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渇愛(かつあい)は自分を苦しめるもの

愛は、一般に他者への愛情など
好ましいものとしてとらえられています。

しかし、仏教では愛を自己中心的に
相手やものを求める心だと考えられます。

それは、喉の渇いた者が
水を求めるような強く際限のない欲求であることから
渇愛ともいいます。

渇愛は、
快楽や生存への執着であったり、
逆に生きる苦しみからの逃避であったりします。

この執着や逃避によって人々は苦しむのです。


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