○○を譲渡した姿④

 3年の歳月でも、ミネは変わらずカフェに住み着いていて、珍しく、早朝の店内でミレーラに髪を梳かしてもらっていた。

「珍しいね、結んでほしいなんて」
「たまにはね。いいでしょ」

「そうだね」

 街は変わった。人々はそれぞれの信仰の傍ら、ミネに助言を求めるようになった。いつしか、ファルケという名が、信仰を助長した。

「ファルケって、もしかしてあの?」
「ファルケという、美しい女性の哲学者が居たはずだ」

 人々の記憶は、曖昧なまま語り継がれる。それは思想も人物も偉業だろうと、歪に歪むことがある。

「ミネの思想は偉大である」「ミネの思考は人を凌駕している」
「人ならざるミネの言葉は、人には理解し得ない」
「理解出来れば、人を超越できる」

 人々の偏った思考は、いつしか、“哲学者のファルケ”を捻じ曲げた。
 ミレーラの店に訪れたあの日。相談役となったあの日。ミネはこうなることを理解していた。そして同時に、目的を持ってしまった。

「先生がね、そうだったの。人の相談を受けるようになって、でも楽しくなさそうで」
「うん」
「ミレーラが辛そうにしてるの、嫌だったのかもしれない。苦しんでた先生みたいで」
「うん…」

「ただ、先生で居たかっただけなのに…」

 かつての師のように、人々に寄り添いたかった。
かつての師のように、誰かに慕われたかった。
その行いが、かつて存在していた“オルキス・ファルケ”を覆い隠してしまった。

――名乗ることを許すよ。

――お前は人間じゃないんだから、私に出来ない事が出来るだろ?

 師の呪いのような言葉を、祝福と勘違いした。

 存在を譲渡された時、それは人となり、師は人ではなくなった。
 語り継がれる“オルキス・ファルケ”は人ではない存在として語り継がれるだろう。彼女はもうどこにもいない。

――人間が嫌い。

 歪な解釈。偏った思考。それらで歴史を、事実をねじ曲げ語り続ける人間が嫌い。

 同時に、その結果を招いた己の行動に嫌悪した。

――俺も、自分が嫌い。

「はい。可愛いく出来たわよ」
「ありがとう。ミレーラ」

 優しい彼女に、感謝をしてもしきれない。
 それでも会うのはこれで最後にと決めていた。

 廊下の姿見に写る姿。
 先生とよく似た姿。微笑んでも、睨んでも、先生にそっくり。写真も持っていない今、記憶だけが頼り。

 記憶の中では、こんな姿の先生が、短髪のミネの姿を眺めて微笑む。

――そう、こんな笑顔。

――俺が本を読んでるときは、きっとこう。

 ゆっくりと言葉を紡ぐ音にしっかり耳を傾けて、じっくり染み渡らせるように飲み込む彼女はこんな姿だった。

 けど、こんなことはあってはならない。
 ありえなかった、未来であると、理解している。

***

 ミレーラに別れを告げた。街を出る汽車に乗り込んだ彼女を見送って、街を歩いた。
 人々に手を振って、カフェに戻って、ひっそりと椅子を燃やした。机を床に叩きつけて、火の手が上がるように木材をくべていく。燃えにくければ紙をくべた。

 ミネはそっとカフェを後にし、街をまた練り歩く。この街も、熱に弱い。どの都市も、熱への対処を知らなかった。

 カフェが燃えて、周りが燃えて、街が燃えるだろう。
 そして人々が燃え、歴史が燃えるだろう。

 消してしまえばいい。よくない思想を持つ人類は。

 燃えてしまえばいい。嘘を信じる住民は。

 なかったことにすればいい。在り得なかった未来の姿は。

――これは、“オルキス・ファルケ”が、己の存在を

――譲渡した未来の姿だ。

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