「言語沼」

「言語沼」
水野太貴・堀元見

サブタイトルにもあるように、言語学オタクが全くの門外漢である友人にその面白さを語っている対話篇です。脱線しまくりのラジオトークのように洒脱で笑いながら、言語の(特に日本語の)奥深さに触れられます。

我々は普段、全く意識することなく母国語を操ります。が、その無意識の中で恐ろしいほど複雑な処理を完璧にこなし続けていて、しかもそのルールから少しでも外れた文章は、理由は分からないままでその正誤を判断できるのです。
“言語は、結論だけ分かるのに過程がわからない身近な証明問題の宝庫である。”

この本で僕がハッとさせられたのは、
「日本語はアニマシー(生物性)を感じる言語である」
というところ。
つまり、“事実はどうであれ、自分が生きていると思えるかどうか”を意識する言語ということ。
例えば、いるとあるの生物性の区別は、あまりに当たり前で気づきにくいものですが、実は他言語では珍しいものなのだそうです。
「ホームに電車がある」
「監視カメラがいる」
に違和感を感じるのは、日本語では無意識に対象の“生きてる感:アニマシー”の度合いを感じて言葉を作っているからなのです。
これは日本語において他言語より顕著なのだそうです。

今まで、フランス語とかドイツ語とかで男性名詞女性名詞とか見るたびに「物を見るたびに毎回これが男性、これが女性とか分けているなんて信じられない!」と思っていましたが、相手からすると日本語こそ、「物を見るたびに毎回これが生物、これが非生物とか分けているなんて信じられない!」ってなってたわけですね。

世界の見え方が変わる本との出会いは良きことなりや。

ほかにもあのーとえーとの違い、あかさたなの並びの化学性、英語はオノマトペの代わりに動詞を増やした、、などなど、肩の力を抜いて世界の見え方がクリアにできちゃう一冊でした。

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