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ゲルハルトリヒター展 色が見せるイメージ

東京国立近代美術館にて開催中のゲルハルト・リヒター展(※会期は10月2日まで)。

 
今回は、《ビルケナウ》という作品にフォーカスをあててみた。
学術的な話よりも私個人の感覚の話を書いているので、ご了承ください。

 
《ビルケナウ》は四点の巨大な抽象画から成り立っている。展示室に入ると、絵の一枚一枚が発する何か不気味な感覚に覆われた。



その感覚はどこから来たのかというと、絵の中の灰色だ。灰色から私はいろいろなことを連想した。

例えば、スピルバーグ監督の映画《シンドラーのリスト》だ。この映画はドイツ人の実業家オスカー・シンドラーが、強制収容所からユダヤ人の命を救い出した実話を描いている。ここで注目したいのが、白黒の映像が使われているという点だ。
私は、《ビルケナウ》の灰色と《シンドラーのリスト》のモノクロ映像がつながったように思えた。

他にも、パブロ・ピカソの大作《ゲルニカ》も連想した。この作品は、第二次世界大戦中のドイツ軍による無差別空爆をテーマにしている。そして《ビルケナウ》、《シンドラーのリスト》とともに、灰色がメインで使われている。
 
もし私が《シンドラーのリスト》や《ゲルニカ》を見たことがなかったら、《ビルケナウ》からこれらを連想することがなかったかもしれない。
灰色が戦争を連想させるという先入観があったのかもしれないが、《ビルケナウ》が発する【見てはいけないものに向き合う感】があるのはたしかだ。
見た目は抽象画だが、見る人にとっては自身が経験したこと、知っていることから何かをイメージする。
色の向こうにあるものを見る・イメージするという大切なメッセージを作品から受け取ることが出来た。
 

もう一つ特徴的なのが、《ビルケナウ》の展示室だ。
展示室には、四枚の抽象画とその向かいにレプリカが展示されている。そして絵画とレプリカの間には鏡が設置してあり、鑑賞する私たちの姿も見ることが出来るようになっている。



音声ガイドのには、『歴史は繰り返すことを意味している』と解説されていた。たしかにそういった意図があることは間違いないだろう。

ただ私は、それに加えて『ホロコーストという惨劇を見ている私たち』というのを鏡に写し出しているのかもしれないと思った。自分の姿を意識することによって、自身の意識と肉体が存在していること、その場に自分が居合わせていることを認識せざるを得ない。

あまり良い言い方ではないが、『その場から逃げられない』という強い意図が存在しているようにも感じた。
 
『見る』とは何か、『作品』とは何かを一から考えることが出来る。
この貴重な機会に、ぜひ足を運んでみてはいかがだろうか。
 

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