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島という世界

私は島暮らしをする前、地方の田舎に住んでいました。
一時的に大都市に住んでみたこともあるのですが、環境に馴染めず、精神的に弱り果てたことがあり、すぐに地元に戻ってきました。

それ以来、地元を離れたことはありませんでした。

小さな外国、離島

”島に行こう”と思ったのは、単なる思い付きでした。

どこか遠くに行きたくなったわけですが、
その選択肢の中に海外は入りませんでした。

それは

”英語が全く話せない”
”海外は怖い”
”何かあったらどうしよう”

という先入観が強くて海外にいく勇気が出ませんでした。

そして

『大都市だけは、二度と行きたくない!』

と思っていたので、日本の大都市は外しました。

『じゃ、何で離島なの?』

と思われるでしょうが、そのきっかけは、
たまたま書店でみつけた雑誌の後半に

”離島看護師募集!

と書かれていた内容に気がそそられたからです。( ´∀` )

しかし、せっかく島に来たものの、言葉はわからないし、移住者は多いし、環境や雰囲気も、今まで味わったことがないような場所だったので、

『ここは日本か?』

そんな気持ちにさせられるような出来事がたくさんありました。

英語でも診察

住民の中には、島の人と結婚した外国の方もいました。

持病があるため病院に受診にきたのですが、会話はすべて英語、
(ヨロンに何十年も住んでいるそうですが、日本語はできないと言ってました。)

なんと!診察する医者も英語!

『すごい!(; ・`д・´)』

もう、それしか言えませんでした。

このほかにも、応援にくる沖縄出身のお医者さんのほとんどが、流暢な英語で診察をしていました。

病院設備は本土と変わらない

島にある唯一の病院、見た目は4階建て

これだけの規模の病院があることはすごい事なのですが、
各県から応援医師が来ることで診察科目も充実していました。
(私がいたころは外科手術もしていました。)

内視鏡やCT・MRI検査もできますし、島の人たちが安心して生活できる
設備はすべて整っています。

輸血するのが大変なことに!

これは10年以上前の話ですが・・

ある患者さんが大量に吐血して救急搬送されてきました。
吐血した量から見ても、緊急輸血が必要です。
本来なら血液センターに血液を手配することになるのですが、

その時はたまたま、自然災害のために輸血が届けられない状態でした。

そのため、島にいる住民の人たちに協力を要請しました。

役場から放送が入ります。

『緊急輸血のため、血液型がA型の人は病院に集まってください!!』

そして集まった人数は

『4人』

血液型がRH(+)A型の人は、私を含めて 

『たった4人!』

『 うそでしょ!(;゚Д゚) 』

『まじかー』

そう思っても、そんなこと言っていられません。
本来、献血専用のバッグなんて、病院に常備されていないものなのですが、
この病院は置いてあったのです!。

ということで、1人600㎖~800㎖の献血を開始。

その時に聞いた話によると、島の住民のほとんどは
B型かO型RH(+)で1人だけRH(-)AB型がいるそうです。

『なぜ血液型が偏っているのか?』

『外国人の血が交っているから?』

ということではなくて、のちのちに聞いた話によりますと、
島の歴史上どうしても、昔は外部の人たちとの接触が少なく、
近親者どうしの結婚になりがちだったそうです。

あったかい国の人たちってB型やO型が多いって言いますし
(琉球王国時代に、外国人との交流があったかもしれませんし・・)

そういういきさつから考えるとすると、
血液型が偏りがちになるということも、なんとなくわかりますよね。

※今では民法で、直系の結婚はできなくなっています。
島にいても島外の人たちとの交流も盛んなので、こういったことはありません。

余談はさておき、
結局2日間にわたり、島にいる人間だけで献血しながら、
輸血していたのですが、それでも血液が足りなかったため、沖縄の自衛隊に輸血の輸送を要請しました。

ですが、ここは鹿児島県の離島・・なんだか色々問題があったみたいです。

痺れを切らした病院側は、もう猶予がないと判断、
病院の法人が持つセスナ機(ヘリだったかも?)で血液の輸送をお願いしました。おかげで一時的ではありましたが、患者さんは一命をとりとめることができました。


※まとめ※
病院で勤務していても
『まさか!』『うそでしょ!』という感嘆符が付くような出来事や、
地元にいたら絶対出会わない出来事や、信じられないことに遭遇しました。

今、思い出しても貴重な体験です。

医療現場にいると緊急事態はつきものですが、
島にいると、どうしても医療資源が限られてしまうことがあります、
そんな時は、
『できる場所で、できることを』
『考えられる、ありとあらゆる手段を使って対処する。』
そういう精神ができあがってきます。
(災害時などに培われる判断に近いものがあります。)
そういった意味でも、この島で仕事ができたことは自分が大きく成長できるきっかけになったと思います。





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