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インドに墜ちた愚人ども。。。1

 お坊さんをしている限りにおいては、インドから目をそらすわけにはいかない。このあたり、キリスト教の牧師さんにとってのエルサレム、神父さんのローマみたいなもんかいな、と勝手に想像しとります。

 言うまでもありません。インドは仏教の故郷、お釈迦様の誕生の地であります。正確にいえば若干違うのですが、あの辺りの話です。

***インドへの道

 というわけで思い切って10日間の「現福寺インドツアー」を企画しました。20年前のことです。かなり昔になりますが、ソクラテスよりは新しい物語です。比較にどんな意味があるかと言われそうですが、じゃあ古い新しいにどんな意味がありますか。ありますね。

 それはともかく、「誕生の地・ルンビニ」「悟りの地・ブッダガヤ」「諸転法輪の地・サルナート」「涅槃の地・クシナガラ」と仏教の四大聖地を一気に巡ってやろうという企みでした。ガンジス河で沐浴も忘れてません。

***てなわけで、もう着きましたがな

 さあて到着早々、われら一行、愚僧が募ったツアー参加者4人を包んだのが人、人、人の喧噪と匂い、色、ほこり。インド的カオスに、1Rももたず、ノックアウトされてしまいました。

 おそらくね、この時点で、この国の好き嫌いが決まってしまうのでしょう。ボクは有難いことに前者であって、この混沌の先に一体何が始まるのだろうかというワクワク感、スパイシーな食べ物に酔いしれてしまったのです。

***まずはルンビニですわ

 ルンビニは、インドではなくネパールの南部になります。北インドから国境を越えてすぐの小さな村です。猛烈に騒がしいインドに比べるとかなり穏やかです。ホッとします。

 生誕の地「マヤ堂」を目指しました。お釈迦様は、母君のマヤ婦人の右脇から生まれ出るや、7歩進んで、右手を上、左手を下に「天上天下唯我独尊」とおっしゃるわけです。仏教説話でも最も有名なシーンですよね。

 後世の創作です。作り話か、とがっかりすることはありません。この話は「お釈迦様とは」という問いに対しての回答なんです。大勢を前に難しい話をするよりも、ということです。

***あんさんも6歩でしょ

 例えば、右脇から生まれたエピソードは、お釈迦様の社会的身分を表しています。当時のメジャー、バラモン教では支配階級のクシャトリアは神様の上半身から生まれますから、この人、偉いんでっせ、と言いたいのでしょう。7歩の「7」は六道輪廻を越えた世界に到達したということですね。ボクがもし、生まれた途端に立ち上がれたとしても、6歩進んでコテッというところでしょうね。

 ベイビー釈迦は「唯我独尊」と、これまた傲慢な叫びを上げるのですが、これは後に仏陀となることを示唆したのである、とこういう解釈になっております。

***超克、既成勢力

 当時のインドやネパールを席巻していたのはバラモン教でした。バラモン教の最高神たる「ブラフマン(梵天)」より私の方が尊いと、ベイビー釈迦は言ってのけたということになっているのであります。それはまさしく闘争宣言、独立宣言です。

 要するに仏教誕生説話は反バラモン教、反カースト制度を唱えたものであって、それは不平等から平等へという宗教改革、もしくはシステム改革宣言ととらえていいんじゃないでしょうか。マルクス=エンゲルスの「共産党宣言」みたいなもんですな。

 バラモン教やカースト制度は、「生まれ」を重視します。それに反してお釈迦様は「行い」に重きをおきます。人々は行いによって苦しみから救済されるとし、カーストからの脱却を旗印にしたのです。

***縁は異なもの

 ルンビニにたどり着いた日は偶然にもボクの誕生日(11月30日)であって、勝手ながらお釈迦様との深い縁を感じた瞬間でもあったのだ。改めて書きますと、人類の歩みにほぼ関わりのない、誠に勝手な感想ですが、勝手ですわ、ほっといて。

 そんなこんなでこれからぼちぼちと4大聖地とバナラシのお話をしていきたいと思う。どうなりますか、乞うご期待!
                    南無釈迦牟尼仏                        


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