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ひだまりの唄 10

六月二十二日

 

束の間の学園祭。それの最終日。あっという間にエピローグを迎えた。

『それじゃあ準備はいいかい?』と、トランシーバーのイヤホンからは山田会長の声が聞こえる。

俺とYとねむちゃんが、マリア先輩の方を見て一つ、一斉に頷いた。

『OKだよ』とトランシーバーのマイクに向かってマリア先輩が言った。

『それじゃあ、行くよ。笑っても泣いても、最初で最後の本番だ』

緞帳が静かに、ゆっくりと開いた。

舞台はまだ真っ暗。そこで山田会長がトランシーバーに声をかけた。

『また陽田ちゃんの掛け声からスタートする。スティックでカウントをお願い』

すると、マリア先輩は大きな声でカウントを始めた。

 

 

『ワン・ツー・スリー・フォー!』

 

ーーー激しく水飛沫を上げる。

ステージの上で万人が見てる中、目をつむりながら自らの手で波を掻き立てる様に弾かせているギターの弦。

荒波に対して反発し、ストロークしているその感覚は、海水を思いきり振り上げて、水飛沫を上げるそれと同じだ。

が、俺には、感覚は伝うものの、その荒波を耳にする余裕は無かった。

この学園祭のステージで、四人で演奏出来るのはこの学園祭、最初で最後になるかもしれないから。

 

ーーー学園祭前日 六月二十日。

 

『間違わないで…歌えた』

『やったー!ねむちゃん!これで明日も大丈夫だね!』

『ありがとうございます!…でも、今更ですが…。いいんですか?私がヴォーカルで…』

『いいのいいの!ドラムとヴォーカルの兼任難しかったし!それに、ドラムに専念出来た方が箔がつくってものよ』

『それに美人が歌う方が映えますからねー!』と、Yが言った。

『そうそ…って、どういう意味よ!』

皆、満足気になって笑っていた。

俺も、笑っていた。

『そうだ!皆ぁ!これから暇?』

俺はそんな唐突なマリア先輩の誘いに『暇ですけど、マリア先輩から誘ってくるなんて珍しいですね』と、思わず言った。

『どしゃ降りの雨が降りそうですね!』

『Y!いい加減怒るよ!』

今思えば、この時点でもうマリア先輩は決意を固めていたんだ。

俺達はマリア先輩の後に従って、足を運んでいた。

『マリアセンパァーイ。何処に向かってるんですかぁ?これ』と、Yが腰を曲げながら言った。

そんなYとはうってかわって、『いいから!もうすぐ着くから!』と、マリア先輩はどんどんと先に行っていた。

『日も暮れてきましたね』と、ねむちゃんが言う隣で、俺は膝に手を付けていた。

『…ハァハァ』

『もう…マリー、このくらいで息切れしないでよぉー!』

『だって…ハァ…ハァ…ハァ』

息切れしている俺の息つく暇も無く、マリア先輩が叫んだ。

『着いたぁー!』

俺はふと面を上げた。

目の前は真っ暗。だが、抽象ながら分かり得るものがそこにはあった。

レンガで作られたキノコみたいな可愛らしい建物。これは…サイロ?

それが三基程向かい合いながら悠々と建っていた。

その真ん中に、今まで見たことが無い程の無邪気な表情で走るマリア先輩。俺は忘れない。

俺もYもねむちゃんも、ここまでの道程の疲れを忘れ、それに続き走って行った。

『やったー!』

可愛らしいレンガの建物の真ん中に、バタンと芝の上に倒れるマリア先輩につられ、俺達も隣りに並び、横たわった。

『はぁー!気ン持ちぃー!』と、Yは勢いよく横たわり、言った。

『なんか、久々だ』と、俺も思わず溢した。

『こうやって無邪気に走るの』

『あ、流れ星』

ねむちゃんが空に指をさしながら言った。

『ウソ!』と、Yが叫んだ。

『見えなかったけどなぁ』

『ホントだよぉ。あ、また!』

『ウソ!』

『ウソ♪』

『言ったなぁ!』

Yが立ち上がると、ねむちゃんもそれに反応したかの様に立ち上がり、二人は追いかけあった。

羨ましく思ったのかな。二人に目を配ろうとした時、俺はマリア先輩が目をつむっているのを見逃さなかった。

『起きてるよ』

正直、ビックリした。

『聞いてないッスよ』

『マリーは、音楽好き?』

『聞かなくてもわかるじゃないですか』

『良かった』

『先輩は、好きッスか?』

『大好き。だから私、音楽が嫌いな人でも、音楽の素晴らしさを教えられる人になりたいの』

『俺達に教えてくれたようにッスか?』

『逆だよ。二人から教わったから。だから…』

マリア先輩は大きく深呼吸をしてこう言った。

『…音大に行って音楽の先生になりたいの』

『え?』

『…私、卒業したら東京に行こうと思う』

俺はマリア先輩から目を背けた。

『…じゃあ、もう先輩と音楽出来ないじゃないッスか』

『マリー、軽音楽部、存続させてね。マリーにしか、お願い出来ないの』

『…今までで、一番面倒なお願いですね』

そう言って、俺は芝にまたも横たわった。

『でも、この学園祭でマリア先輩と演奏出きるのは、最後になっちゃいますね』

『最後じゃないよ。また、やろ。只、暫くは出来ないね』

『…去年マリア先輩が一人で軽音楽部の看板持って部員募集してたの、今でも覚えてますよ。…その熱意があれば、音楽の先生も出来ますね』

あの時の俺は、今の時期に似つかわしくない程、冷めた口調で言ってしまった。

だけど…。

『ーーー』

 

ーーー水飛沫は細かく散っていった。

スピーカーにハウリングを残しながら、四人のステージが終わった。

『いやぁー。最高の舞台になりましたね!マリア先輩!』

『本番も、失敗しないで歌えてホッとしましたぁ』

『知ってるよ。ねむちゃん、部活が終わっても一人で部室で練習してたもんね』

『…?!見てたんですか!?』

『見てないけど、聞こえたの。綺麗な歌声がね!だから、ヴォーカルはねむちゃんしかいないって思えたんだよ?』

『…ありがとうございます。でも、それはマリア先輩が歌う楽しさを、教えてくれたから!』

『あー!それ以上言わないで。嬉しくて涙でそうだから!』

俺はその場で、振り返った。

『ねむちゃんの歌声、今までで一番最高だったなマリー!…あれ?マリー?』

俺はそんなYの声を尻目に、部室へと足を運んだ。

学園祭は、終わった。

部室の中は静寂が鳴り響いている。

先程迄の学園祭のステージよりも、今のこの部室の方が俺の中ではずっと五月蝿い。

思い出したくもない一抹な思い出が、最後のライブになって甦った。

そして、俺は震えた右腕のミサンガを見つめて、思わず溢してしまった。

『…何でだよ…』

散ったはずの水飛沫。一滴だけ残っていた。

 

 

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『ーーーありがとう。私の先生』

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最後の一滴がそう言って、微かな温もりだけを残し、頬を伝って流れていった。

寂々とした部室の中で広がった虚しくも弱々しいすすり声。

それをこの部室は拾いながらも虚空な気分を早々と晴らそうとはしてくれない。

いや、最初から宛にはしていない俺は、一度目頭を左右に強く擦りながら、天井を見上げた。

『…マリア先輩…ずっと俺達と、続けてくれるって…勝手に思っていた…』

しかし、それ以上にもマリア先輩の決心は固いのだろう。

俺は一度丸めた背中を少し伸ばし、部室の扉を開けた。

すると、部室の中だけでは無く、既に学園祭の終わりで余韻を楽しむ生徒の数は無になっていたのを、その空気で感じた。

鞄は教室に置きっぱなし。それを一度取りに行こうと、俺は階段を上る。

二年E組の前まで辿り着くと、学園祭の後片付け等、まだされていない。

『お化け屋敷』という看板も、真っ黒の看板に赤く文字を起こしている。

雰囲気を醸し出そうと、その赤い文字にわざとなまでに、ペンキ液を垂れさせている。

そんな雰囲気等、今の俺には感じる事などできやしない。

そのまま教室の扉を開けて、中へと入った。

中は黒い布を纏った仕切りが、迷路の壁を担っている。

それが複雑に並べられて、自分の机が何処にあるか、一度考えてしまった。

だがよく考えてみれば、自分の元々の席の近く、後方の窓側にあるのは明らかだ。

その窓側後方の机に乗っている黒い布を捲り上げると、ご名答と言わんばかりに貝殻のキーホルダーの付いた鞄が放置されていた。

『あった…』と、そう呟いた途端だった。

急に窓が開き、風が思いきり襲ってきたのだ。

カーテンや仕切りに覆われた黒い布が、一気に風に靡いていた。

俺は思わず、顔を必死に覆うように隠した。

面を上げる事が少し困難な程、その風は遠慮無く俺に強く吹き掛けてくる。

『…あとは、君だよ』

そう、声が聞こえた。

『お…俺?』

俺は必死で前を向こうと、その腕の隙間から目を向けた。

すると、窓が完全に開いて、淡い霧が少年の面影を残すように、くっきりと象られていく。

暗い中で見ているそれは、幽霊を見ていると言うよりも、何か神秘的に感じる何かが、そこには有った。

『皆、覚悟を決めてきているね…』

お前…?お前か?

『…僕を待っていた…。顔にそう書いてあるよ?』 

俺は…。どうすればいいんだ…?

『どうすればいいのか。それは君自身で決めるんだ』

おい。力を貸すんじゃ無かったのかよ…。

『君が決めた物に、僕は何だって従う。その時、君の力に僕がなってあげるよ』

あくまで、自身で考えろって、そう言いたいのか…。案外、協力的じゃないんだな…。お前…。

『でも大丈夫。君にはそれが出来る。いつも見ている僕ならそれが分かる。だって君は分かっているんだから。何を成せばいいのかを』

おい、待て。行くな。俺の言いたい事はまだ終わっていない。

『そして僕は、君が掛けてくれた『魔法』なのだから…』

そうその貝がらが言うと、淡い光は段々と薄れて、終には無くなって消えてしまった。

風が止むと、俺は腕を下ろした。

そしてふと、その貝がらを見ながらついつい溢してしまった。

『…本当、お前はいつも言いたい事だけを言って帰っていくな…』

鞄のファスナー付いているその貝がらは、嫌々しくも小さく陽気に踊っているようにぶら下がっている

俺のこんな心情とは裏腹に。

 

 

七月十一日

 

学校祭が終わると、試験期間である一週間という月日が、あっという間にも流れた。

試験の内容など覚えていない程、ボーッとしていたが、運良く補習は免れた。

だが、マリア先輩の事について、俺は何をどうすればいいか、まだウダウダと考えていた。

貝がらのあいつの言うことを聞くのは癪だが、俺はどうすればいいかなんて、考え付く筈もない。

『なーに考えてるの?マリー』

アルバイトの途中なのにも関わらず、お客さんが居ない事を良いことに、カウンターに肘を付けてそう考えている俺がいた。

『あ…。葵ちゃん…』

『そんなに言えない事なら、家に帰って考えてよね?今は仕事仕事!』

『う…うん』

『でも、仕事してても考えてるなんて相当だね。どしたの?』

俺は少し口を籠らせてしまったが、一人で考えても埒があかない。

そう思って、口を開いた。

『いや、実は…さ。ウチの部のマリア先輩が、軽音部やめちゃってさ…』

『…そりゃあね。やめるでしょ』

あっけらかんとそう言われて、少しムキになって続け様話した。

『部活をやめるのは仕様が無い。それは、分かるよ?でもさ、東京に行って、先生になるって言うんだよ』

『それで?』

『それで?って…。東京行っちゃったら、先輩と演奏出来なくなっちゃうじゃん…。だってマリア先輩、俺達とずっとバンドやろうって、そう誓ったのにさ…』

『でも、三年生でしょ?仕様が無いと思うな。…でも、そのマリア先輩はなんで東京に?』

『東京に行ってさ、音楽の先生になりたいって、そう言う理由で…』

葵ちゃんはフフッと笑って、こう言った。

『大丈夫。東京でしょ?海外じゃないんだし、会おうと思えば会える距離じゃない』

『でも、三人でやろうとしていたのに…。これからだって言うのに、バンドだけでもやってくれたらって…』

『ダメだよ。マリア先輩だって、バンドを続けたかった筈だよ?それを満を持して音楽の先生になろうと今頑張ってるのに、それを留めるのは一部員として、どうなの?私はそんなマリア先輩がかっこいいし、憧れる。自分を曲げない事って大事だよ。私なら思いきり応援するな』

そう言われて、俺もハッとした。

自分の意固地でマリア先輩を留めるという事は、確かにマリア先輩の歩む道を踏み留めてしまう。

それが如何にマリア先輩に対して困らせてしまうか。俺は葵ちゃんに言われて思い留めてみた。

『…そう、だね』

そう思う。だがやはり、マリア先輩のいない部活に俺はどう誠意を込めれば良いのか。それがまだ見出だせていなかった。

『でも、流石にドラムが不在なのは厳しいよね』

そう、やはりドラムは曲の心臓と言っても過言ではない。

あれ?そう言えば、確か葵ちゃん。

『ドラム…。葵ちゃん出来るんだっけ』

そう言うと葵ちゃんはたどたどしく『出来る…けど?』と、そう言った。

そこで俺は思いきって、こう言った。

『葵ちゃん』

『な…何よ』

『ウチの部活に入ってくれないか?』

  真剣な眼差しを葵ちゃんに向ける。

そんな眼差しで葵ちゃんにそう言うと、葵ちゃんは広げた手の平を俺に向けてこう言った。

『パス』

『えー。何でだよー』

そう言ってカウンターの机にグダーッと上半身を預けた。

『だって当然じゃない』

葵ちゃんが俺の横に座った。

『私が此処に来たのはお爺ちゃんが少しでも元気になるように、手伝いに来たんだよ?それをわざわざバンドに費やす時間なんて、無いんだから』

『それじゃあ、どうしろって言うんだよぉー』

『フフ、頑張って』

そう言って俺の背中を二度叩き、葵ちゃんはカウンターから腰を下ろした。

『…厳しいな…葵ちゃんは。まるで、マリア先輩みたいだ』

小さい声でそう呟くと、葵ちゃんは『なんか言った?』と、テーブルを拭きながら言った。

俺は不貞腐れた様に『なーんにも』と言って、カウンターの机の横に置かれている布巾を手にとって、カウンターから下りた。

一緒になって一卓一卓丁寧に拭いていく。

予め用意をしていた水一杯のバケツに布巾を入れて、何度も絞り、一滴も滴らないまでに絞りあげた。

それをまた広げてはテーブルを一卓一卓拭いていく。

窓際のテーブルから順番に拭いていくと、葵ちゃんと背中合わせになった。

その時、葵ちゃんが口を開いた。

『…ねぇ、マリー。君ってさ…マリア先輩の事、好きなの?』

そう聞かれた俺は思わずも振り向いたが、葵ちゃんはひたすらその一卓のテーブルを、何度も拭いている。

俺はその背中に向けて、言った。

『好きか嫌いか、そう聞かれたら、好き。でも、それは先輩として、憧れを持った好き…なのかなって…』

『どう言う事?』

そう聞き返した葵ちゃんも思わず振り向いた。

背中合わせだった俺達二人が、いつの間にか目を向かい合わせている。

暫くその丸くて大きな瞳に合わせて、慌て戸惑ったのだろう。俺は不意にも目を逸らし、答えた。

『先輩として、好き。…って事かな』

『…そっか』

そう言った葵ちゃんは再びテーブルを拭き始めて、また言った。

『でも、教師になるって凄いよね!マリア先輩が教えてくれたら、皆音楽を好きになりそう』

『あぁ。俺もYも、マリア先輩の音楽に対する情熱が伝わって、こうやって音楽を続けられる気がするんだ』

『そんな人から教わる音楽、なんだか楽しくなりそうだよね!』

すると、タンタンと階段を下りてくる音が聞こえた。

『あ、お爺ちゃん。起きて大丈夫?』

『あぁ、すこぶる元気さ。問題無いよ』

ウタナのじいさんが身体をよたつかせながら下りてきた。

『大丈夫?爺さん』

俺が爺さんに近づいて身体を貸すと、『悪いね…』と言いながらカウンターの椅子に腰を下ろした。

少しばかり蒼白した額に、俺は手の平を置いた。

『ちょっと、冷たい…』

『あぁ、少し寝かせて貰ったからね。だから今は体温が低いだけだよ』

『もう閉店してるから、そのまま寝ても良かったのに…』

『身体を起こした方が楽な時も有るんだよ』

俺はトレイを手にとって、その上に水一杯に溢れさせたコップを置いた。

『麻利央くん、ありがとう』

少量ながら何度もコップを口に運んで、ウタナの爺さんはそれを飲んだ。

『ふぅ。落ち着いた』

すると葵ちゃんはバケツを持って店内の入り口の清掃用具室に入り、水を流した。

そのままバケツを洗って、布巾を取りだし、バケツの水滴を拭いた。

葵ちゃんがそんな事をやっている間、ウタナのじいさんは俺に向かって話し掛けてくれた。

『私の顔色よりも、麻利央くんの顔色の方が少し清々しい顔になっているけど、何かあったのかい?』

俺はウタナのじいさんの横に座って、話した。

『いや、ちょっとだけさ。悩みを葵ちゃんに聞いて貰ってスッキリしたんだよ』

『悩み…かい?』

『うん、実はさ。軽音部の部長が引退するんだけど、俺はその先輩が引退した後も頻度が少なくなっていいから、続けたかったんだよ。でもその先輩、音楽の先生になる為に東京に行くんだ。…そうしたらさ、もう先輩とは音楽が出来ない…』

それにじいさんは首を振った。

『嫌、出来ないんじゃない。これから続けようとしているんじゃないかな?』

俺は『え?』と思い、ウタナのじいさんに顔を向けた。

『麻利央くんが前に此処に来た時、男の子と女の子を連れて来た事があっただろう。その女の子がその…』

『マリア先輩!』と、俺は間髪入れずに言った。

ウタナのじいさんは黙って頷いた。

『その子は多分、君たち二人と築きあげた音楽の喜びを、子供達にも伝えていきたいんじゃないのかな』

『…そんな大袈裟な…』

すると、ウタナのじいさんは静かに首を横に振った。

『そうじゃないと音楽の先生になりたい等、口にする筈がない。先生と言うのは、教え子よりも先に見つけた面白さを、教え子に生かそうとする職業だと、私は思うよ。素晴らしい事じゃないか』

そんな事を話すウタナのじいさんは、少し目を輝かせていた。

『その気持ち、凄く分かるんだよ。私も君にギターを教えていた時、ギターの面白さが伝わっている実感がした。だって、君も身を乗り出しながら私の話を聞いてくれるんだから。そう言う時、教えてる側は快感になるんだよ…。本当、楽しかった…』

『俺も…楽しかった』

『そうだ。麻利央くん』

そう言ってウタナのじいさんが立とうとした。

『じいさん!いいよ!座ってて!何が取りたい?』と俺が聞くと、ウタナのじいさんは静かに店の隅に置かれているギターを指した。

その時、ギタースタンドに立て掛けられているその茶色いアコースティックギターが、何故か白く光沢が掛かった様に、俺は眩しく目に写っていた。

俺は『あれ、取って欲しいの?』と聞くと、ウタナのじいさんは黙って頷いた。

俺はそのギタースタンドから静かにギターを取って、ウタナのじいさんに手渡した。

『ありがとう』と言うと、じいさんはギターを構えて、俺の顔を見た。

『懐かしい、あの曲を弾こうか』

ウタナのじいさんが弾いているギターは、どことなく軽快で、衰えてなどいなかった。

俺はそれに手拍子をうって、『懐かしい。これ、ビートルズのハローグッバイだ』

そう呟くと、ウタナのじいさんは満面の笑みを見せながら、頷いた。

すると葵ちゃんが外から入って来た。

『はぁー!終わったぁー!あれ?お爺ちゃん、ギター弾いてる!懐かしい!』

『葵もやるかい?』

『うん、ちょっと待ってて!あ、マリーの分のギターも持ってくるね!』

そう言って葵ちゃんは、頭に着けていた三角巾を取っ払って、タンタンと階段を軽やかに上っていった。

そして、幾分もかかっていないのに、直ぐに葵ちゃんは階段を下りてきた。

『はい!どうぞ!』

俺に一本のエレキギターを渡した。

『え?俺がエレキギターでいいの?』

『私、何でも出来るもん。ねぇねぇ、なんて曲?』

『ハローグッバイ。葵も麻利央くんも、一緒に弾こうか』

三人でリズムを足でとりながら、ウタナナタウのカウンターでギターを弾く。

ノリにノリながら足でリズムを取っていると、何故かそこにマリア先輩のドラムが、頭の中で響いてくる位、俺は軽快に弾き出した。

ウタナのじいさんがジョン・レノンで葵ちゃんがポール・マッカートニー、俺は昔から好きなジョージ・ハリスン。

そして、ここにはいないけど、マリア先輩がリンゴ・スターと言った所か。

そんな遊びを、Yとしていた事を思い出す。

『俺、ジョージ・ハリスンね!』なんて、そんな技量も無いくせに、なりきっていた。

でもそれが、どことなく楽しかった。 

そして、俺は今、三人で弾きながら身に染みた。

マリア先輩はこの感覚を子供達に教えていきたいのかと。

そう思うと、マリア先輩を留めようとしていた自分が、あっという間に居なくなっていた。

そして今は、マリア先輩、頑張って来て欲しいと切に願う。

そして再び会ったその時は、笑顔で出迎えてあげたい。

そんな事を考えていた束の間、曲はサビに入っていった。

『ハローハロー』

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