○○を譲渡した姿③
少女はオルゴールを母に届け、母は笑って泣いて、少女を抱きしめたらしい。
ミレーラからの報せで、ミネはその最後を知った。
「今度お礼に来るそうよ」
「いらないって…」
「お礼くらいは受け取りなさいよ。良い事をしたんだから」
彼女の言葉で仕方なく承諾したが、後日、訪れた女性は、それはもう豪華に着飾った姿で、そこらの平民とは思えぬ風貌だった。
「うちの娘が、とてもお世話になったそうで」
「ありがとう。ミネさん」
「い、いえいえ。結局あれも譲り受けたんだし…」
「そういうことじゃありませんわ」
後で聞いたが、彼女は名門貴族に嫁いだ、巷で有名な人らしい。ミレーラは彼女と同じ塾に通っていたらしく、お忍びで店に訪れるようだ。
そんなことを微塵も知らないミネは、ただ昔に教わった礼節を必死に思い出していた。
――「いいんじゃね?」って言ってた先生のバカ!
親子が帰ってから、ミネは機能停止したようにふて寝した。
***
ミネの噂は正しく人々に伝わった。夫人から貴族間でも話題になり、感情の解析機関とは呼ばれなくなった。人々は、等しく“AIミネ”と呼んだ。
意味を理解する者は多くは無い。ただ、ミレーラがそうバネッサに説明したのだ。
ミネの相談所には正しく悩みを持った者が訪れるようになった。
「学問を学ぶメリットとは」「学ぶとは何か」「善意とは何なのか」「何故人は生きねばならないのか」「死ぬとは何なのか」
そんな、終わりのない問の解を求める者が増え、ミネと討論することをした人々は対話の楽しさを知った。
いつしか、街の人々は討論会を自ら開くようになった。誰かが募ったら始まっていた集会は、毎月、毎週のペースで開かれた。そしてその内、代表で誰かがミネのところへ訪れ、対話をする。
そんな流れに、ミネは微かに憤りと呆れを感じていた。
「…ミレーラ、来週の相談室は開けない」
「あら、どうして?お客さんも途切れなくなったのに」
「だからだよ。ちょっと、良くない流れになってると思う。しばらく相談室は開きたくない」
深刻な顔のミネに察したのか、ミレーラは笑って承諾した。
ミレーラが想像していたより、事態は大きな流れとなっていた。
「今日はもうお休みですよ。ミネ疲れちゃったみたいで」
それらは、ミネの居ない時間にやっていた。逆を言えば、ミネはそれらの客が来る時に限って、広間から離れた。
「あれ?ミネどこ行った?相談室の客来たのに」
お手伝いのアダンも薄々気が付き出した。
店仕舞いには顔を出すミネに、アダンが居残って話を聞いた。
「ミネ、相談室の客避けてるだろ」
「うん」
「なぁんで。せっかくの常連なのに」
「バカダンめ」
「なんだと」
机を拭くミネを睨んでみれば、ミネは真剣に睨み返した。
「お悩み相談所に常連が居てたまるか。悩みが尽きない。気軽に相談できる。それは百歩譲るけど、あいつらが語ろうとしてるのは哲学だ!」
珍しく声を荒げるミネに、アダンは言葉を失う。
「そ、そのてつがくって、相談と何が違うんだよ」
「哲学とは、本来人と人との対話だ。正解なんてない。でも、あいつらは俺に正解を求めに来るんだよ」
「それの何がいけないんだよ」
ホウキに顎を乗せてアダンは呆れた。
「俺が人じゃない話はしたろ!」
「でも、客全員が知ってるわけじゃないし、まさか、広めるなとか言っといて自分で広めたのか?」
「んなわけないだろバカダン!」
その言い合いを見ていたミレーラは理解した。
「もしかして、他所で話し合った内容を、ミネで答え合わせしようとしてるの?」
人と人との対話で成り立つ哲学思想には正解はない。しかし、全ての思想を限界まで明解にしようという行いが哲学だ。それが、相手が誰であろうと、正解を求めようとしているのであれば、正解を尋ねる相手は、“対等”ではない。
「偶像崇拝に近い。このままじゃ良くない」
対話し、思想を明解化しようという意思は、人間には元来備わっている。それを娯楽とし習慣とする者は限りなく少ない。その歓びを、この街の人々は知ってしまった。
大々的に行いすぎたのだ。
***
相談所が再開して、習慣化した討論会。それらを受け入れるようになったミネは、街に姿を晒し、人でないことを全面に打ち明けた。定期的に討論会にも参加し、その思想を人々に共有し、理解を深めた。
そんな日々を過ごして、3年が経とうしていた。
変わらずミレーラはカフェを営み、お手伝いのアダンは大学を卒業して街を出た。人々は密かにミネの存在を国内に留め、助言者となった。
カフェの手伝いはしなくなった。相談者は裏口から来るようになった。たったの数年。ミネにとってはほんの僅かな期間。本当に、変わってしまった。
カフェから書庫に行く廊下には、写真や絵画が多く飾られている。そこにある姿見で、己の姿を見つめる度に思う。
ーー本当に、先生に似てきたな…
かつての師は、科学者であった。哲学者でもあった。どんなことだって言葉を紡いでくれた。
先生は、人の悩みを聞くのが苦手だった。どうにもならない悩みに、共に向き合うことに疲れてばかりだった。辛い相談がある度に、1人で泣いていたのを知っている。先生は、ぶっきらぼうな態度だったが、人一倍感受性が豊かだった。
長い髪をハーフアップでまとめ出したのは、髪が伸び出した頃。
先生に全てを貰ってから、奇妙なことが度々起こった。
髪や爪は人間のように伸びた。長かった襟足が更に伸びて、揃えるように切れば、そのまま、また伸びていった。
肌はだんだんとひび割れるのに、怪我をすれば自然と治って行った。
まるで人間のような成長に、最初は喜んだが、段々と、恐ろしさの方が勝っていった。しかし、己の変化に驚き恐怖したところで、変化が留まる訳でもないため、諦めた。
その内、開き直って伸びた髪を括ってみた。先生のように結べば、鏡の先に彼女が笑っている気がした。
だから言葉も真似てみた。
口が悪い。たまにおかしな訛り方をする。そうすれば、彼女に慣れる気がした。
出来が上がったのは、どうやったって偽物だった。
――先生の髪は綺麗なチョコレートのような色だった。
――先生の瞳は美しいシアンだった。
――先生はもっと胸が大きくて
――先生には学も知識も経験も、たくさんあって
――先生はもっと、涙を流す人だったのに
どうやったって
俺には涙が流せなくって
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