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無職日記その9

 退職して4か月。
 思うことを書いていく。

1:時間がないとできない、時間があってもできない

 できればもう会社に属して働くことをしたくないので、自分一人でどうにかなるフリーランスで生きていけないか模索中だ。
 今は小説を書き始めている。そして、欲を言えばこれで食っていけたらと思っている。もう40歳を超えて夢物語みたいなことをと言われるかもしれないが、人生の中で無駄に思えるものを削ぎ落として、最後に残った「自分が本当にやりたいこと」というのが創作活動だった。多分このタイミングで腰を上げないと、また現実に夢が押し流されてしまう。そして死ぬ直前にとても後悔しそうだ。それこそ死にたくなるほどに。

 しかし現実というのはそんなに甘くはない。無職になったので時間はかなり手に入れた。だが、やる気が出ないのだ。
 会社を辞めて2~3か月ぐらいまでのほうが、ちゃんとした生活をしていた気がする。生活リズムは今とさほど変わっていないが、少し前までは午前中にやるべきことを済ませていた。だから午後も充実していた。

 今はちょっと、その流れが止まりつつある。というのも在職中に「あとで見よう、あとでやろう」と思っていた映画やゲームに手を出してしまったせいだ。当然これらは楽しい。そして、楽しいものが起床してすぐ触れられる状態にあるなら、そっちを優先してしまう。私はとても心が弱い。
 だが、これは危険な兆候だ。楽しいことを優先してしまった結果、何かをやろうとする時間がどんどんあとへずれ込み、早くても午後2時ごろになってしまっている。そうなると手のかかることをしたくなくなる。時間はたっぷりあるため、明日にすればいいかと言い訳をして、結局その日は自己研鑽の時間がなくなってしまう。

 無職のため誰に指示されることもない人生は気楽でいいが、逆に、強制的に他人からスケジュールを指示されたほうが生きやすい人もいる。自分はどうなんだろうな。もっとうまくやれるつもりでいたが。
 ともかく今は自律が重要だ。少し前のようにちゃんと時間割りを決めて、午前中に有意義なことをしなければ。そうでないと結局は勤め人に逆戻りだ。

 ちなみに「働きながらでも創作活動はできるのでは?」と思う人もいるかもしれないが、少なくとも自分には無理だった。忙しすぎたし、シフトもてんでバラバラな仕事だったというのもある。
 要するに創作を習慣化できなかったのだ。自分は飽きっぽい性格というのもあり、間が空いてしまうと、それに打ち込む気持ちまでなくしてしまう。しかし時間があったらあったで手のかかることを後回しにしてしまい、毎晩寝る前に後悔してしまう。
 つまりは精神が幼稚なんだろうな。いつか笑ってこの文章を読める日が来ればいいが。

2:テレビ番組はもう限界かもしれない

 お盆の時期に帰省していた。とはいっても埼玉から茨城に戻るだけなのでそんなに遠出にはならないが。

 実家は楽だ。両親は健在なので、こちらが何か介護をしたり世話をする必要もない。行きたいところがあれば車で連れていってくれるし、飯だって自分の分も用意してくれる。なので実家に帰ることもそんなに苦ではないのだが、一番の問題はWi-Fiがないことだ。
 スマホのテザリングを使えば実家のテレビでもアマプラやYouTubeを見ることができるが、やはり基本的には地上波やBSなどの、いわゆる「普通のテレビ番組」を見ることになる。

 で、これがつまらない。
 もはやバラエティー番組など見る気にもならない。私にとって今のバラエティーというのは、「知らない人が知らない人のことをしゃべっている」だけの低俗なものになってしまった。その辺のスーパーとか道端とかで、おばさんたちが輪になって何かしゃべっているものを傍から聞いているような気持ちになる。そりゃ話術みたいなものもあるだろうし、テロップや笑い声が入っているのでそれなりに楽しげな雰囲気は出せているが、それがどうしたというのだ。つまらないものはつまらない。

 それ以外はというと、やけに旅番組が増えてきた。しかも海外旅行といった豪勢なものではなく、近場をバスで移動したり、ひたすら歩いたり、そんなものをどの局も大真面目にやっている。知っている場所や行きたい場所であれば興味を持って見られるものの、やはり「テレビって衰退したなあ」という気持ちにさせられる。

 あ、ちなみに報道は8割が論外だと思う。というより「報道番組」は今の日本のテレビ局に存在するのだろうかというぐらい、低俗化が激しいと思っている。

 それから極めつけはCMだ。もはや若者向けのCMなどソシャゲぐらいしか流れていない。あとは健康食品とか通販とか、完全に「ネットを使えない人たち」を狙い撃ちにするような内容ばかりだ。

 私は個人的に、2030年をめどにテレビ局のパラダイムシフトが起きるだろうなと思っている。
 何が起きるかというと、まずは放送枠の削減だ。深夜番組はどんどん消えていくだろうし、昼間のドラマ再放送枠もさらに増えるだろう。要は「新規の番組」が徐々に少なくなっていく。穴埋めのようにして過去の遺産を流し続け、それが尽きたらBSやCSのように他社製の通販番組をひたすら流すかもしれない。自社製のもので最後まで生き残るのは生放送だろう。最も費用がかからないからだ。

 そして番組製作会社との関係も変わるだろう。テレビ局というのは製作会社が作った番組を自分たちの持つ放送枠の中に入れて流すという形式がほとんどなわけで、これまではその放送枠が貴重だったために局側が上の立場にいたが、今はもうさまざまな媒体で自由に自分たちのプロダクトが流せる時代だ。地上波の持つ影響力はしばらく続くだろうが、「あんたのとこで買ってもらわなくても、よそに持っていって流してもらうよ」という製作会社が増えれば、おのずとテレビ局の立場は失墜していくだろう。これらの動きがより大きくなるのが、私は2030年ごろだとみている。

 しかし、そう思っていたものの、たまーに仕方なくテレビ番組を見ていると、その質の低さに唖然としてしまい、2030年を待たずに大きな流れが起きるのではないかとさえ思えてしまう。
 お盆や正月など、昔は特別番組がたくさん流れるのでそれを楽しみにしていた。しかし今は無言でリモコンの端のほうにあるYouTubeやアマプラのボタンを押すだけだ。今の50代以下の人、大半がそうではないだろうか。

 というわけで、実家に帰省して強く思ったのは、両親の衰えよりもテレビ局の衰えだったという話でした。
 復権の芽があるとすれば「競争意識をもう一度取り戻すこと」「真摯に番組作りと向き合うこと」という非常に基本的なことをもう一度見直すのが大事なのだろうが、ぬるま湯に浸かりきってしまった連中にそんなことができるのだろうか。
 でも、もしそういったスローガンを謳う人が局内に出てきても、恐らく社内政治で潰されるのだろうな。奴ら、保身の動きだけは素早いだろうし。

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