家族と法

1. はじめに

 近年、家族の「家族の個人化」に代表されるように、家族の結びつきは昔よりも弱くなったと言われる。対して、高齢社会や貧困などの現代社会における問題に目をやれば、家族に代表されるような共同体の、その相互扶助的な性質はより求められるようになっていると思われる。そこで、家族のあり方を捉え直し、再検討する必要が出てくる。無論、法的な分野からの検討もあり得る。

 本稿では、我が国の家族制度の大きな転換点であろう、昭和22年の民法・戸籍法改正に焦点を当てる。我が国の家族制度は、大まかに言えば、この改正により所謂「家制度」から脱却している。当然、法律が変わったからと言ってそれまでの民間の慣習がすぐに変わるものではない。しかし、法律が家制度を前提としなくなったという事実は、それまでの家庭の形を否定したとも捉えられかねず、その後の社会が想定する家族像を変化させたとも考えられる。したがって、それまでとそれからの法律が想定する家族像を考察し、またそこから、法改正が社会に与えたであろう影響を読み解くことが、現代の家族のあり方を捉える上での一つの重要な要素であることは言うまでもない。

2. 日本国憲法と家制度の廃止

 当の法改正は、戸主による嫌がらせ目的などの権限乱用という問題と合わせて、日本国憲法の成立によるものとされる。それまでの民法が定める家制度が廃止されたことを受け、戸籍法も全面改正された。ここで問題とされたのが憲法第24条である。

 憲法第24条は、①婚姻は両性の合意にのみ基づいて成立すること、②夫婦は同等の権利を有すること、③法律は両性の本質的平等に立脚して制定されることを定めている。ここで当時の民法が規定した家制度を見れば、「戸主」と「家督相続」に特徴づけるられる。「戸主」(主に長男)は一家を統率し、その他の家族が属する「家」において大きな権利と義務−「戸主権」を有していた。また、戸主が死亡した場合、基本的にはその長男が「家督」を相続する(家の財産の全てを相続する)。これらを見るに、①との関係においては、戸主権の内、家族の婚姻に対する同意権が、②③との関係においては、家督相続に関する男女の差(隠居(生前に相続人を決めて家督相続すること)するには年齢その他の要件を満たしている必要があるが、女戸主の場合は年齢要件を満たす必要がないことや、男性の戸主が婚姻して他家に入るには、女戸主の家に婚姻で入る場合と婿養子縁組(婚姻と妻の親との養子縁組を同時に行うこと)や、に限られたが、女戸主が婚姻するためであれば裁判所の許可を得て隠居・廃家ができること。また、反対意思表示が無い限り入夫が戸主となること。ただし大正3年以降の戸籍法では、入夫婚姻の届書に入夫が戸主となる旨を記載しなければ、女戸主が継続する。)や、妻による特定の法律行為に関して戸主の同意を必要とする、妻の無能力規定が問題視されたと考えられる。かくして法律上の家制度は基本的には廃止された。日本国憲法の理念に基づいて改正された経緯から、現行の家族制度ないし、国家の想定する家族観は個人主義と男女平等を基礎としたものであると考えるべきだろう。

3. 家制度が想定する家族像

 では、改正前民法が規定する家制度はいかなる家族像を想定しているのか。そもそも家制度は武家の家族制度をもとにしたものであるが、ここには「家業」の考え方が強く関係していると考えられる。明治維新以前の「家」はある種の法人のようなものであり、「家業」「家産」「家名」が一体をなしていたと言われる。そこでは、家族は社員のように家に属しており、戸主には経営者のように家業を行い、継承するための大きな責任があったと言える。だが、明治維新に伴い職業選択の自由が成立すると、このような家の形の必要性は「家業の継承」という意味では失われた。しかし依然としてそのような家族制度は根付いており、当時民法の起草委員であった富井政章と梅謙次郎の発言を見るに、法律をもってこれを強引になくすことは憚られたため、所有権と平仄を整え、戸主権の主体を家ではなく戸主個人としたうえで家産を否定し、戸主の権限を従前よりも大幅に縮小した過渡的な暫定規定として成立したのが明治家族法と言われる。以上からは、次のようなことが言える。まず、民法起草の段階では、近代国家においては家制度の持続は難しいと考えられており、個人主義的な家族像を想定しようとする努力が見られる。この点は権利義務の主体を明確にせんとする戸主の規定から漸進的ながら読み取ることができよう。しかし一方で、慣習に合わせた部分が大きいことを見逃してはならない。民間においては依然、旧来の家族制度が根付いていたのであり、それに合わせる形で民法が起草された以上、「家業」「家産」「家名」が一体をなす、法人のようなの集団が依然として想定されていたと考えるべきだろう。したがって「家」的な概念が表れた規定を読み解くことが家制度の想定する家族像を明らかにするため重要であると言える。

 もう少し詳しく見ると、民法に規定される家督相続に想定される家族観の片鱗を認めることができる。家督相続は単に個人の財産を個人に相続するのではなく、戸主の地位と財産権を相続する。これは親の財産の移譲というよりはむしろ、家族が属する法人のような「家」そのものを相続するという意味合いが正確であろう。さらに戸籍法を見れば、当時の戸籍は「家」が一つの単位であり、その所属員として、戸主及び家族が記載される。家が単位であるから、非常に多くの人物が記載されているのが特徴だろう。これらから言えることは、家制度においては、「家」すなわち戸主を中心とした血縁集団を単位とする傾向が強く、財産管理も住民管理も家単位で行われていたということだ。そこでは「個人」という単位は存在せず、むしろ個人が「家」という大きな集団に所属していることが前提となっている。したがって、戦前の家制度が想定した家族像は当時の人間観、すなわち「家に所属する存在」というのが強く意識・反映されていたことが分かる。前述の「家業」と合わせて考えるに、家制度においては、家族(家)を人間にとって当然に存在する生活・生産の場として位置づけていると言えよう。その不可欠性が現在よりも強く意識されたことは言うまでもない。また、家制度においてはその組織性、一体感を強く意識させるのは前述の「家」を単位とする戸籍や、家督相続の概念から表れる通りである。そこには親族間での結束に対し、慣習からの、現代より強い要請が働いていたと見られる。

4. 家制度のからの変化・現代の家族像

 まず改正民法の特徴として挙げねばならないのは、2.で述べたように日本国憲法の理念に沿っており、したがって想定される家族像は個人主義と男女の平等に応じたものであると言う点だ。それは相続や行為能力、戸籍の規定にもれている。

 男女平等の理念が表れた部分について、まず相続規定を見ていきたい。改正民法の相続規定は、例えば夫が死亡し、その相続人が妻と複数人の子だった場合、妻がその遺産の二分の一、子が残りを平等に相続することとなっている。改正前民法における新戸主(主に長男)への家督の相続が、性別を問題としない財産の分割相続(基本的には配偶者への配分が多い)へと変わったことが分かる。続いて、大きな変化として女性の行為能力について挙げる。改正前民法において基本的には、夫がいる場合妻は行為能力を持たず、その法律行為には夫の許可を要した。これは一家の整理のため戸主は一人でなければならず、主として親権は子に、夫権は妻に対し行われるものであるためと言われる。いづれにせよ、入籍を以て妻の行為能力を失わせる規定は男女の本質的平等には反するだろうから、このような規定は現行民法では廃止されているのである。

 次に、個人主義の理念について見ていく。相続について、前述の通り基本的には妻と子での分割相続へと変わった。ここでは、「家産」すなわち「家」の財産という考え方はさらに薄れ、あくまでも「個人」の財産という見方に変わったと言える。すなわち、所有権をより強く個人に帰させたということだと言えよう。この手の変化は戸籍法にも見ることができる。改正前戸籍法では3.で述べたように、一つの「家」を単位とし、戸主を中心として法律上その家に所属するあらゆる親族が記載された。この場合記載される親族が3代以上に渡ることも往々にして考えられる。これが改正により、一つの戸籍に入るのは夫婦とその子に限られた。それまで個人の身分公証は当然に「家」に属するものであったが、改正により夫婦+子という、完全ではないもののより「個人」単位の身分公証が意識されるようになったと見ることができる。

 さて、一度日本国憲法の考え方から離れて民法・戸籍法を見たとき、やはり特筆すべき変化は家族関係の中心をどう捉えるかという点である。家制度の下では戸主とそこに付き従う子という形をとっている。ここでは妻は、文字通り「入籍」するもとであって、「外部」から「家」に迎え入れられる側である。また相続は基本的に戸主からその長男に対して行われる。ここから、家制度においては親と子の関係を中心として広がっていく諸々の関係を家族として捉えていることが分かる。これは戸主の孫や甥が記載されることからも読み取れる。対して、現行民法・戸籍法においては、婚姻を以て戸籍が作られる。そして当の戸籍には夫婦とその子しか記載されない。また、相続の面で見ても、基本的には配偶者の相続割合が最も多くなるように設定されていることが分かる。ここから、現行法においては夫と妻の関係を中心として、所謂「核家族」のような形態を家族として捉えていると考えられる。特に相続について見るならば、家族を形成する上で、親と子の関係よりも妻と夫の関係のほうが強く意識され優先されているとも言えよう。

 しかしながら、家制度の価値観が一掃されたかと言えばそうではない。現行制度に残る家制度の面影を挙げるならば、一つは戸籍である。個人主義を貫徹するならば国民管理は全くの個人単位で行われるのだから、家族をまとめて記録する戸籍は必要がないはずである。実際、諸外国において我が国のような家族をひとまとめに記録する形態は珍しい。もう一つが扶養義務である。民法は直系血族と兄弟姉妹について、互いを扶養する義務を定めている。これらから、家族関係を公証しようとすること、互いに助け合うという一つの組織的集団としての傾向、(戸主に限るものではなくなったが)家族を扶養する義務を負わせることなど、家制度のモデルが一部引き継がれていると見ることができる。事実、改正民法に当時の慣習・道徳としての家制度を積極的に破壊する目的があったわけではなく、法律上の家制度を廃止することで道徳・人情・経済に委ねようというものであったと言う。

5. 改正の功罪とこれから

 前述の通り、当の民法改正は社会的慣習・道徳上の家制度を積極的に否定しようという旨のものではない。しかし、戦後、法律上の家制度が解体された以上、道徳上のそれも解体されるべきという主張は根強く行われている。通常、社会の変化に合わせて法制度は変わっていくものであると思われるが、対して、法制度の変化が社会を変化させることについて、筆者は当の主張によく現れていると考える。すなわち民法とそれに関わる法律の改正が上記の如く主張に正統性を与えているのではないかということだ。仮にそうだとすれば、当の改正は次のような影響を与えたと考えられる。一つは家制度が「悪いものである」という主張を一般的にしたことだ。それに関係して、もう一つは冒頭で述べた「家族の個人化」を間接的に招いていることである。

そもそもの家制度の果たしていた効果をまとめると、①男女の不平等化・性的役割分業、②家族の組織化に伴う連帯や統率の強化の2種類があると言える。特に②について言えば、その組織的性格により、所謂「親孝行」や「甲斐性」といった家族の構成員に相互扶助的な義務をもたせる考え方が、家制度の価値観と結びついていることは見逃せない。つまり家制度は「男女不平等」という問題点と「家族内における共助の促進」という利点の二面性を具えいるのである。通常「家制度が悪いものである」と言う場合①の面からの批判が一般的だろう。しかしこの批判は②の利点を見落としている。したがって、家制度を全否定するかの如く主張が強くなれば、②に伴う家族の連帯、相互扶助のような価値観も否定されかねない。これにより現状、所謂「家族の個人化」に拍車がかかっているのではないだろうか。端的に言うなら、家制度の廃止は個人の自由と男女平等を推進した一方で、家族・一族の結束や共助を後退させたと考えられる。

 現在様々な社会問題、特に少子高齢化に伴う問題が取り沙汰され、しかしながら国家のリソースにも限界がある今こそ、家族の相互扶助的な性格が必要とされているのではないか。そう考えれば単に家制度を批判するだけではあってはならない。男女の不平等などは言語道断であるが、対して親や子、親類の結束を強める規定は再検討する必要があると考える。現行法は個人の尊重という価値に立脚しているが、個人の自由のために家族が分断されることは防がねばならないだろう。逆説的であるが、家族の結束を守ることが相互扶助の場所を確保し、個人を守ることにつながるからだ。特に子供について言えば、人格形成に家庭が重要なのは言うまでもないが、4.で述べたように現行の夫婦を家族の起点、中心として捉えて捉える現行制度で十分に家族としての機能を果たせているのかは議論の余地がある。高齢者についても、「親孝行」の理念はその保護に役立つ可能性がある。初めから家制度を「封建的」と切り捨てるのではなく、あらゆる制度の形態を参考にしながら我が国の家族にとってより良い制度設計を模索して行かねばならない。

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