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仮面浪人の手記


 我輩の高校時代の友人兼浪人時代の戦友がnoteを書いていた。その時にこんなアプリがあるのだと知った。とても面白そうであったので私も遅ればせながら筆を取らせていただく。一人称は我輩で行こうと思う。

友人のnoteへの感想
 非常に興味深い内容であり、我輩にも当てはまる点が多々あった。しかし、その友人と話していても、何も違和感なく、彼は思慮深く、至って一般的な成人男性の様に思える。勤め先での失敗の多さ、日常生活での間の抜け方を考えると、注意力が他人よりもない、部分的ADHDなのだろうか。精神疾患というのは線引きが難しく、健常者から障害者まで連続的に分布しているため、誰でも何かしらの精神疾患を持っていると我輩は考えている。色々困難もあるだろうが、頑張ってほしい。

ONE PIECE FILM REDは見たのか
 見ていない。見る予定もない。

ここから長くなるかも

我輩の暗黒時代、千葉大仮面浪人時代についての手記
 我輩の経歴を軽く説明しておくと、我輩の母校を卒業後、駿台予備学校に進学、一年の浪人を経て千葉大学に進学。その後、一年の仮面浪人を経て東京大学に合格、そして今に至る。普通の人から見ると少し奇異な経歴を送っている。このnoteを書くときどんな話題を書こうか迷ったとき、この時代、我輩がどの様な生活を送っていたのか書くのなんて面白いのではないかと考え、書き始めたのである。仮面浪人しようか迷っている人は参考にすると良いかもしれない。

・どのような生活を送っていたか
 週2回コンビニバイトを入れ、週1回家庭教師をし、週1~2回の頻度でだらだら車校に通い、基本千葉大の授業と課題を済ませてから、一日2、3時間ほど東大の入試勉強に勤しんでいた。こんな生活でもコロナ禍であったためそこまできつくなかった。土日は結構暇で、中学時代の二浪しているやつに一緒に勉強するよう毎週強要していた。車校の待ち時間や病院の待ち時間など、隙間時間があれば嬉々として勉強していた。むしろ待ち時間があると嬉しいと思っていた。スマホのアプリは娯楽系は全て消した。父が使うスマホ画面みたいになっていた。千葉大の授業課題が終わった後、疲れてしまい、勉強したくない時が多々あったが、いくら辛くても、疲れていても、眠たくても、身体が悲鳴をあげたあたりからが醍醐味である。アニソンメドレーをかき鳴らし、ギンギンの眼で、Lみたいに椅子に座り、奇声を発しながら1日のノルマを消化していた。朝早く起きてやればいいやとか、眠いから効率が落ちるとか意識高いこと考えてはいけない。どうせやらないのだから。ある程度無理をしないと自制などできないことは自分がよく知っている。昼食なども親から一任されていたが、家を出る時間がもったいないという理由で大体カップ麺を買い込み、啜っていた。そのせいで肌は荒れるしがりがりになって歩くだけで辛いし散々であった。(ちなみに仮面浪人時代にangel beats!のガルデモには特にお世話になった。岩沢さんの歌う声で何度奮い立ったことか。ありがとうございました。)

・どのようなマインドでやっていたか
 よくこの話をすると言われるのが、よく頑張ったね、とかすごいね、とか言われる。おそらくかなり辛かったのだろうと思われているのだろう。しかし、正直なところ、心的にはそこまで辛くなかった。まず前提として、絶対東大合格するぞ!というモチベーションではやっていなかった。ただなんとなく、このまま千葉大生として少しの学歴コンプを抱えて生きていくのかな、という焦燥感があった。一応東大を受け直す手もあるけれど、とてもそれは辛い道のりだし、頭よくないな、と思ってた。でも少しずつ勉強して、千葉大の単位もとって、不合格でも自分の中で無かったことにすれば、ノーダメージで再受験できるなぁ、とは少し思っていた。しかしそんな道のりを我輩が渡り切れるとは思わず、まあ、本当にやりたかったら身体が勝手に動くだろうと楽観的に考えていた。事実今回は身体が勝手に動き、東大に受かった。正直心の方はずっと動揺しっぱなしであった。受験要項を取り寄せるときや、東大模試の要項取り寄せるときは、スマホ画面見ながら、俺何してるんやろ?え、俺ガチで東大再受験するの?みたいな感じで心が追いついてなかった。身体だけはずんずん先に進んでいた。受験当日、自分の席に座ってた時などは夢心地であった。え、俺ガチで東大再受験しとるやんwと思っていた。逆に落ちて普通なので全く緊張せずに受験できた。受験から帰った時は、ああ、夢が終わったな、と思った。
ここまででわかるように仮面浪人時、我輩は全く思い詰めてない。頑張ろう!とかではない。いやー流石に再受験とかはせんやろwのマインドで再受験したわけである。書いてて意味がわからない。だが逆にそのおかげで心は全然辛くなかった。充実さえしていた。明らかに人間の生活はしていなかったけれど心が折れることはなかった。模試のときに食べたラーメンが印象的であった。ついぞ誰にも見せることなかったラーメンの画像、ここでサムネに使うことになろうとは。麺やスープは普通であったが肉がとにかく肉厚で美味しかった。今思うと仮面浪人時代に週一度ほど奮発して行く山岡家のおいしさは筆舌に尽くしがたいものがあった。ありがとうございました。

・やった勉強について
 数学と国語はほぼ勉強せず、英語と理解を重点的に勉強した。結果、英語、物理、化学が10点ずつくらい上がり合格することができた。うん、勉強関連は掘り下げればいくらでも書けるが、つまらないので割愛とする。でもやっぱり受験って運ゲーだなって思った。国語の解答なんてその日の体調でころころ変わる気がするし、数学は解ける問題見極める運を信じるゲームだし、英語はリスニング運ゲーだし、理科は単純に実力がないですごめんなさい。

・コロナ禍について
 正直、我輩が再受験した一番の要因はコロナであると思う。完全オンラインであったので家で考える時間が長く、バイトや車校で時間を埋めようとしても、どうしても暇な時間が多かった。そういうときにふと東大が頭をちらついたのである。不謹慎かもしれないが、言わせてもらう。ありがとうコロナ。

・その他諸々の話
 受験の出願書類や模試の書類は親に見られるとアウトなので配達されそうな日に毎朝父より早く起きてポストを確認しに行っていた。
 共通テスト受けるとき、祖母には共通テストのモニターのバイトしてくるという意味不明な嘘をついていた。
 合格したあとも親に言う気はなく、入学金をバイト代で払った後どうしても授業料のめどがたたず合格後1週間後くらいに親にうちあけた。信じてもらえなかった。しかし、全面的に同意してくれて嬉しかった。ありがとう、父。
 本当に受かるまで東大再受験の話は誰にもしなかった。中学の二浪のやつと一緒に勉強してるときは主に大学の課題をやり、教えるふりして受験勉強していた。

・・・このようなところであろうか。一気に書き切ったが、まさかこんなボリュームになるとは思わなかった。選んだ話題が悪かったが、昔を顧みることができて楽しかった。また書く日は来るのだろうか。なんならリレー形式でみんなに書いてもらいたい。ということで次は名前の清涼感がすごい人よろしく頼む。寝る。(丁度3000字)

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