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指定難病を患った話8.【仕事はどうしてたの?】

前回までのお話で心の病と思い奮闘していた
ことをお話ししましたが、
今回はその頃の仕事をどうしていたか
お話しします。

私は東名阪に拠点がある会社に勤める
ごく普通のサラリーマンです。

そのうちの東京と名古屋の拠点を
この数年行き来しているのですが
病状に気付いて3ヶ月ちょっとで
東京から名古屋に転勤となり
引っ越しをしました。

なので病院は東京で4つ、
愛知で3つと
余計に多く通うことになり
中々苦労をしました。

結果的に引っ越し先の愛知県で
とことん身体の異常を検査してくれ、
病名をつけてくれた
医者に出会うことができたので、
ラッキーだったのかもしれません。

そんな私は人材ビジネスを手掛ける部署に
配属されているのですが
お仕事としては「人」と接するお仕事なので
出来るだけ直接「人」と対峙すること
がベターという個人的な思いもあり
2022年3月に異変に気付いてから
同年7月の約4ヶ月は病状を隠しながら
オフィスに出社していました。

症状が出始めた頃は
朝起きて電車に乗り、
会社の目の前にあるコンビニまでは快調で
コンビニでコーヒーを買っている間に
急激に両腕に力が入らなくなり、
仕事がはじまると段々落ち着いていく
という具合で日内変動がありました。

それがライフイベントの前後に重なって
メンタル疾患を疑う原因にもなっていました。

愛知に引っ越した22年6月頃は
症状も重くなっており
7月に入った頃からは
次第に電車で立っているのがつらくなり、
スーツの着替えも困難、
キーボードを打つことさえ
ままならなくなっていきました。

客先訪問で何度転んだことか。。。

こうした状況もあり
会社に事情を説明して
8月からは完全在宅を許していただき
移動せずとも仕事ができるようになりました。

ただ症状はますます悪化し、
ついには自分で椅子から立ち上がるのも
トイレからの立ち上がり、
お風呂や家事全般が困難になりました。

それでもギリギリまで諦めません。

着替えは前日のうちにそのまま
オンライン会議に参加できるよう
ポロシャツに着替えて就寝。
ベッドから起き上がったら
汚い話歯も磨かず、髭も剃らず、
そのまま仕事用のデスクに向かう。

腕を自力で持上げることができなかったので
キーボードやマウスは
腕が少し高い位置にあると
使いやすいのではと
高さのでるパームレストと
呼ばれるマットを購入。

マウスは通常の物ではなく、
トラックボールのついたもので
最小限の動きで操作できるものを選びました。

ついでにサイドモニターを買って、
仕事のモチベーションをあげる試みも。

椅子からの立ち上がりが困難だったので
高さのでるようにクッションを敷いて
両手を椅子につけばなんとか
立ち上がれるように。

そんなこんなで8月から10月の2ヶ月間は
仕事を休むことなく続けることができました。

そして幸いにも自分の会社は
フレックスがあったので通院しても
欠勤になる事がなく、
コロナ禍で在宅ワークも推奨されていたので
不幸中の幸いでした。

数年前のコロナ前に発症していたら
とっくに休業か職を失っていたはず。

ただ在宅ワークの悪いところは
会議が1分と間が空かず
つめられてしまうところ。

私も週5日間、ほとんど隙間がないくらい
会議が詰まっていました。

最初はそれでも続けられそうと思っていたのですが、トイレの便座から立ち上がれなくなったことには苦しめられました。

あいだ時間がほとんどないので
トイレでゆっくり立ち上がっている時間が
なかったのです。

なのであらかじめ
次の会議参加者に遅れる旨を伝えて、
トイレに行き、
便座から転げ落ちてハンケツ状態で
ベットまで地面を這いずり回り、
なんとかベットの上に乗り上げて
腹筋で座る体勢までもっていき、
立ち上がってまた仕事デスクにつく
という壮絶な毎日を過ごしていました。

今思えばよく心が折れなかったな…

そんな毎日も続かず、
22年10月18日にいよいよ
総合病院に行くことになり、
話が一気に進展することになりました。

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