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「一橋大学教育学部」生の自己紹介

初めに断っておきますが、わが一橋大学に教育学部は存在しません(笑)。教員免許を取得する学生は体感で全体の1%程度です。

初めまして!Φです。
"おめでたいことに"素敵な大学に入学でき、そこで自分なりに考え学んできたのだから、記憶の新しいうちに記録に残しておきたいという思いでこのnoteのアカウントを作成し、現在自己紹介記事を書いております。

「教育」。大学で考え学んでいくなかで特にこの言葉の私なりの解釈は大きく変動してきました。「教化」ではなく「教育」であるとか、助成的な介入のことであるとか、講義の中では教育の定義が説明されるわけですが、一定興味深さはあるものの、どこか現実離れした議論に聞こえてしまうことも多々あります。大学生として実際の教育現場に足を運ぶとそのことは如実に意識されます。読んで字のごとく「教え育てる」のだと解釈もできるかもしれませんが、これもまた実践的な定義ではないし、教育という営みが具体的に表れてこない。

「教育」という営みは2つに分かれていて、①被教育者(専ら児童生徒を想定しています。)との人間的な関係性を構築すること、②非教育者を先導すること、という2つです。特に②は納得していただけないケースもあるかと思いますが、説明すれば理解はしていただけるかと思います。詳しくは別の記事でお話しします。


ボランティアサークルに入っていて、学校で出張授業のようなことをした経験があり、教育系のアルバイトを数多く経験してきているので、いろいろな教育現場を見た立場としてお話ができるかなと思います。教育実習の経験談なんかもぜひお伝えしたいなと。乞うご期待。

大学受験では浪人期に素敵な先生に出会うことができ、苦手だった世界史を専門にできるくらいになりました。一橋大学の前期入試では世界史の論述問題が出題されます。高校生にはなかなか手強いものですが、論述の答案作成について理解すればそれほど怖くありません。
その素敵な先生の教えとしてものすごく大切にしていること、そしてそれは当たり前すぎてなかなか意識しづらいものですが、「設問をよく読む」ということです。出題者の要求を理解して答案を作成しなければ、そりゃ点数はとれないですよね。特に知識を多く要する歴史科目の論述では知っている用語をできるだけたくさん詰め込もうと考えてしまいますが、そこには「試験は対話(コミュニケーション)である」という視点が抜け落ちています。世界史という科目でこそ「設問をよく読む」ことの重要性は高いのです。

これから少しずつ情報発信をしていけたらと考えております。興味を持っていただけましたら幸いです。

それでは。


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