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遍路って何でっか

四国遍路。頭に浮かんだなら、旅に出るときです。何にもないときに、そんな言葉が浮かぶはずがありません。答えは四国の自然の中にある。きょうはそんなお話です。

***古くから

日本の仏教ってね、伝来したばかりのときは、国営だったんです。役割もね、国の安寧を祈るのが第一。鎮護国家ちゅうやつですね。だからね、お坊さんも国家公務員みたいなもの。国家資格が必要だったんです。民間人が勝手に仏の道に入ることなど許されてなかったわけ。

となれば、仏の教えは奈良のような当時の大都会に集中しちゃうよね。田舎の庶民だってありがたい話は聞きたいわさ。それならと国家試験を受けずにお坊さんになっちゃえ、という人も現れるわけ。私度僧と呼ばれます。公じゃなくて、私で得度しちゃった、というこっちゃね。

この私度僧、なんてことなかった人たちか、といやあ、そうじゃない。民衆に仏教を広めたのは、こういった人たちです。

***遍路道は修行道

日本の仏教を掘り下げていくと、山岳信仰、修験道なんてのものにも行きあたります。野山を駆け回る山伏さんにも私度僧が随分いたんじゃないですかね。

四国もまた、修行の地でした。「四国辺地(しこくへち)」と言われます。
それは山奥を歩き回る山林修行と同じく、海端を巡って修行をしていたんですね。道もない時代の話ですから、これは大変ですよ。海に落ちて亡くなった聖もいたのではないでしょうか。

ワタクシの師、空海さんも若かりしころ、四国の山河を巡っておられました。今から1200年余り前、悟りを開いたという洞窟、御厨人窟(みろくど=高知県室戸市)からは空と海が見えます、というか空と海しか見えません。空海の名は、まさにここからついたのだ、といわれれば、おっしゃる通りという風景ですね。

「辺地」とは、へき地のことです。そんな辺地でも大勢の人が歩けば、そのうち一定の順路ができてきますよね。辺地が「辺路(遍路)」となり、そのルートの通過ポイントとして「宿(修行場や立ち寄り場所)」が成立していきました。それがネットワーク化されたのが現在の四国遍路という霊場であります。

***空海さんの追体験

四国遍路といえば、88カ所のお寺でお納経、要するに「ご朱印を頂く」というイメージを持っている人々が多いと思います。罰当たりなことに、スタンプラリーなんて言う人もいるぐらいです。とんでもない。ちょっと歴史を知ればおわかりかと思いますが、修行者が歩いた道なのです。

空海さんの開いたといわれる88カ所ですが、その数が定まったのは、遍路の案内書のできた江戸時代といわれます。もっと多かった時期もあります。札所のお寺さんは真言宗だけではありませんよ。禅宗まで含まれているんです。この幅の広さ、はちゃめちゃということではなく、個々のお寺さんも、そこにあるだけの理由があるのです。全部が全部、空海さんが歩いたわけではないけれど、志を持った修行者が踏みしめた道。それが遍路道なのです。

***歩いてみれば分かること

「歩く」という行為、それ自体に深い意味を持っているのが「巡礼」です。次の寺が目的ではありません。心を開いて遍路道を味わっていきますと、何かの大いなる発見や人生のヒントを見つけ出すことができるかもしれませ
ん。

かもしれません、と書きましたが、多分見つかります。四国遍路、歩けば一周40日あまり。時間にしたら1000時間。自分と対話するんですよ。今までにない自分をつかめないわけがありません。


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