頭に浮かんだことをそのままに
死にたいとき、いつも思い出すのは彼女の顔だった。記憶の中の彼女は十五歳で、瞼は未だ一重だ。頬に肉を乗せた彼女はまっすぐ私を見入り、今にも泣きだしそうに喉を震わせる。
どうして、彼女は泣きそうなんだろう。記憶との細やかな齟齬が咽頭の奥に突っかかる。
私は彼女の涙が見たかったのかもしれない。彼女の心にとびきり大きな傷をつけて、その後出会うどの男にも私の影を浮かばせたかったのかもしれない。血縁なんかよりも強いしがらみを、彼女と私の間に結び付けたかったのかもしれない。私は、私の中の彼女のように、彼女の中で何よりも大きく、不快な塊になって彼女を縛り付けたかったのかもしれない。
その日は仮病を使った。平生から体が弱く、学校を休みがちだったから、あるいは母が私のことなんて見ていないから、休むのは簡単だった。冷蔵庫にはエナジードリンクが五缶入っていた。いつも通りだ。準備万端。あとは遺書を書くだけ。世界に私の存在を残すために。火をつければたちまち影すら消えてしまうような脆弱な媒体によって、私は存在を世界に残すのだ。バックログなんて残さない。そんな形じゃ私を語ることは出来ない。
空は清々しいほどの秋模様だった。夏よりも白く、冬よりも濁った空色に薄い雲がひとつ、ふたつ、と浮かんでいる。日中は二十度を超えるだろうか。そんな空だった。
胸が高揚していた。当然だった。だって私はついに夢を叶えるのだから。私はギターを持たずにギターヒーローになって、たった一冊のノートで芥川賞を取るのだ。すべて夢ではない。現実の話だ。いちぬけぴっぴ。じゃあな世界。
残された任務を今から果たそうと思う。その前にもう一度計画を練り直そうか。そうだ、そうしよう。まずは、回想録を書く。その前に、冒頭で私がなぜこれを書いているのかを言わなければいけない。大丈夫、昨日の夜しっかりと考えておいたから。その後で私は段ボールを開封する。中身はそらとぶくつだ。あるいはラーの鏡だ。とにかく私はそれを使ってようやく冒険を進められるようになるのだ。そして私はそのだいじなものをいかにも大事そうに撫でて、一階に持っていく。私はそれと日常を共にしなければならない。だって、使ったらそれはもう二度と戻ることはないのだから。世界は不可逆反応でできているんだよ。仕方がないけど、やっぱりやるせない気分だ。とにかく、私はそれを日常の一部として、昼食を作る。コンビニのパンやおにぎりではだめ。しゃんとしたご飯を作る。冷蔵庫には卵があるし、いくらかお米もある。ツナ缶でチャーハンでも作ろうかな。なんでもいいけど、私が生活している様子をそれに見せる。それが一番重要。ご飯を食べたら、ちゃんと食器を洗って、少し体を動かそうかな。その方がきっと都合がいいし。それで服を着替えて、とびっきりお気に入りのパーカーを羽織って、そこでようやく準備おーけい。その後のことは、成り行きに任せていいはず。分からないけど、へまはしない。二年も焦がれてやっと手にしたチャンスなんだから。
さて、私の人生をここに刻もうか。
どうして、私は生きているのだろう。どうして、こんなに生命力が強いのだろう。きっと、私は間違ったのだ。もっと、いっぱい体を動かさなければいけなかったのだ。走馬灯のように昔の映像が流れる。でも、きっとこれもすぐに消える。私はそういう星のもとに生まれたのだ。
あれは、耕太だ。夏休みの自由研究で、市販される飲料のカフェイン量をまとめている。朝のニュースで、カフェイン中毒で死んだ児童の話をよくしているもんね。あの頃は、それがはやりのやり方だった。アメリカだったらショットガンがあるし、成人すれば酒にたばこがある。あるいはもっと強い薬が身近になるのかもしれない。尾崎豊は26で死んだ。カートコバーンは27で死んだ。彼らはそれぞれの環境で、スターらしく流行に乗って死んでいった。ジミヘンドリックスとは違う。彼らは先人の憧れのため、そして自分を強く保つために死んだ。
ベッドに柵が付けられていた。医師は気が付いているのだろうか。十五年をともにした母親が気付かない私の心の機微に。胸につけられた心電図計はべたべたしていて、点滴のひもに絡まった。それでも私はそれを取ることができなかった。なぜだか、動くことができなかった。真っ暗な部屋で、カーテンは開けられていた。その先の世界がなぜだかとても気になった。
生死の境なんて言葉があるからいけない。三途の川がクリークみたいな弱弱しい姿で描かれるからいけない。本当はもっと広くて大きくて、そこに立っても注意しなければ帰ってきてしまうような強い逆風が吹いていて、超大型巨人でも壊せない堅固で確かな壁なのだ。そうでないなら、私が弱いだけになってしまう。
Aが泣いている。Aの横には卓也がいる。小刻みに揺れる肩を卓也が引き寄せる。Aは安心したように、胸に顔を埋める。
瓶を開けるとアンモニアに似た刺激臭が鼻腔を刺した。手に取ると粉が纏わりついており、戻すと手のひらは白くなっていた。私はそれらを、一口に飲み込んだ。
道端に倒れるぼくを拾う清掃員。やがて木の枝はぼく自身で、清掃員は神様であることに気がつく。神様、ぼくはもう倒れています、どうか拾い上げてください。しかし、それを妨げる偽善者の声。私のことなんて露も知らないくせに、私のことを気遣おうとしているようだ。私も、そういう人間になりたかった。
生きたい。生きたい。生きたい。誰よりも長く。誰よりも華やかに。誰よりも強かに。誰からも愛されて。誰にも疎まれず。私は生きたい。
そうだ。私は生きたかった。私は人生を楽しめるはずだった。こんなはずじゃなかった。いや、なるべくしてなったのだ。だって、私はあの人たちの子供なのだから。Mの涙を忘れたのか?Mの体温を忘れたのか?私はなにも忘れることができない。Aの瞳も、Mの唇も、Kの恨みも。私は花になりたかった。茎の上に咲きたかった。根っこのことなんか忘れて、私だけが主役であるかのような大きな顔をして。
日に日に記憶は薄れていった。皮肉なことに、Aとの再会はAとの記憶を失わせたのだ。その日から、私は再び家族のことを考えるようになった。血縁は逃れられるものではなかった。長姉がそうしたように耳にいくつも穴をあけて、次姉がそうしたように遺書を書いて、私は失踪しようとしている。親父がそうしたように複数の女に心を分配しようとしている。そして、母がそうしたように、私もきっと子供に関心をむけられず、私がそうであるように、姉たちがそうであるように、私の子は狂信めいた死への執着で身を燃やし尽くすのだ。どれほどまでに死を望んで、乾きに乾いた心で生を捉えても、きっと私は死ねず、親たちの轍を踏んで、また被害者を作るのだ。私のために彼女、あるいは彼が死ぬかもしれない。私は遺伝子のために多くの子供を死に急かして、そのたびに深い絶望の淵に立たせて、やがて気の置ける友人に依存するようになって、そしてその友人の失墜を受けて、やはり彼は死ねず、そこでようやく悪の根源が私にあると思い至るのだ。親友への疚しさに呪縛されたような気になって、しかしその呪縛はあっけなくほどかれて、唯一の縛り付けるものが血縁となり、そこで両親を思うと、彼は天涯孤独の身、何物にも信頼を置かれず金銭以上の感情を期待されない身であるのだと終に思い知って、しかし私の轍を踏むのだ。
私は絶望なんかしていない。遺伝を超えられない世界が虚しくて、悲しくてたまらないだけだ。
何度も何度も何度も何度も嘔吐した。胃の中が空になって、その次に体の水分が抜けて、それでも私は嘔吐した。粘性の低い茶褐色の液体を、生臭いキレートレモンのような液体を、私は何度も何度も繰り返し見た。気が付くと私は倒れていた。幸いにして、床は汚れていなかった。手には結露した水道管が握られていた。遠くで猫が鳴いた。ドアが果てしなく大きく見え、同時に床は揺れ、猫が歩くたび、私は嘔吐しなければいけなかった。私を思う唯一の存在は彼だった。
朝が来て、複数のドクターが私を訪れた。そこで簡単に状況を説明されたが、私以上に私を知る者はいなかった。その後で、母が現れた。手には小説が二冊と、私のスマートフォンが握られていた。私はスマートフォンを貰うや否や、メモ帳を開き、「猫たちが死んだら、私も死ぬ」と入力した。Aから数件のメッセージがあったが、着信はなかった。
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