発作とこれからのこと

 胸に咲いた花がきりきりと肋骨に絡み付いていくのを感じた。それは明瞭な痛みを持ってして脳で知覚された。
 数日前に見た夢の光景がフラッシュバックし、醒めると視界の端々に小さな蠅が集っていた。払うため腕をあげようとすると、それは鉄塊のような重量を持っていて、指先は小さな痺れを訴えた。蠅々が消えた刹那、私にはそれが現実であるのかわからなくなった。あるいは先刻の夢の映像が実際に私のものなのか、あるいは蠅が実在しないものなのか、私には判別できなかった。意識するよりも早く、脳内を那由多の電気が走り、血液は激しく脈打たれ、液は脳のごく一部、前頭葉に集約していった。脈動の度、茎に生じた棘が心臓を傷つけた。一連の思考を終えると、小一時間走り続けたときに現れるような、酸欠による嘔吐感を覚えた。私はこの感覚に馴染みがあったが、しかし慣れるものではなかった。
 血液が再循環され、やがて正常なペースに戻ると、私は自分が風呂場にいることに気がついた。浴槽の蓋に腰掛けて、頭を垂れていた。シャワーヘッドは浴槽に向いており、弱々しく湯を流していた。私の体には、湯とも汗とも取れぬ水滴がしたたり、床を濡らしていた。
 何の前触れもなく思い出された夢は地平線へと続く長い人の列に並んでいるというものだった。そこは私の知らぬ場所で、しかし懐かしさを感じさせるような風情があった。木々が生い茂る田園で、街は整備されているものの割れたアスファルトから無数の菫が咲いていた。まばらに建つ家はいずれも木造で、形や色の異なる浮き玉に装飾されていた。しかし、海は見えず、潮の香りもしなかった。人々の顔にも、何故だろうか、親しみを感じる一方でその者達の名は思い出せないのだった。
 私はその夢を三日前に見たと直感したが、あるいは知らぬ夢なのかもしれないという疑いもあった。しかし本来として曖昧な夢に対し、明晰な懐かしみを覚えたので、それは本当に見た夢であるように思えてならなかった。
 夢に対する既視感から嘔吐感までの一連を、私は発作と呼んでいる。発作は胸に咲いた赤い小さな花がもたらしているはずだった。胸に生命が芽吹き、肋を締め付けるような感覚が生じて以来発作が起こるようになったからである。思い出される夢は様々であるが、いずれも夢自体に不快な性質はなかった。共通しているのは、それが幼き日々の情景のような、温もりとも冷涼ともつかぬ胸の高揚を招く風情のものであるということだけだった。
 発作を鎮めようとしなかったわけではない。精神科を受診しようかとも考えたし、あるいは自ら学んで原因を追究しようかとも考えた。しかしいずれの提案にも応えなかったのは、発作に対し温もりを感じ始めていたからかもしれない。私は発作が起きる度、嘔吐感によって決して小さくはない不快感を呼び起こされたが、繰り返し安堵していた。私は病人である、ということが私の存在意義に思えてならなかった。発作によって憂鬱が脳を支配し、心の疲弊は創作意欲を掻き立てた。支離滅裂なようで、しかし一つの発作に基づく様々な思考が駆け回り、書き上げた稚拙な文章には、特有の色があった。そう感じられるのは私に馴染みがあり他人に共感されない思考方法を、色濃く反映しているからであり、決して文章自体に色があるわけではないのかもしれない。それでも書くことをやめぬのは、同様の発作に急かされて独自の死生観を絶対とし消え入ろうとする同胞を喚起しようと、知らぬうちに考えていたからかもしれない。そして、私が存在すると考える私の文章の色彩は、私に初めて生じた個性のようにも感じられた。凡庸で、物事全般を首尾よく熟す一方で、突出した長所のない私は、そういったものに強い憧れを抱いていた。
 発作が起こる度、繰り返し嘔吐しながら、負の感情を胸に溜め込み、十分に溜まると吐き出した。言葉は幾重にも重なり、いくつかの小説に姿を変えた。歳を重ねるにつれ、言葉は増えていき、ついに一度の発作では書き上げられないほどになった。そのとき、私は個性を失ったのだと痛感した。言葉を描出できない。骨組みの建築された物語が、いずれも地盤だけを形にして放置されていく。それまでには感じたことのないほどの苦痛だった。風化した骨格は地に還り、その後戻ることはなかった。私はその亡き骸を見るたびに、虚しさやら悲しさやらがないまぜになった深い失念に苦しめられた。
 かつて華々しく私を彩った(少なくとも私にはそう思われた)個性は、今や無用の長物となって、未完の城を幾つも遺した。無用となっても長物は長物、色に力は残されており、それは再び同じ類の憂鬱を引き起こすだろう。そう期待して序章だけの物語を読んでみたこともあったが、期待は悉く裏切られ、私はやはり小説を完成させることができないのだった。
 電子メモリに無数に溜まった言葉は、憂鬱の代わりに焦燥を引き起こした。私に花が咲いた生徒時代、発芽を祝福する花火が上がった。肥料は絶え間なく供給され、栄養過多の花は極彩色に光っていた。現在を形作る、脆いがしかし未だ崩れぬ礎を、私は描かなければならない。そのデッドラインが間もなく訪れるように思えてならなかった。
 そうして、花は虚しく胸を痛ませた。私は発作のたびに安堵して描出に試みた。しかしそんな時分にもついに私に光が咲いた。それは病期の短縮を引き起こした。その光は期限満了の報せだと私は直感した。私は安住と引き換えに、個性を失った。鋭角に差した光は影を小さくする。だからこそ、濃度の高く色彩豊かな城を早急に築かなければならない。

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