見出し画像

「学校に行かせたくなる気持ちが抑えられないときー 不登校のお子さんと向き合う親へ」

親自身が不完全であることを知る



親がお子さんに対して感じている愛情は、時に厳しさを伴うことがあります。私たちはしばしば「完璧な親」であることを求めがちですが、実際には完璧な親は存在しません。また、絶対的な受容が親の愛だとされることもありますが、それは必ずしも真実ではありません。親もまた人間であり、不完全です。この不完全さを認め、それでもなお子どもを愛することが、真の親子関係の基盤となります。

カウンセリングの世界では「程よい母親」という概念がよく用いられます。これは、子どものすべての要求や行動を無条件に受け入れるということではなく、子どもの気持ちや考えを理解し、それに対して過不足ない対応をすることを意味します。子どもと親は異なる人間であり、それぞれが独自の考えや感情を持っています。この違いを認め、受け入れることが重要です。

最終的に、子どもには自分の人生を自分で決定する権利があります。親としては、その自己決定を尊重し、支援することが求められます。
子どもが自分の人生の主人公として成長できるように、背中を押してあげることが、親としての責任と言えるでしょう。


揺さぶられる親心

しかし、進学や就職など、人生の節目を迎えていくよその子どもを見聞きすることで、親心が揺さぶられることがあります。

私は、長女の同級生の親たちと20年の付き合いがあり、今でも時々ランチや飲み会、愚痴を言い合いながら半年に一度くらい、互いの近況報告をしています。
就活だ、海外留学だという話を聞くにつれ、いつまでたっても高校を卒業できないわが子の身を思う一抹の寂しさがないとはいいません。娘が選んだ選択を支える自分の苦労をみんなが知ってくれて、慰めてくれますし、互いの苦労話もして孤独を癒すこともできます。

お互いに、20年間も成長を見守ってきたこども達の、成人式の写真をみて目を細めて時の流れを感じ、自分の老いも自覚します。

圧倒的に、決定的に、一般的な道から外れていることを痛感したりもします。

その時に、自己選択をしたのが子ども自身であること、親は子どもの人生を代わりに生きることはできないことを思い返します。
そう思うことで、自分が脅かされたり、揺さぶられることは今はもうありません。
ただ、本音を言うとほんの少しだけマイノリティである疎外感を無視できない辛さを感じるのは確かです。

結局、社会の中で生きる限り、「比較する」ことがやめられないのも事実。
親だって完ぺきじゃないのだから、仕方ない。

親ができることといえば、子どもが抱える苦しみの大きさを想像し、不安や怒り、無力感を支えることでしようか。

否定しないで傍らにいることが、子どもの自己治癒力を高めていくかもしれません。できそうでできませんよね。だからこそ、親も誰かにささえてもらわなければならないのです。

親は子どもという苗木を支える添え木であり、その親を支える大きな木の木陰になる大樹が社会であってほしいと思っています。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?