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天気職人

「うわっ、雨……」
良一は、持っていた鞄を頭の上に乗せて走り出した。天気予報を見ていなかったことを後悔してみても、髪も服もぐっしょりと濡れていく。
次第に強くなる雨足に、これはダメだとコンビニの前で止まった。晴れ間は覗いているというのに、大粒の雨は横殴りに降っている。
「狐の嫁入り、だね」
ふいにそう言われて、良一は肩を跳ねさせて振り返った。
「美希か、おどかすなって」
「ごめんごめん、私も傘忘れちゃってさ。折り畳み傘もないから買ってたの」
美希は、良一の隣へ来ると楽しげに笑う。どうやら、風呂上がりのようにびっしょりの良一が面白いらしい。上から下までしげしげと眺めてはくすくすと笑っている。
良一はなんだかバツが悪くなって、美希の視線から目を逸らした。空を見上げれば、やみそうにもない雨。
「入れてあげよっか?」
いたずらっぽい声に、眉を寄せる。
かなり気恥しいが、願ってもない機会だった。美希は、買ったばかりの折り畳み傘をゆらゆらと鼻先の人参よろしく見せつける。
良一はヒョイッと取り上げた。
「ちょっ、なにすんのよ」
「うるさい。入れてくれるんだろ」
「素直じゃないなぁ。ありがとうくらい言えばいいのに」
「アリガトウ、タスカリマス」
「わー、腹立つ」
ぶーぶーと言う美希を無視して、傘を開く。一歩踏み出してから、美希を手招いた。
「入れよ」
「それ、私の傘なんだけど」
「……んじゃあ、どうぞお嬢さん? わたくしめが雨からお守りいたしますので」
「うむ、くるしゅうない」
「お前、それは悪代官だろ」
「失礼だな、お姫様だよ」
「はいはい、いいから入れって」
納得がいかない、と言った顔で傘の中、良一の隣に立った美希。どこの香水なのか、ふわりと甘い香りが小さな世界を満たす。一瞬よぎった幻想を、良一は頭を振って振り払った。
不思議そうにその様子を見つめる美希のことは気にしないことにして、歩き始める。美希は、ぱたぱたと着いてきた。
「なんで狐の嫁入り、って言うんだろうね?」
美希が、傘の外をきょろきょろと見渡しながらそう言った。
「さぁねぇ」
「晴れと雨が狐みたいだから?」
「化かされてるってこと?」
「そう。だって晴れてたら晴れだと思うじゃん。なのに雨。狐につままれたーって」
「……嫁入りはなんなの」
「そんなの知らない」
投げやりな言葉に、思わず笑ってしまう。のんびりとした、テンポのいい会話は心地よいものだった。
昨日のドラマの内容、驚いたニュース、進まないダイエット計画、日々の愚痴、ささやかな幸運……
美希の口からは、他愛のない話が止まることなく溢れ出てきた。良一はそれを、時々右から左へ聞き流しつつ相槌を打ちながら聞く。そうしていると、時間がゆったりと進んでいくようだった。
もう少し、このまま美希の話を聞きながら過ごしていたい。そんな、柄にもない考えまで浮かんできてしまう。
すると、ふいに美希が頭を抱えた。
「あーあ、さっきプリン買っちゃえばよかった」
「ダイエットしてんじゃないの?」
「それはそうなんだけどさ、無理して痩せてもリバウンドしちゃうじゃん」
唇を尖らせて自分の腹をつまむ美希に、良一はぷっと吹き出した。
「そんなこと言ってたら一生痩せないね」
「あ、女の子にそういうこと言うとバチ当たるよ」
良一の言葉にいちいち反応してムッとする美希は、年齢より幼く見える。じっとりとした目を向けられ、良一は肩を竦めた。
「まぁいいけど。おいしそうだったんだよ、プリン。ホイップクリームが乗ってて、サクランボとか、キウイとか、チョコも乗ってたかな」
「甘そ……」
「デザートだもん」
「よくそんなもん食べれるね」
「女の子は甘いもの好きなの」
「お前に限って、だろ」
「そうかな?」
「知らないけど」
「はぁ……良くんはそういう男だよ……」
「どういう意味だ、コラ」
そんな会話をしていると、とうとう美希の家の前に着いてしまった。二人は、話をやめて立ち止まる。
玄関口まで来て、傘を閉じた。水気を払うために振っていると、美希がアッと声を上げる。つられるようにして空を見ると、目の覚めるような青だけが広がっていた。
「晴れた」
「短かったね」
言い合って、青空を見つめる。
しばらくそうしてから、良一はハッとして美希に振り返った。
「帰るわ」
「あ、うん。送ってくれてありがと」
「はいはい。傘、ありがと」
美希が家の中へ入るのを見届けてから、良一は歩き出す。先程までの雨は、すっかり雲の上へ身を隠してしまった。
急な雨も悪くないじゃん。良一は、内心で呟きながら振り返った。
美希の家は、変わらずそこにある。
「誘ってみるか、夏祭り……」
なんとなく、上手くいきそうな気がした。