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幸せになる方法って?

著名人のYouTubeをみていて、「年収1000万を超えたくてがんばってきたが、いざ超えても幸せになれなかった。上には上がいて、また次は年収2000万の人と結局比べてしまう」
「貯金一億を貯めるために全て我慢してがんばってきたが、達成しても幸せになれない。今までのことを振り返ってなにをしてきたのだろうとむなしくなった」なんていう相談をしている方がいた。

私たちは生まれてから、こうなりたいとか目標を作るように言われてきたからか、大きな目標をかがげる癖がついている。
でも、がんばって目指した先に、上記のような感情が待っているとしたら、それってどうなのだろう。
結局、幸せな生活ってなんなのだろう。

上を目指してがんばって到達しても、結局上には上がいて、終わらない追いかけっこになるという話はよく聞く。
だけど上を目指してがんばることをやめたら、それはそれでやりがいがないというか、張り合いがない気もする。
目指している過程が楽しい、という考え固くもあるが、必ずしも楽しい人だけじゃない気がする。
むしろ上を目指すのってつらいことが多いんじゃないか?

長いスパンで目標のためにがんばる意外に、幸せな生活を目指すなら、、
今夜の夕食は美味しい焼き豚を作ってあるからそのために一日がんばろう、とか、一週間後にいきたかったカフェにいくためにがんばろう、とか、1ヶ月後に好きなアーティストのライブがあるからがんばろう、3ヶ月後の長期休みにいく旅行のためにお金貯めようとか、そういう短いスパンのご褒美を作って生活してするのが理想の生活ってことになるんだろうか。こういうタイプのご褒美(目標?)ならば、むなしくなることは少ないと思う。これならはまた叶えたいとなるからだ。

年収1000万だと、一度超えてしまうと次の年に同じ額でも、その喜びは2度は味わえないだろう。おそらく次はもっと上の2000万とかを超えないと喜べない。
でも焼き豚やカフェ、ライブ、旅行なんかは、もう一度目標としてリサイクルできるし、物自体(焼き豚でなくて寿司、カフェじゃなくてディズニーランド、というような感じで)も変えることができる。

確かによく考えると、人間は長く生きた分だけ向上できると決まっているものではない。
むしろ年齢を重ねたら体力面では確実に落ちるわけだし、残りの寿命は生きた分徐々に減っていく。
知見は増えるかもしれないが、逆に頭が固くなってしまう人もいるだろう。
長く生きて向上していけない可能性があるのなら、あまりに遠くの大きすぎる目標のために今我慢するというのは、報われないのかもしれないと思う。
ならば短いスパンでご褒美を作ってそれを楽しみに生きる、こういうことが、幸せな生活なのかな。40代以降の人はけっこうこんな感じで生きてる人も多いように感じる。

これが理想の幸福な生活なのか、本当にそうなのか。
だけどなにかの実験で、今幸せと答えた人と幸せじゃないと答えた人で、30年後同じ質問をしたら、同じ答えをする人が多いそう。
つまり、幸せは日々感じるもので、なにかに到達したから幸せになるわけでないのだ。

でも、そういう楽しみはちゃんと持ちながら、さらになにか人生で大きなものを目指すのもあったほうがいいんじゃないかという思いはやっぱりある。

こんなことは一生答えがでなくて、わからなくて模索すること自体が人生のおもしろさなのか。
とにかく、何事も叶うまでの行動をしているときが楽しいわけだから、行動し、日々を楽しむことはけして忘れちゃいけない。(バランスが難しい。私は目標があると日々のことが見えなくなりがち)

人生、30年以上生きたけど、まだまだ未知。こんなことを考えているとき、私は楽しいから、わからないからこそ人生は楽しいのかなと、とりあえず一旦筆を置きます。

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