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Yuja... 私のなかの...

私がYuja Wangについて再び書くことはないと思っていた。心ない「スキャンダラスな」眼を注ぐいくらかの人々は散見するにしろ、マケラとの協奏曲や室内楽、ソロ活動の実績に、もはや私などの「応援」は必要ないと思っていたからだ。だが私はこの動画に出会った。私は私のなかのYujaに、もう一度つたない「ポエトリィ」を捧げたいと思ったのだ。

そう、一連の私のYujaに対する文章は決して「評論」ではない。

一聴、「指の速さ」に保証されているかのような、「指のコントロール」の「完成度」の高さをまず感じた。が、Yujaの指の速さは10代のころから極めつきだ。ここで特にコントロールがよく感じられるようになったのは、むしろ彼女の成熟だろう(スピリテュアルな、と言いたいのを耐える)そうして「音楽・音質の内向性」が極めてロマンティックに高く昇華している。「Yujaの音楽」が高く深く「内向的だ」という言い方は、いまやおわかりいただける方が多いはずだ。

そうしてここで強く言いたいのは、曲のスケールとユジャの音楽が平衡している、ということ。天才肌のむらっけを愛していた私などは、時に現れる破綻をすら愛していたのだが、ここでYujaはひとりの完成した芸術家である。

テクニック的なことで、美音の持ち主ならではの打鍵してからの減衰点の遠さがあるけれど、「Yujaの音楽」のまえでそれは小さなことだ。

アンコール、ロマンティック極まりないヴォカリーズ(私がユジャに最初に惚れた佳曲)ポルカV.R.…

そうしてヴェルビエに集った若者たちの、メータのもとでの熱演は、今日の私の手に余る。評じてくださる方もまたいるだろう。私はYujaへの思いを胸に眠りにつこうと思う。


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