見出し画像

グルダのこと はじめに

これまで書けないでいたユジャについて書いた以上、グルダに思考として接近するのは私の魂の必然で、やがてジャクリーヌにもたどりつくことができるのだろう。

グルダが指揮をするものとしても極めて優れていたことは、数々のモーツアルトのコンチェルトの弾き振りでも明らかだ。音楽に「覚悟」が見える。

弾き振りには無理があるこの大曲でグルダの音楽はすこぶるよく出ている。

ここでのグルダの指揮とピアノの技術を嗤った某有名評論家のDVDのライナーがあったが、指揮技術とピアニズムへの無知を露呈しただけだ。そもそもザッツの指示やアンサンブルの整序はコンマスの仕事だ。プロの指揮者の役割を勘違いしているひとは多い。いったいほかのどの「指揮者」・ピアニストがこの大曲を指揮振りしてこれだけの音楽的高みを実現できることか。

そして意外に見過ごされがちな、美音と楽器全体の鳴り、極めて美しいレガートなど、グルダのピアニズムとしての到達の高さだ。「音楽する」ことが重要で第一で、一見「興味がない」ように見えるが…

グルダのベートーヴェンは音楽的に極めてシビアである。私はテンポとリズムのことだけを言っていない。だがここでの演奏に、何とも言えない父親のような「人間的」温かみも現れている。グルダベートーヴェンの最終な到達として。グルダが音楽の悦びを私たちに伝えようとしているのだ。

さてグルダへの接近、初回はこのくらいにしておこう。まだまだ私はグルダの「仕事」に目が眩んでたっぷりした思索ができない。

https://youtu.be/weK_L4oxbEo?si=igaL8Vm2fK5NYkUE


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?