本と出会い
「難しそうな本読んでるね。なんていう本?」
突然の声掛けに私は思わずびくりと飛び上がってしまった。
外出の用事があり、地下鉄に乗っていたときのことである。
最近は電車で読書をしている人も少なくなってきた。厳密には読書をしてる人が少ないのかどうかは分からない。ほとんどの乗客は携帯電話とにらめっこしながら電車に乗っているけど、電子媒体が普及しているから、音楽を聴いている人もいれば、SNSを眺めている人もいる。中には、電子書籍を読んでいる人もいるかもしれない。紙の本を電車で読んでいる人は、昔に比べると少なくなってきたと感じるが、私は今も紙媒体で本を読むことがほとんどである。
そして活字中毒の気があり、常に何か文字を読んでいないと落ち着かない。電車に乗車しているときはその最たるもので、必ずと言っていいほど、電車に乗るときは本を持ち歩くことを欠かさないのである。
本を読むときは、割に集中しているし、一人で乗車しているときは誰かに話しかけられるなんて思ってもいないから、完全に無防備な状況での声掛けに、少しびっくりして振り向くと、声の主は隣の席に座った女性であった。
恐らく70代くらいであろうか。
栗色のショートヘアは年配の女性特有のパーマだったが、きれいに整っていた。年末で寒いこともあり、ダウンコートをまとい、はっきりとした化粧をしていた。
誤解を恐れずに言うなら、よくいる「大阪のおばちゃん」だった。
私が読んでいた本は、岡田尊司著『母親を失うということ』。
親子の愛着研究に長けた精神科医の書いた本で、仕事や自身の来し方で考察したいこともあり、手に取った本であった。
著者の母の死をきっかけに母の人生追いながら「愛着」について考えるエッセイである。
私は読んでいた本を指をしおりがわりに挟んで閉じて表紙を見せ、
「『母親を失うこと』という本です。まだ読み始めたところで、どんな話かご説明できないし、面白いかは分からないんですけど、興味があったら読んでみてください。」
と答えた。
女性は手帳を開き、書名と著書名をメモした。
「私本が好きでね。読んでみるわ。実は、8月に母を亡くしたのよ。」
あぁ、そうだったんですね。
この方のお母さまだったら、90代くらいだったのだろうか。
「あなたは、まだ、お母さんはお元気でしょ?」
女性から見たら、まだ私は若いから当然、そう思うだろう。
「いえ、もう両親は亡くなっています」
「そう。ご兄弟はいるんでしょ?」
「いるのですが、実家もなくなるとなかなか会うこともなくて」
そうしているうちに、女性が下車する駅に着いたようだ。
「いきなりごめんね。いろいろ教えてくれてありがとう」
あわてて手帳をしまい、そそくさと降りていく。
自分の両親の話などは、見知らぬ人に別にする必要もなかったのだけど、私はその女性とほんの一駅程度の区間だけれど、身の上話をし、読んでいる本を勧めた。
ただ、電車に乗り合わせた人。普通なら、気にも留めないような人であるが、乗客それぞれに人生がある。
向かいに座っている今どきの若い兄ちゃんも、昨日失恋したかもしれないし、隣に座るサラリーマンは、昨日娘の結婚が決まってうれしく寂しい気持ちを抱えているかもしれない。
母を亡くした初老の女性のお母さまは生前、どのような状況だったのだろうか。この方とのご関係はどうだったのだろう。介護に通われたりもしていたのだろうか。それぞれがいろんなことを抱えて生きている。
そんなことを感じた出会いであった。
また、私には到底できないけれど、同じく本好きの身として、この女性のように、本を読んでいる人に、「何を読んでいるの?」「どうしてその本を読むことにしたの?」と尋ねるとまた、その方の人生のドラマや考えを聞くことができるのだろうなとふと思った。
本を手に取るとき、人はきっと何かを求めている。
知りたいこと、味わいたい気持ち、過去や未来との対話。
そこにもきっとその人の思いや人生が詰まっているように思う。
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