ただいま、レタラ
桜はあまり好きでない。
梅を愛でろ。
そう言いたい。
あけすけな花より、淑やかな花を。
🌸
「蕗之下レタラ――です」
彼女は突然やってきた。
気に入らないな。オドオドしてる癖に芯のありそうなその目も、舌っ足らずなその喋り方も、お人形みたいに可愛いその身体も。
「僕のノート、使いなよ」
おいおい、鷹也くん。君って私のことが好きだったよね? なに転校生になびいてんの!?
嫌いだ。
あけすけであざとい桜のような。
私だって、本当は―――
🌸
「待て、レタラ!」
「待てと言われて待つ馬鹿がいますか!」
「それはそうだが、お前の模試の結果が全国一位だったんだ! 頼むから真面目に授業受けてくれ!」
「レタラはレタラのしたいことをします! ほっといてください!」
そう言って走り去る青い髪をした不思議な転校生を追って、およそ教職者と呼べそうにない拘束具をジャラつかせた先生たちが刺股掲げて廊下を駆けていった。
バカみたい。そんなに重いの持ってレタラに追いつくはずないじゃん。彼女、むっちゃ脚速いんだからね。
隣を見ると、必死に逃げるレタラを楽しげに見つめる川崎鷹也。
いやいや。鷹也くん。どこ見てんのさ。今日は私が勉強教える日だったよね。クラスで一番美人の私が勉強教えてるんだよ?
「レタラちゃん。ちゃんと逃げれたかな――」
ちくしょうくそう! その眼! ドキドキするけどめっちゃ悔しい! 鉛筆ぶち折ったろか!
どうせ私は真面目で地味。
桜なんかに敵わない。
そんなの、知ってる。
🌸
「薫さん。私、少し前はコロポックルだったの」
「へぇ。つまり、あなたは不思議系美少女の位置を狙ってると。鷹也くん、そういう子好きだもんね」
「?」
その傾げる顔! 可愛すぎ! 待ち受けにしたろか! いや、いかんいかん。こいつマジ危険。鷹也くんが惚れるのもわかる。これから一緒に弁当食べよう。見張るんだ。このかわいい魔物から、鷹也くんを守らなきゃ!
決意を固く誓った私はレタラを見た。レタラは誰かからくすねてきた購買パンの袋を物珍しそうに眺めていた。
「焼きそばパンって、箸で食べればいいんでしょうか。それともフォークですか?」
私は一瞬、はあ? ってなったが、文化圏の異なるもの同士、相互理解が必要だと思ったから言ってやった。
「箸――。じゃないかな」って。
レタラは、「ふーん、やっぱり箸なんだあ…」って納得して割り箸をパキンと割り、焼きそばパンを箸で掴んだ。でも、持ち上がらない。
「薫さん。箸って難しいですね(ふるふる)」
バカ野郎! 箸ぷるぷるさせやがって! かわいいじゃねぇか。
「ごめん。嘘。手で食べる。こうやって――」
「わぁ。手で食べるってかっこいいですね。レタラもやってみます!(パクっ)」
くそう。私の初キス(間接)を!
レタラは、ちっちゃな口の周りで青海苔をペロペロしながら言った。
「うふふ。初キス、薫さんでしたね。おいしいソース味。一生忘れません」
ちっくしょー! 可愛い! 負けたよこの野郎! 卒業まであんたのこと守ってやるからな! 覚悟しとけ!
🌸
高校三年生の冬。
学校中に衝撃が走った。
「レタラ、大学、行きません」
「いや、あんた頭いいんだからもったいないよ! 取り敢えず受けてみたらいいじゃん!」
「薫さんまでそういうんですね。悲しいです。ちょっと泣いてきます」
ちょちょっと。どこ行くのよ!
「彼女、なにかやりたいことがあるみたいだね」
鷹也くん! いつからいたのよ! 今日もかっこいい!
「はぁ? 受験生に勉強以外、何やることあんのよ」
本音と建前のギャップに、「――あぁ。私ってつくづく梅だね」って思った。
「皆を応援したいんじゃないかな。レタラちゃんは」
🌸
「レタラはレタラのしたいことをします。皆さんに貰ったものを返します。〝貰い物のレタラ〟特別授業です」
え? どゆこと?
🌸
あっはっは! 特別授業、めっちゃおもろい! そして試験問題にめっちゃリンクしてる! すごいよ、レタラちゃん。クラスの平均点、ダントツに上がってる!
「うふふ。ありがとう、薫さん。長く続けてきた特別授業も明日で最後ですね。明日の授業は、キューバ危機を下敷きにした恋の不定積分の物語についてです。聞けば、世界史と経済、数理についておさらいできると思います。まぁ薫さんには必要ないかもですね」
「聞くに決まってんじゃん、バカレタラ」
嘘だよ、ばか。
明日にはもういねぇーよ、バカ。
全国一位になったのもあんたの特別授業を聞いたからだよ、ぶぁあか。
口伝かあ。アイヌの記録媒体ってレタラちゃんは言ってたな。それを駆使するあんたの授業は、ハラハラドキドキキュンキュンメソメソあらゆる感情を揺さぶる物語。文字を持たぬアイヌの知恵。人と人、自然とカムイ、繋がり合う物語。私達だって物語の登場人物なんだ。私も、鷹也くんも、クラスメイトや学校の先生も、フチやキロロ、パン屋のみんなだって、これを読んでくれた人だって、一つの物語に生きているんだ。
そして、私はもう卒業。一足先に志望校が決まった私は、明日から東京に移る。明日の特別授業には出れないし、卒業式にも出れない。正直、出たくない。だって、明日の特別授業の後、鷹也くん、レタラちゃんに告白するから。
レタラ親衛隊として、お膳立ては、きっちりしたからね、鷹也くん。彼女、ふわふわしてるけど鹿だって自分で狩猟しちゃう子だから生半可な告白じゃ殺されちゃうわよ! まずは「裏山でリスの括り罠を張ってみたんだ! 一緒に来てよ!」って自然に誘うのよ! 上手く掛かってたら一緒にチタタプすればいいわ。だめだったらその場で火を焚いてその辺の野草でオハウを作りなさい。
大丈夫、インドアな鷹也くんじゃ絶対できっこないから。うまくできる必要ないの。レタラちゃんに「私が必要だ」って思わせるの。
彼女、とびっきり優しいから。
私達に特別授業したのだってそう。他人をほっとけないのよ、レタラは。本当にバカみたいだね。桜みたいに、勝手に咲いて、汚く散ればいいのにね。でも、彼女は決して見捨てないわ。クラスのことも、あなたのことも。心配なのは卒業の後よ。守るべきものがなくなった彼女はどうなるのか――
だからこそ、貴方が頑張るのよ。本当のことを言うと、私は鷹也くんが好きでした。ずっと、ずっと、好きでした。でも、それでも、あなたがレタラちゃんに釣り合うとは思えない。だってあなた、普通だもん。
うふふ。あなた、苦労するわよ。彼女、素敵に破茶滅茶だから。
「薫さんとお弁当食べるの楽しかったよ。鷹也くんのことは好き。でも薫さんが一番好きでした。東京に行っても友達でいてね」
「え?」
「騙すみたいなことしてごめんなさい。でも、薫さんのこと、皆で送りたい」
教室の扉がけたたましく開き、クラスメイトが一斉に入ってきた。
「薫! 寂しいよ!」
「ずっと友達だからね! これ、色紙! 皆で書いたの!」
「私も東京の大学行くの! ツレないじゃん、薫!」
「僕、ずっと好きだったんだ。最後だから言うけど」
「お前、どさくさ紛れに告白すんなよ! 薫ちゃん困ってるじゃん」
「薫ちゃんは東京で頑張るんだ。悲観すな」
「どこにいたって皆は繋がってるよ。物語のなかでね」
「みんな、…あ、ありがとう」
突然皆に囲まれてドギマギする私を、ニコニコしながら見ているレタラちゃん。
「さあ! 少し早いけど、薫さんの卒業式、みんなで始めちゃいますか!」
🌸
これは私の記憶。
桜じゃなく、梅でもなく。
私の、たった一人の私としての、大切な卒業式の記憶。
あれから随分たった。
私は、とある雑誌の編集部にいた。
そして今日は、大事な取材の日。
――カランカラン。
「いらっしゃいま――」
あの頃と変わらぬ、青い長い髪、華奢で人形みたいな身体、実は気にしているそばかす顔の女のコ。
「薫さん!」
ただいま、レタラ。
[おわり]
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