『それじゃあ、帰ろうか』

『うん』

石段を下った俺は、ねむちゃんに手を振った。

『今日はありがとう。楽しかった』

『私からも、ありがとう。…あれ?日野君、帰り道、そっち?』

『あ…あぁ。いつの間にか通り過ぎてたみたいなんだ…。ゴメンゴメン』

するとねむちゃんはフフっと笑い、『…ありがとう。それじゃあ、またね』

『うん、またね』

俺は、桜の花びらを手の平で優しく包み、自分の胸に押しあてた。

『今日は、最高の誕生日だった』
 
鼻唄なんかを含ませて、帰宅した俺の足取りは、真っ直ぐに自分の部屋へと向かわせる。

『麻利央ー。帰ってきたのー?ご飯出来てるわよー』と言う、母さんのいつもの文言も気に留めない。

俺は自分の部屋へと着くと片手に忍ばせた桜の花びらを透明なデスクマットの下に挟めた。

春の香りを肌身で感じた。そして、それがいつも気に留めてはいたが、中々近付けなかったねむちゃんとだから、尚更だ。

俺はその思い出を大事に胸に閉まった。

デスクマットの中に挟められた桜の花びらが、いつにも増して透明感がある。

それに俺はどことなく繊細なその桜の花びらが、少し儚く感じた。

キュッ…。と、胸を締め付けられる感覚が、俺の脳裏を刺激する。

あの桜が満開なお寺で、ねむちゃんの一瞬一瞬の表情が鮮明にフラッシュバックする。

俺はその一瞬を胸に押しあて、深く、ゆっくりと深呼吸をした。

『…なんだろう…。初めての感覚だ…。凄く…痛い』

すると、いきなり『ピピピ』と着信音が響いた。
まさに、制服の上から抑えている胸の当りから、震動が伝ってくるのが分かる。

『誰だろうか?まさか…』と思い、スマートフォンを胸ポケットから取り出した。

サブ画面には『ウタナアオイ』と浮かび上がっていた。

『葵ちゃん?どうしたんだろう』

スマートフォンを開くと、メールの一文が刻まれている。内容はこうだ。

『明後日の日曜日、暇かな?出来ればおじいちゃんをちょっとでも休ませたいから、手伝って欲しいんだ』

俺はその一文を読んで、早速返信をした。

『空いてるよ。分かった。何時から?』

そう送り返すと、数分後に早くもメールの返信が来た。

『十一時から、お願いします!!!!!!!』

やたらと多いその感嘆符に、葵ちゃんからの『助けて欲しい』という気持ちが込められている事を、察することが出来た。

『分かった!!!!!!!!!』と、俺もやたらと多く、感嘆符を付けて返した。

『麻利央ー!ご飯出来てるわよー!』

『あ、はぁーい!』

さて、明日は歩弓ちゃんと遊ぶ日だ。

確か、駅で待ち合わせだったな。

そんな忙しなく予定を入れる事が、俺はどこか楽しく感じていたのだった。

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