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You don't know you're beautiful

できもの?イボ?ほくろ?
3年くらい前から鼻の下に少しできてたものが、最近ついに大きくほくろっぽくなったできもの。

気になり、悩みました。うじうじと。

美容外科で取ることはできる、処置の内容としても金銭的にも怖いことはない。(脱毛や歯列矯正はやったし、整形が悪いとも思ってない)

なのに、予約しようと手を伸ばしても、なんだかあと一歩踏みとどまってしまう。

不快なものを取る行動を起こしてあげるのが自分への愛のはずなのに、
こんなにもざわざわして苦しいのに。

もやもやざわざわに付き合うしかなく、数日ぼんやりしてました。

娘も夫も、それがあってもなくてもかわいい、好き、取りたければ取ってもいい、と言ってくれる、わたしだけが気にしてる。

何が引っかかるんだろう?

思い至ったのは、美の基準

それは本当にわたしの価値観から決めてる?
今日本で流行ってる、"美白"に影響されてない?(本当にそれが好きな人はどうぞやってと思うけれど)
今回できものを取って、ほっとしても、また他のシミが気になりだすんじゃない?
ずっと不安なままじゃない?

わたしは、美しさってもっと広くて多様で懐が深くてもいいと思う。

数年前アメリカのショッピングモールで見たポスターで印象的だったのが、顔中ヒョウのように斑点のあるモデルさん。最近はビッグサイズのモデルさんもいるなと思っていたけれど、そういうのは初めてだった。素直にかっこいいと思えた。

いつか腋毛をカラフルに染めてる人をネットで見て、その手があったか!と思ったこともある。(もう脱毛しちゃったし、悔いはないけど)

フリー・ザ・ニップルという考え方も好き。

抜毛症で髪を全部剃り、ウィッグで楽しんでいる人がいると知った時も素敵だなと思った。治すだけが正解じゃないんだと。

フランスの人の考え方も好き。自分のスタイルを持っているし、白髪もファッションとして楽しんだり、老いる自分も愛せていて、それでいていくつになっても恋愛したり。

物も新品ばかりより、使い込まれるほど味が出るものが好き、ラタンとか、アンティークとか。

わたしは、狭い基準からはみ出すことに怯えて生きたくない
若い人に怯えて生きたくない
でも強がったり女を捨てて開き直りたいわけでもない
落ち込む自分にも寄り添っていたい

今はまだ悩むかもしれない
痛みとか別の問題が出たら取る選択もある

でも、最終的なゴールは見据えた

美しく在りたい

美しさの基準を決める側、作る側でありたい

わたしを見た人が、白髪やほくろを真似したくなるくらい、堂々と輝いていたい。

少なくとも今こんな答えを出せる自分が好きだし、勇気が湧いてくる。
多様な美しさの世界に生きることを想像するとわくわくする。

ちなみにわたしは生まれつき、太ももの後ろ側にかなり大きなあざがある。そこだけ肌が黒く、さらにほくろもたくさんある。
産まれたとき、お産に立ち会った伯母に「あらうんちついてる」と言われたり、学校の友達に「泥ついてるよ」と言われたり(笑)
ほかの人が気にするからとテーピングで隠してた時期もある。
親から、嫌なら手術で取れるよ、とも言われていた。

でも、わたし自身、これまで一度も、このあざを醜いと思ったことがない。本当に一度も。生まれつきあることに愛着や誇りすら持っている。今は隠そうとも思わない。


追記: 先日、東欧出身の方と話していて、東欧って美人が多いイメージ、と話したら、その人は、そのイメージあるけど、もちろん醜い人もいるし、わたしも美人じゃない、と自虐的で、わたしはほとんど反射で、You ARE beautiful! と言っていた。たぶん偏差値?的には普通の人だったけれど、なんだかそう言いたくなって。その人はハッとした顔になった。他の人と比べてとかじゃなくて、ただ自分が美しいということに気づいてくれたらいいな

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