ミネクラヴィーレ 「5話」
蒸気の街で目覚めて5日目。朝から目を覚ましたそれは、ベットから降りて部屋を見渡した。片した部屋は、荒れてはいないが埃っぽくて物が多かった。机にまとめた紙と本。本の表紙を指でなぞり、そっと椅子に座った。
知らないこと。知らない景色。知らない人。知らない空気。どれもが新鮮な出会いだった。つまるところ、己はこの街で目覚めはしたが、元々この街の者ではないのだろうな、ということだけ。もしくは、時代が違いすぎるのか。
椅子の上で足を畳んで、机に置かれた紙を眺めた。
手書きの字。丁寧に並んだ文字を読むことは可能だった。しかし知らない言葉ばかりで、理解は出来なかった。
少し経てば足音とノックの音が4つ。
「起きてるか?」
「起きてる!」
がちゃりと開いた先で、彼女はラフな姿で立っていた。一瞬部屋を見回して、椅子に座るそれに驚く。
「なに?読んでたのか?」
「でもわかんない。どういう意味?」
「椅子に足を置くな」
傍らに来た彼女に畳んだ足を叩かれて、大人しく足を降ろす。机に手を置いて紙を共に眺める。
「あー、これは多分、昔やってた仕事のやつだ」
「なんか、なんとかをしろって書いてあるよね」
「手引書だよ。指導員の手間を省いて、効率の良い仕事をするための書類」
「何それ...」
「これはボツ案。捨てていい」
読むな、と言わんばかりに紙を拾い上げる。その下の紙も似たような内容。しかし途中でインクの線が紙上で暴れていた。
「あ」
「見なくていい...」
彼女は照れながら、取り上げた紙を裏返して叩きつけた。
「今日は部屋掃除でもするか」
睨むように悪い事を思いついたように、彼女はのそりと目を合わせた。
「机、使えるようにしないとね」
企んだような笑みに、それはなんだか逃げ出したくなった。
***
「また掃除~~~!!」
「悪かったよ。そんな不貞腐れんなって」
数十冊の本を重ねて、廊下を歩く2人。階段を上って屋根裏の書斎へ置きに行く。部屋にある冊数が多いため、3往復はした。
「このあたりの書類はもういらないだろうから、そこのテープでまとめといて」
指さしたテープ。細い紙をロール状にまとめられているものだった。
「どうまとめればいい?」
「あっ、そうか。教えるね」
呆気としたまま、紙のまとめ方を教える。
「高さはどんくらいでもいいんだが、一冊分だとやりやすいな。このテープで、十字に括って、ノリでとめる。はい完成」
「捨てるのに、そんな丁寧にまとめるの?」
手際良く綺麗にまとまった書類を、なんだかもったいなく思えてしまう。
「あぁ、これは私のこだわりでもあるんだけど...やってみる?」
「…何を?」
連れて来られた時計塔の地下の炉で、それは紙をばら撒いた。
「うあっははは!」
紙はひらりひらりと舞い降りて、炉口に近づいた紙が宙で燃えていく。灰があたりに散らばり、火の粉がまた他の紙を焦がしてく。
「見た⁉見た⁉なんかすごい!」
「はいはい。これが発散なんだわぁ…」
しかしそう上手く全てが燃えるわけではない。彼女は煙草を大きく吸った。そして煙と共に嫌味を吐いた。
「その後にまたストレスになるんだわ…」
「先に言ってよ...」
炉の熱気を上手く躱した紙を拾い上げる。炉に近ければ近い程熱気で火傷してしまいそうな熱量に顔を顰めながら、拾い集めた。
「そこに投げ入れる時はまとめておいた方がいいんだよ。人間は火傷する」
短くなった煙草を炉へ放ると、それも同時に紙を投げ入れた。その伸ばした手の指先に、違和感を感じる。
「…多分。俺もやけどする」
「は?」
「…熱いし、ほら」
それが差し出した手。蝋のように微かに溶けて、肉のように焼けた色をしている。彼女はその手を掴んで驚いた。
「おまっ、なんで言わない!」
「えぇ!?今言ったじゃん!」
それの手は、人間の火傷に類似していた。しかし人間がこの程度の火傷をした場合、もっと痛みを伴うはずだった。
「痛くないのか?」
「痛いと言えば痛いかも。なんか熱いな~って思ったらこうだった」
気楽と言えば聞こえは良いかもしれない。己の身体の情報に疎いのは、生きている者としは精神にも異常をきたすものだと彼女は知っている。しかし、その情報を人間ではないこれに当てはめていいのかは知らない。
「……とりあえず、そうだな…帰って治療をしよう」
「は~い」
「この発散はあまりしないように」
「させたのアンタでしょ」
呆れながらも、共に時計塔を出た。
彼女はそれの腕を取り、微かに溶けた皮膚に触れる。歩きながら行われる行為に、それは気にしないように街を見る。
昨日のように賑わいつつある道。子供が駆けていくのを見つめる。女性たちが談笑している。それらを通り過ぎた頃、彼女は手を離した。
「その指、人間の皮膚というより、何かの動物の皮にも思える。人間よりは丈夫そうだ」
「熱には弱い?」
「ちょっと溶けただけだ。すぐ戻るぞ」
「あっ、ホントだ」
微かに溶けた皮膚は既に元の正常な指の形をしていた。色こそ焦げたように残っているが、擦れば落ちる。
「もしかして、俺すごい!?」
「どういう原理なのか分からないが、世の中には形状記憶という性質を持ったものがある。それかもな」
「なんかかっこいい」
「でも完璧じゃない。熱い物には気を付けて、自分を大事にな」
「は~い!」
対して重くとらえてもいないそれは街を見やる。昨日はあんなに慌てていたのに、今日は冷静にただ見つめている。
「なんだ、何かあるのか?」
「ううん。なんか、人が増えていくのが面白いなって」
「増えていくのが?」
「準備してるっていうのかな?わちゃわちゃし始めた感じが、面白い」
変な子だな、という言葉をぐっと堪え、立ち止まって一緒に眺めてみる。
徐々に増える人、それに挨拶をする人。笑って声を掛けては、言葉を交わし、作業を分担している。店頭に食材を並べだした頃には、並んだばかりの品を買いに訪れた者もいる。
金銭をやりとりして、品は減る。しかしすぐに裏から新しいものを並べだした。
それの繰り返し。
「…飽きたな」
真っ先に告げたのは先生だった。隣にいる緑髪はハッと気づいて眉をひそめた。
「ごめんなさい…」
「怒っては無いけど…その感性は大事にしていきな」
頭を撫でれば、反省した仔犬の揺れる尻尾が見える。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?