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般若心経のことども1 スタート262

仏は説いております

お経ってね、亡くなった人を送るため、一般的にはそう思われておりますが、そうじゃないんです。仏の教えを説いとるもんですな。だからそれぞれの正式のタイトルは決まって「仏説」で始まっとります。かの有名な般若心経の正式名は「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」(ぶっせつ まか はんにゃ はらみた しんぎょう)といいます。

さて、こいつはね、「こいつ」って、坊さんのくせになんて無礼ですねえ。失礼しました。このお経には大乗仏教、つまりは私たちの身近な仏教ですね、そのエッセンスが詰まっています。短いお経なので、しばらくは般若心経の解説といきましょう。

摩訶般若波羅蜜多心経は、サンスクリット語の「マハー プラジュニャー パーラミター フリダヤ」を音写したものです。仏さんは説いております。大いなる智恵の完成を。これはそんなお経ですー。タイトルはそのぐらいの意味でしょうか。音写ですから、例えばアメリカのことを亜米利加と書くのと同様、漢字に意味があるわけではありません。般若心経を順にみていきましょう。

今回はここ

「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時」(かんじざいぼさ ぎょうじんはんにゃはらみたじ)

さあ、本文262字の始まりです。訳せば「観自在菩薩が智恵の完成に向けて修行していた時」となります。観自在菩薩とは、いわゆる観音さんのことです。「菩薩」は悟りを求めて自ら修行するとともに、私たちの修行も助けてくれる、ありがたい存在です。お地蔵さんなんかも菩薩ですね。さあて、観音さんが修行していた時、どうしたというのでしょう。

「照見五蘊皆空 度一切苦厄」(しょうけんごうんかいくう どいっさいくやく)

五蘊(ごうん)のすべては空であるということが分かった。そして一切のわざわいを超えたのであるー。おお、そうか。いきなりそうきますか、という感じですね。でも五蘊とはなんでしょう。以下の五つを言うようです。物質的要素である「色」、外界からの刺激を感じ取る「受」、物事をさまざまに組み立てて考える「想」、意志の働きである「行」、認識作用である「識」。つまりは、この世のなんじゃかんじゃ全部です。

心経さんはいきなり大胆にも、五蘊なんてホント、実体はねえんだぜ、と言い切っているんですね。でも、これは大変なことですよ。お釈迦さんは、人間は五蘊の集合体である、と説いているのですから。師匠に公然と反旗を翻したことになります。これはかなり、パンクですねえ。

全く関係おませんが、実は、拙僧も若かりし頃、少々たしなんでおりました。バンド名は「変態バックスピン」といいます。ふざけてまっしゃろ。けどね、インディーズ界ではね、解散から随分になるのに、まだそこそこ人気があるんでっせ。CDは結構な値がします。

あのころはパンクの魂は不変、なんて思うとりましたが、いやいやそれもうつろいゆくのだということを、身をもって感じております。誰しも若い頃がある。しかしいつまでも若いわけではない。つまりは変わらぬはずがない。ストーンズのミックだって勲章をもろうたりしてまっしゃろ。カートヴォネガットふうに言やあ「そういうものだ」。そういうことですわ。


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