孝と申すは高なり
母の納骨が無事に終わった。薄いピンクのグラデーションの骨壺が父の壺と仲良く並ぶ。それから一週間後、私はお参りの旅に出た。
孝と申すは高なり
山梨県身延山久遠寺思親閣に行ってきた。
思親閣は日蓮上人がご両親のために建てたという、山の上のお寺だ。
久遠寺からロープウェイで登りながら、思親閣や日蓮上人についてのお話が聞ける。たくさんの野鳥の鳴き声も録音ではあるが、聞くことができる。その上、眺めがすばらしい。天気が良いと富士山が見える。
ロープウェイから降りてさらに長い階段を上ると思親閣だ。階段の途中には日蓮上人お手植えの4本の杉の木が、700年経ってなお元気に空気を浄化している。他にも季節によってたくさんの種類の植物を楽しむことができる。
さて、思親閣のお堂で父と母の御回向をしてもらうことに。
お経の前にお坊さんのお話があった。この時点ですでに涙が止まらない。ただただ大粒の涙があふれてくる。
お経が始まる。お経本を持って、わかる所は一緒に読む。お題目は一生懸命唱える。涙を拭きながら。
御回向が終わり、「ご先祖様は安心して喜んでおられます」とのお坊さんの言葉にハッとした!
「そうか、お母さんはご先祖様になったんだ!!そうなんだね!!」
とても納得できた。そして私も安心できた。
帰る時に頂いた一枚のプリント。
歩きながら読んでみて、またハッとした!!
そこには日蓮上人のお言葉が書いてある。
なんてすごい言葉だろうか!
「孝」は親を思う心のこと。
それが天より高いとは!!
親のために何をしたか、ではなく思う心の尊さ。
その心があれば親だけでなく、誰に対しても愛情を持って接することができるはず。だって、多くの人は誰かの親だから。自分の親を大切に思うなら、人が大切に思うその気持ちも理解できるから。
すごい言葉だと感じ入りながら山を下りた。
「孝行をしたい」と思える親に巡り合えたことも幸せだ。
はたして自分はそんな親になれているだろうか?
温清定省(おんせいていせい)
孝行に関する言葉はたくさんある。ということは親子の絆が大切だと昔からわかっていたのだろう。
そのなかでも「温清定省(おんせいていせい)」と言う言葉が私は好きだ。
意味は「親に孝行を尽くすこと。冬は暖かく、夏は涼しく暮らせるように配慮し、夜は寝具を整え、朝はご機嫌伺いをする」ということらしい。
母の介護生活では、毎朝そばに行って「おはよう、気分はどう?」と聞いた。エアコンで温度調節をし、換気もする。気分が良いように、かすかにアロマを香らせる。夜中に目が覚めた時は、布団を掛け直したり、逆に暑すぎないか、気にして布団を調整した。
「温清定省」という言葉を知った時、自分が何気に行っていることだ、と思った。しかし!!
これは自分が子どもの頃、親にしてもらっていたことだ。
昔々の冬の寒い朝、母は早く起きてストーブをつけてくれた。私は服を握ってストーブの前に駆け寄り、着替えをしたことを思い出す。
夏は蚊帳を張って寝た。私たちが寝付くまで母はうちわで優しくあおいでくれた。
そんな大昔のことが懐かしく思い出される。
今度は私が母を気遣う番だった。
孝行と孝養
孝行は「親を大切にする行い、心がけ」のこと。これは一般によく使う言葉だと思う。
孝養は亡き親のために供養をしてねんごろに弔うこと。
私は孝行から孝養をすることになったようだ。
亡くなってから大切にすることも孝行と思っていた。それも間違いではないと思うが、孝養という言葉があることを知った。
さて、来月は百か日法要。百か日は卒哭忌(そっこくき)とも言うそうだ。
悲しみから立ち直り、日常生活に戻る意味があるという。
来年は初盆と一周忌。みんなで協力して孝養を尽くしていこう。
母が亡くなってからすっかり元気を失くして、調子が狂ってしまった私だが、そろそろちゃんとしなきゃ、と思っている。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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