Yujaのこと その1
Yujaがやっとつかまえてこのシューマンと幸せな結婚をした。
ぼくはそれほど熱心なYouTubeのユーザーではないから、Yujaがコンツエルトで成功した例を、比較的「演奏効果の高い」といわれるチャイコフスキーの1番なども含めて、このラフマニノフ3番しか知らない。
ラフマニノフ協奏曲3番
シューマンピアノ協奏曲
そのパーフォーマンスに比して、ぼくはYujaの音質が暗く、音楽的には内向的なプレイヤーととらえていた。だからこのタイムラインでもショパンよりも、ラフマニノフでもヴォーカリーズとか、あとはスクリャービンなどを好んで取り上げていた。Yujaの速弾きももちろん大好きだったけれど…
そうして、かつてぼくにとってジャクリーヌ・デュ・プレがそうだったように、ライターを名乗りながら、どうしても言葉にできないほど愛したプレイヤーのひとりだったのだ。
自分を持て余していたYujaがここである確信を得ているような気がする。きわめて難曲ながら「演奏効果が上がらない」とされるこの曲で、Yujaがついに到達したのではないか、あるプラトーに。
Yujaが初めから楽器をちゃんと弾き、鳴らすという以上に、音楽をする人だったということは意外に見逃されているのではないか。
ピアニストならだれでもそうだとは言えない、Yujaは一人でオーケストラなのだ。
だから時に稀代のテクニシャンとして時代のエッジを振り切れんばかりにわたってきた彼女が、コンツエルトでアンサンブルを乱すか、曲のスケールの大きさに負けてしまったりした。だがぼくは、このシューマンを聴く前、破綻をきたすすれすれのところだった、ゲルギエフとのブラームス1番を限りなく愛した。そこには深い愛と音楽があったからだ。
このシューマンは、タイミングとザッツが完璧で、Yujaのサムシンエルスは表現で割り切れて余剰がない。もしかしたら、強拍弱拍カデンツの設計で、ヨーロピアンネイティブの人たちには違和感があるのかもしれないが、ぼくらアジア人には、武道にも通じる裂帛の気合すら感じる表現!そうしてYujaの音質と音楽が外に開いた!
ここに、Yujaにしか表現できない音楽の喜びがある。 Facebookより
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?