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生きる意味は問わないけれど、燃え尽きた感は半端ない

前回記事投稿してから、あっという間に2ヶ月になろうとしている。
葬儀からのあらゆるゴタゴタが、本当に一区切りしたからなのか、何もやる気が起きない状態に陥ったようなのだ。
やらねばならぬ、という使命感を必要とすることがなくなったので、体調が悪化したのもそのせいだろう。
何もかも、自分の人生も、もう、終わった感がすごい。
表面的には、そう見えないらしいが、心の奥では、ジ・エンドという文字がいつも点滅している。
でも、まだ、不治の病にもかかって居ないようなので、生きていかなければならない。
希望も、喜びも感じないけれど、生きていくには、何かやらないと時間が潰せない。
そこで、4月から、基礎英語レベル1を聴き始めた。
大した意欲もないのだが、語学には興味はある。
何か、興味の持てるものをちまちま続けていく。これしかない。

そんな時、アニメを見てハマったのが「Dr.stone」だった。

石化光線で文明が滅んだ原始の地球にたった1人。科学を駆使して全人類を石化から助け出すという目標の下、地道に頑張る主人公。そして、徐々に増える仲間と対立する人間と科学のクラフトと、よく練られた物語が面白いのだが。面白いだけでなく、私にとっては泣かされるシーン続出の作品でもある。
特に、アニメシーズン3の最後の方のシーン。敵方との戦いに勝つも、たった1人になり、夕暮れの崖の上で「また1人だ」と呟く。

状況は違うのに、あのシーンを見るたびに、介護の緊張生活で極限まで追い詰められていた私が、保護入院によって助けられたあの時の感覚を思い出す。
世界にただ1人、誰も私の本当の気持ちを理解する人はいない。その、孤独感とリンクする。そして、その気持ちは、今もずっと続いている。
誰にも、この感覚をわかってもらうことはできない。
それは、確信に近い。本に書いたところで、表現しきれているとは思えない。
だから、人と話をするのがしんどい。説明を求められても、上辺の成り行きの中に真実は宿せない。それならいっそ、何も話さない方が気が楽だ。

そして、時間が経つごとにその孤独感は薄まっていくかと思えば、全く違う。
世界の中にたった1人。
自分の中で、何かが腐っていくのを感じる。
自分が腐り落ちていく感覚は、なんとも表現しづらい。
そう、だから、心の奥でいつもジ・エンドが明滅するわけだ。

人は、喜びがなければ生きられないという。
それはそうだが、極度の苦しみがなければ、極度の痛みがなければやり過ごすことはできる。
生きる意味なんてどうでもよくて、ただ、生きていく。
死んでいくその時まで生きていく。そのためには、何をしようか。

まあ、何をしようと、心の底から喜びが湧くことがないのだからなんでもいいっちゃいいんだけれど。集中力も低下してるからなあ。

ぼちぼち、地道な英語学習とか今気になる本なんか読むことで
自分のリアルを忘れる時間を作る。
とりま、できることはそういうことだ。

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