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長女帰国

娘が入籍したお相手と挨拶をするために帰国した。
土曜日の夕食に鯛のアクアパッツァを作ってみた。
アメリカには鯛はないので、美味しいと言ってくれた。
日曜日には築地の料亭で懐石、水上バスに乗って浅草観光、月曜日に私の実家の名古屋まで挨拶に行ってくれた。
65年くらい前の昭和の建物で、一つ一つ珍しいらしく「すごい」と言っていた。
私の母は現役美容師で昔から客の相手は得意、そして弟もなんとなく受け継いでいるのか、知らない人の相手は外国人でも普通にこなせる、犬山城に行き城の中に入り、帰りの車の中から名古屋城を見て、セントラルパークをちょっと歩いて、最近実家お気に入りのしら河のウナギを食べて帰っていった。
母のカバンを持つと言ったり、車のドアを開けてくれたり、優しくしてくれた。
お相手は名古屋を気に入り、また絶対に来たい、今度来るときは日本語を話せるようにしてくる、すごく楽しかったと言ってくれた。
こちらには言ってくれなかった・・
母や弟のコミュニケーション能力には負けた。

しかし、翌日娘の猫が急死したと預け先から連絡が入り、娘はそれから起きている間中泣いている。まだ1歳3か月だった。
自分の子供のように可愛がっていて、猫も愛情を一身に受けて怒ったことも一度もなくて、楽しくて幸せいっぱいの日々だった。
たくさんの芸を覚えて、自ら芸を編み出して披露するほど賢くて、おしゃべりで可愛くて、可愛くて、可愛くて・・・
世界一幸せな猫にする!と長女は可愛がっていた。
愛が満ち溢れている日々が一瞬のうちに消滅してしまった。
預けた時、見たこともないほどの悲しい顔をしていたらしい。
とても人見知りの子なので、知らないところ、知らない人、寝て起きてもママはいない、パパもいない、不安でいっぱいだっただろう。
預けた日から食欲がなかったそうだが、知らないところだから緊張しているかも、ダイエットになるかもなんて気楽なことを言ってしまっていた。
まさか、そんなことになるなんて。

娘は一度も挫折を経験したことがない。
東大に行くと決めたら東大に入学、この会社に入ると決めたら入る、ニューヨークで仕事をすると決めたら実現、すべて目的は達成してきた。
常に目標をノートに書きだし、小さなものも実現させてきた。
すべてが順調だった。
こんなに大きな挫折は経験したことがないだろう。
エディのために一戸建てに引っ越すことも決めたけど、もう意味がなくなった、と言っていた。
自分をすごく責めている。
帰省をするべきでなかった、絶望の中でエディを死なせてしまった、乗り越えることはできそうにない、と。
本当はペットシッターをお願いするつもりだったが、相手のお母さんが自分が預かると言うので、預かってもらった。
その選択が間違っていた、とずっと後悔をしている。

私も孫のように思っていたので、可愛い顔を思い出すたびに涙があふれてしまう。
エディのために買っておいたおやつやおもちゃの袋を見ると、切なくて喉元まで苦しさがこみ上げてくる。
私が会いに行ってやればよかった。

ニューヨークに帰ったら、エディがいない部屋に戻ることになる、怖い、帰れないと泣いているが、せめてもの救いは一人でないこと。
二人でたくさん泣いた後は、少し早く神様の元に旅立ってしまったエディの思い出を大事に前を向いて歩いてほしい。

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