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『The Dream』フレデリック・アシュトン

外国人がシェイクスピアの作品を心底楽しめる方法と言ったら、やっぱりバレエを見るしかないのでは、と思う。翻訳を読んでも、英語を勉強して原書にかじりついたとしても、私には音楽と踊りで見せてくれるバレエが、一番心にぐっとくる。

英国ロイヤル・バレエのフレデリック・アシュトン振り付けによる『The Dream』(原作はシェイクスピアの『真夏の夜の夢』)も、そう思わせてくれる傑作だった。きっと、作曲家のメンデルスゾーンも自分の曲がこんなバレエ作品として後世に使われていると知ったら、大喜びだっただろうか、それとも、この現代に生きていたかったと悔しがるだろうか。メンデルスゾーンは、こんな名曲を17歳で書き上げたなんて、畏敬の念を抱かざるをえない。「ここは静かな森の中なんだけど、ほらみてよ、そこにもここにも妖精が木々の木漏れ日の間を乱舞してるでしょ~!」と言わんばかりの、若さゆえのはしゃぎっぷりが、この曲のあちこちに感じられる。妖精たちの軽い跳躍が驚異的な音符の乱打で表現されているところを、群舞のダンサーたちは舞台上で軽々と表現しなくてはならない。多分、メンデルスゾーンが生きていたら、よくもまあこの複雑に上下する音符の一つ一つに、ステップを当てはめて、それを人間に踊らせようとするなんて!と半分呆れ返ると同様に、フレデリック・アシュトンの鬼才に感服することだろう。

『真夏の夜の夢』のバレエ作品は、アシュトンだけでなく他の振付家の作品もあるが、アシュトン版は特に、ダンサーたちの運動量が半端なく多い。いたずら好きの妖精パックは、舞台に出たら飛ぶか回るかの二者択一の動きで、床に足がついているより空中にいる時間のほうが長いのではないかと思うぐらいだ。妖精の王オーベロンの回転は、森に爽やかな風を起こす。そして、特筆したいのは、妖精の女王タイターニアとオーベロンのパ・ド・ドゥ。ロシアの古典バレエで見るような男性が女性を支えるという動きは少なく、男性と女性ダンサーの間に軸をしっかり決めて、動きが組み立てられていく。男女共に驚異的な体幹がないとこのパ・ドゥ・ドゥは成立しない。劇中には、妖精だけでなく人間の登場人物も複数登場するが、この妖精の非現実的な世界が人間が住む俗世と交差するときのシーンは、まるで舞台上でコミカルな魔法が起きているような錯覚に陥った。

メンデルスゾーンの『真夏の夜の夢』には、タタタターン♪で有名な『結婚行進曲』も含まれている。クラシックを知らなくても、誰でも一度は聴いたことがある曲として今も生き残る名曲だ。もし、誰かが婚活や結婚生活に不安がある日々を送っているとしたら、私は人生に一度ぜひ生のオーケストラ演奏でこの曲を聴いてほしいと渾身の気持ちで推したい。私が初めて小澤征爾さんが指揮するオーケストラで『結婚行進曲』聴いたときには、日頃尽くしてくれる夫をよそに、「よし、もう一回結婚する!」と、とんちんかんな妄想が湧き出てきて、胸が熱くなった。 この曲は劇中にも出てくる目覚めたら最初に見た人に恋をしてしまうような媚薬と一緒で、これを偉大な指揮者がオーケストラを華麗に操って演奏すると、聴いた後に最初に出会った人に恋をしてしまいそうになるぐらいの強烈な恋愛パワーがある曲なのだ。

『結婚行進曲』にこんな強い思い入れがあるせいか、アシュトン版での『結婚行進曲』は思ったり地味に抑えているように思えた。でもそこがいいのだ。アシュトン版で私が一番気に入ったところは、この作品が幕間なしの小作品に収まっているところだ。短いイギリスの夏日のように、さっと太陽の光が差したかと思うとあっという間に楽しい時間が過ぎていく感じと似ていて、幕が降りたときから、楽しいひと夏の思い出に浸るような気分になってしまう。

いや、ひと夏の思い出に浸るような気分にさせてくれるのは、やっぱりメンデルスゾーンの曲のおかげなのだろうか。夏の夜に爽やかな風が優しく頬を撫でるように流れるフルートの和音。神がメンデルスゾーンの体を通じてこの世に送り出してくれたとしか思えない奇跡的な旋律。それで幕が上がり、そして幕が降りる。

舞台が終わり、次の作品までの休憩時間、ロビーで隣に座っていた女性から話しかけられた。彼女はこの作品の大ファンで、先週もロイヤル・バレエの公演を見に来たと言っていた。「最高よね。しかもちょうど今週はMidsummer(夏至)だったし、まさに最高の時期よねぇ。」とうっとりとした様子だった。日本語で「真夏」というと、ギラギラした太陽の下うだるような暑さが続く「真夏日」を想像してしまいがちだが、この物語は、短いヨーロッパの夏の始まりを祝う夏至の頃に起きている話なんだなぁと、改めて教えられた。

私が観劇した日の配役は、ナタリア・オシポワのタイターニア、ウィリアム・ブレイスウェルのオーベロン、中尾太亮のパック。午後4時頃に昼公演が終了して劇場の外に出ると、人で賑わうコヴェント・ガーデン・マーケットのローマ風石造りの屋根の上には、夏の爽やかな青空が広がっていた。この日の気温は23度ぐらいで、街行く人が付けるサングラスが太陽の光に反射して、ロンドンの夏に輝きを加えていた。気候変動で、近年はイギリスの夏にも30度近くまで気温が上がる日も時々ある。それでも、この短くて、カラリとしたイギリスの夏は、シェイクスピアの生きた400年前ぐらいからあまり変わっていないのかもしれない。

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