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ひだまりの唄 37

十二月二十三日

 

眠り知らずのベッドの上。やっと朝が来た。

日が昇るのがもの凄く遅く感じたのは、予想通りに意識を夢幻に持っていく事ができず、この夜間、ずっと現実と向き合っていたからだ。

それが何故かと問われたら、原因はたった一つで、やはり奴の助言など助け船にもならず、心中では荒々しく際立った波に遭難しかけていた。

要するに、やはり根本的に解決などしていないと言う事だ。

日が昇っていく太陽がカーテンの合間を縫って入ってくる。

その日差しが俺のクマが出来た目に入ってきて、とても目障りだ。

『…なぁーにが好きな想いだけでいい、だ。馬鹿馬鹿しい。なんの不安も取り除けて無いじゃないか…』

俺はガバッと起き上がって貝殻に向かって、言った。

『…あーもう!その好きな気持ちを伝える言葉が見つからないって言ってるのに、気持ちを持つだけで十分って、矛盾してるんだよ!お前の考えは!どうしてくれる?!』

その時、この貝殻は本当に俺の一分なのかと、疑いの目までを向けてしまう程だった。

『…って言った所で、お前はやっぱり出てこないんだろ…?全く…』

俺の言葉はその通りで、貝殻はピクリとも動かない。

俺はそれに溜め息をついた。

早朝からベッドの上で管を巻いた所で仕方がない。俺はベッドから身体を持ち上げて、机に向かった。

アイツの言うことを聞くのも癪だが、全く無視するのも心許ないと思える自分が少し悔しい。

俺は手紙ではなく、ねむちゃんと会って何を伝えようか、手記にして纏める事にした。

だが、そのA四の真っ白い紙に、俺は何を記せば良いのか。

右手にシャープペンシルを持っても、字をなぞる事すら出来ない。

それもその筈で、自分の気持ちを記すのが、俺は大の苦手なのだ。

それも、国語の感想文ならいざ知らず、自分の好きな人に言葉を向けるなんて、今の俺には高度が過ぎる。

トントントンと、シャープペンシルの点がA四の角に埋まっていく。

駄目だ。何も思いつかない。

『ッッッッダーーーー…!!!めんどくせーなぁー!もう!!!』

俺は募りに募った思いが弾け出して、そのA四の紙とシャープペンシルを放り投げた。

ハァハァと息を切らせていると、ふと、我に返って、俺は二度首を振った。

『…駄目だ。…面倒くさいはもう言わない。最後まで…やり通さないと』

そう思えたのも、マリア先輩の檄のお陰か。

俺はシャープペンシルとA四の紙を拾った。

シャープペンシルを拾うと、その芯がパックリと折れてあった。

カチカチと芯を出してる時、俺は有ることが頭の中に過った。

それは、何故ねむちゃんが気になり始めたのかと言う事だ。

出来るのであれば、こんな物書かないで、『君が好きだ!恋に理屈など、関係ないんだ!付き合ってくれーーー!』なんて、熱い言葉を放つ事は簡単だし、その情熱だけを伝える事が、一番良いのかもしれない。

でも、自分が納得出来ないんだ。

その気持ちに目を逸らし続けながら、万が一、ねむちゃんと付き合えたとしても、その熱はいずれ冷めてしまうような、そんな気がする。

俺が何で好きになったのか。それを彼女に伝えたい。それだけでいい。

でも正直、ふと気が付いた時に、ねむちゃんが好きになっていた気がするんだ。

そんな事を考えながら、俺はそのシャープペンシルをペン立てに戻す。

その時、デスクマットに挟まっている桜の花びらが目についた。

そう言えば期末試験の前日に、俺はたまたまエオンの通りを歩いた。

その時にふと、ねむちゃんの事が頭を過って、胸が高鳴っていた事を何となく思い出した。

それが、俺の気持ちを掘り起こすヒントになり得るかもしれない。

俺はそう思って、上着を羽織って、階段を下りた。

下に降りても親はまだ眠りについている。五月蠅い事も言われないから、尚更の好機だ。

俺は玄関の戸を開けた。

まだ青白さを残しつつも、朝日は顔も出していない。

それもその筈で、まだ朝の五時だ。

上着を着ながらでも、その寒々とした風が身体を襲う。

だが、家の中でうだうだと考えているよりかは全然マシだ。

『先ずは何処へ行こうか』

俺はその机に挟まってあった桜をヒントに、足を一歩、動かした。

真っ白に染まった路面に、その一歩が型どられた。

昨日は雪でも降っていたのか。路面から五センチ位の雪が、見渡す限りを埋め尽くしていた。

だが、それも珍しい。海に近いこの街でこんなに綺麗に雪が積もる事は滅多に無い。

何故なら、海が近い分、雪が降っても風に舞って何処かへと運ばれてしまい、積もったと言っても、どこかの外壁に吹き溜りしか出来ない。

だが今日は、外に出ても風が全く吹いていない。

ザクザクと締まった雪が、俺の足音を鳴らす。

俺の家から出て、すぐの駅前通り。そこは坂になっていて、冬場は下る時、氷が張っている為に足を一歩一歩出すのが少し恐い。

が、雪が積もっている今日は何てことない。足が次から次へと出てくる。

犬の散歩コースになっているのか、犬の小さな足跡が点々と坂を下っている。

俺はその隣を、わざと沿って歩いた。

するといつの間にか国道へと出ていた。

車の行き交いが少なかったせいか、いつもより閑散として、違和感を持つ。

信号を渡って反対側、暫く歩くと小学校。

そこを曲がると真っ直ぐに寺が見える。

そう、ココこそがねむちゃんと初めて帰った時に辿り着いた寺だ。

しかし、今となっては桜色に染まっていた木々も裸一貫で立っていて、みるからに寒そうだ。

ザクザクと音を立てながら、紅い屋根が目立った門構を潜り、寺院内を練り歩く。

地面には砂利が敷かれている筈だったが、今ではその上に雪が被さられている。

そうだ。この錫杖と念珠を持った像の隣でねむちゃんと俺はあの桜を手にしたのだ。

あの時は俺の誕生日だった。一年も経っていないのに、懐かしい思いで一杯だ。

そんな思いを馳せながら辺りを見渡すと、冬のこの場所は、何処か寂しい。

まるでこの木々のように、思い出を刻んだ花ビラの一枚一枚が、吹き飛ばされそうな気がしてならない。

そう思うと、少し弱気になった俺が顔を出す。

俺はそれに目を背けて、また紅い門構を潜り、外へと出た。

明日、本当にねむちゃんは来てくれるのだろうか。と、心配さえしてしまう。

そうなると、俺の歩幅は縮こまるばかりだ。

いや、弱気になってどうする。まだだよ。まだ。

俺はまたも尻込みをしてしまいそうになったが、それに逆らうように、大きく足を動かした。

住宅街で囲まれた道をひたすら歩く。

ひたすら歩いて、俺はまたも辺りを見渡した。

ここは夏祭りの時、ねむちゃんが巫女の恰好で歩いた場所だ。

俺とYと山木で、血眼になりながらカメラのシャッターを押しまくった事を思い出す。

その必死になりながらも、カメラにしがみついていた自分が可笑しくなって、フッと笑った。

『あ、ここは…』

俺は横に目を向けると、そこには山木の家。

軽トラックはまだあった。

そう言えば、その祭りの日、歩弓ちゃんとの約束が間に合わないからって、山木の親父さんに軽トラックで送ってもらっていた。

軽トラックの荷台に乗るの、正直、楽しかったが、軽トラックに乗る事はもう無いだろう。

そこを通り過ぎると、漸くエオン。

ここの思い出は、やはり濃く感じる。

チラシを配ったのもこの並樹通り、マリア先輩や山田生徒会長、歩弓ちゃんに葵ちゃん、そして、Yにねむちゃん。

配り切る事なんて、出来ないと思っていた。

そんな時でも、Yやねむちゃん達が奮起してくれて、配り切る事が出来たのだ。

俺の力だけじゃない。

そんな想いに浸りながら、俺はエオンの隣にある公園へと赴く。

ここは、俺の双子の妹弟が難癖つけられて、シマレンジャーのカードを取られた場所だ。

そんな中、射的で取ったシマレッドのお面が役にたったんだ。

今は雪で覆われた小さな池を眺めながら、その光景が池に映って見えた。

だが、それは数秒で波状となって、雲散霧消となる。

そうなると、俺はその池から目を離して、小さなアーチ状になっている木造の橋を渡って、公園を出た。

結構歩いた。俺はそれに一つ背中を伸ばした。

腕時計を見ると、もう午前の八時に差し掛かる所だ。

『げっ!三時間も外にいたの?!』なんて、声に出すも、それが恥ずかしく思わない程、外にはまだ人はいない。

俺はここから随意に任せて、ぶらぶらと歩いてみる。

赴くままに坂道を下って、三叉となった分かれ道、俺はそこから坂道を登る小路へと足を向けた。

当たり前だが、俺の足跡がついてくる。

そして、この道を踏み締めるのも、俺が最初だ。

何故かは自分でも分からないが、俺はそれに少しばかり心が踊った。

踊りながらも歩いていくと、そこには鳥居が立っていた。

そこからの登り道はまるで蛇のように曲折している。

俺は招かれたように自然とその鳥居に足を向ける。

蛇行しながらもその坂道を登りきると、そこは神社だった。

社務所はまだ開いてはいない。

その開いていない社務所を見ていると、皆で集めたアンケート用紙を提出した事を思い出した。

『なんだかんだ、頑張ったよな…』

皆で掴んだ演奏権、俺達はそれに一喜一憂しながらここまで来ていた事を、改めて実感出来た。

『…そっか、分かったよ、Y。俺…』

俺はそう言いかけて、門を潜る。

するとその広がった境内。ここで相撲大会があった。

ここでマリア先輩とYと確執が出来てしまったような、そんな気がする。

それに、俺は酷く肩を落としていた。

そんな時も俺に優しく寄り添ってくれたのは他でもない。ねむちゃんだった。

それなのに俺と来たら。

そんな今までの所業を懺悔するように、俺は賽銭箱に十円を入れて、鐘をガラガラとけたたましく鳴らした。

そして手を静かに重ねて、胸で語りかけた。

『俺、バンドを続けたいのは、演奏だけがしたいんじゃない。皆と一喜一憂した上で、最高の演奏が出来るからやりたいんだ。だから、また皆で活動が出来ますように』

そう念じて、一歩下がっては、また一礼をした。

『…後は、俺次第だな』

そう自分に言い聞かせて、今度は曲折とした坂道ではなく、もう一方の緩やかな大っぴらに広がった坂道から下っていく。

その道から下って行く方が断然楽だ。何故なら、この道が正式な入り口だからだ。

狛犬や石碑などが、幾本と立ち並ぶ大樹に囲まれて、清々しくも感じる。

緩やかな傾斜に、幅が設けられた階段。その一段一段に二歩ほど進められる程だ。

ここも砕石で敷き詰められていた筈だったが、雪の絨毯が敷かれていた。

俺はそこを下りきると、無意識ながらに振り向いた。

『ここで、ねむちゃんは…俺を元気つけさせようと…』

そうか、段々分かってきた。

何故俺がねむちゃんに惹かれていったのかが。

俺は再び歩を進めて、今度は坂を下っていく。

そろそろ足が冷たくなってきた。

時間も九時に差し掛かる。一時間なんて、歩けばあっという間だ。

『そろそろ、帰るか…』

俺はそこでやっと、帰路につく心の準備が整ったのだ。

 

『ただいま』と帰ってきた時には既に正午前。足は冷えきっていて凍傷になりそうだ。

『あら麻利央、あんな朝早くからこんなお昼まで、どこ行ってたの?』と、母さんが聞いてきた事に対して、俺は『朝の準備運動』と、適当に返した。

『準備運動に半日も使ってたら、疲れちゃって何も出来なくなっちゃうじゃない』

俺は直ぐ様ストーブに足をあてた。

悴んだ足をあてていると、血行が良くなったのか、段々と痺れが増してきた。

そうなると、足が真っ赤に染まって痒くなる。

『うっわー!かいーー!』と、足の裏を思いきり擦っていたら、母さんが言った

『麻利央、あんたの部屋に炬燵用意しといたわよ』

『え?!』

『あんたの部屋、寒いじゃない』

『助かるよー!母さん』

俺はそう言って立ち上がり、冷凍庫からミントアイスを取り出した。

『…あんた、何してるの…?』

『…え?部屋に戻ってアイス食べるんだけど』

『あんたの部屋寒いから炬燵用意したって言ってるのに、それじゃあ意味無いじゃない。そんな事、オイミャコンでアイスを食べるのと一緒よ?自殺行為よ、自殺行為』

俺はそれに人指し指を立てて、母さんの目の前で左右に振った。

『…母さん、甘いんですよ、アイスだけに。この日の本で、アイスの消費量が一番多いのは、この北の大地なのですぞ?』

母さんは口をあんぐりと開けて、『何よ、そのしゃべり方…』と、呆気に取られながらそう言った。

『よし、それじゃあ早速用意してくれた炬燵を堪能しよっかな』

俺はそう言って二階へと上がった。

部屋の中は明け方のソレと比べればまだ温かいが、十度ちょっと、いくかいかないか位か。

それを灯油ストーブを取り出して二十八度に設定する。

そうした上で夏の部屋着、Tシャツと短パンに着替えて炬燵に入る。

そこでお待ちかね、アイスの蓋をカパっと開ける。

エメラルドグリーンと言うべきか、シアンブルーと言うべきか。

その色一色が、そのカップ全体を埋められていて、まるでターコイズの宝石。十二月の誕生石だから、今食べるのにはピッタリだ。

そのカップの中にアイスの木ヘラをプスリと差す。

それを掬って、口の中へと運ぶ。

堪らない。口の中一杯に爽快感が広がって、俺の部屋だけが常夏の海岸でバカンスでも楽しんでいる気分だ。

その雰囲気ごと味わえるこの爽快感たるや。外では極寒だが、家では真夏といった、逆に冬でしか味わえない、俺の嗜好だ。

アイスを次から次へと運んで、気分も一入。俺は炬燵から立ち上がって、シャープペンシルと、角には点々と黒いゴマ粒が散りばめられているA四の紙を一枚、取り出した。

そして、再び炬燵へと潜り込む。

アイスを一口頬張って、俺はA四の紙を眺める。

俺はそこにねむちゃんへの想いを纏めようと、シャープペンシルの芯をカチカチと二つ出す。

だが、また手が止まった。

書こうとするも、今度は違和感が俺を襲った。

思い付かないのではない。文字面にして、書くと言う行為に、違和感が走ったのだ。

ここに書いた所でなんの意味を持たない。そんな字面だけ並べたのを暗記して言うのは簡単だが、俺が伝えたい気持ちはもうハッキリとしている。

長くはない。たった一言で、物足りないかもしれないけど。

『辛い時に、いつも側に寄り添ってくれたのはねむちゃん。俺はいつの間にか、そこに惹かれた』と。

俺はそう思って、A四の紙に一言、書き添えた。

『霧海ねむちゃん。大好きです』

その紙を四つに折って、桜の花ビラを挟めた。

そして、机カバーにそっと挟める。

『これで、いい』

俺は気持ちだけでも伝えたい。その想いで頭が一杯だ。

『ふぅー…。ちゃんと、言えるかな…。あ、そうだ…』

俺は机の横に掛けてある鞄から、キーホルダーを取り外して、俺の目の前にプラプラと揺るがせながら、言った。

『…なんだか、お前の力なんて頼らなくてもいいんだけど…。一応な』

俺はキーホルダーを机の上にコトリと、静かに置いた。

明日の準備は、整った。

すると、一階から母さんの声が聞こえた。

『麻利央ー!温かいお蕎麦、出来たわよー!』

『あー!すぐ行く!』

俺はそのキーホルダーに『じゃあな』と、声を掛けて、ミントアイスを一気にかっこんだ。

『んー…!あったまいてー…。キンキンするよ』

そう言いながら、俺はダダダと、騒がしく階段を下りた。

この一日、俺はどこかスッキリとして過ごせている。

昨日は寝不足した分、今日は早く寝床に着こうと、もうこの時には決めていたのだった。

 

 

 

 

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