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わたしがnoteを書く理由

noteの新しいアカウントをつくった。

3年前からたまに投稿していたnoteアカウントもあったが、自分のSNSで発信していたこともあり、わたしの友達、新しく会う人みんなが読める状態だったので、だんだんと書くのが恥ずかしかったり、億劫になってきてしまったから。

心機一転、新しいアカウントをつくり、今後はこちらで投稿してみようという思いに至った。

そこで改めて、「わたしがnoteを書く理由」について、忘備録として残しておこうと思う。


結論、わたしがnoteを書く理由は誰のためでもなく、わたし自身のためである。

・日々のモヤモヤや悩みを書き出してスッキリするため
・note書いているときに、瞑想状態になれるため
・そのときに感じている自分の気持ちや考えを残しておきたいため
・あとあと振り返った時に、過去に自分が乗り越えた悩みや、新しく取り入れた考え方などが将来の自分に役立つかもしれないため
・過去に経験したエピソードで、書きたいことがたくさんあるため
・自分自身を表現したいため
・自分自身を好きでいるため


わたしは、noteを書くのだ。

今は、はっきりとこう言える。ただ、最初からそうだった訳ではない。

「自分と大切な人に素直に生きられる人を増やしたい」という想いがあるので、当初は、誰かに向けて「自分と大切な人に素直になるには」的なことを中心に書こうと思っていた。

だが、新しいアカウントを作成して数日。一向に筆が進まない。自由に表現したくて開設したのに、いつのまにか、人から求められるネタ、良いところだけ書こうとしていたことに気がついた。全く自由ではない。自分で勝手に、自分自身を檻の中に閉じ込めてしまっていたようだ。

そんなとき、好きな作家さんのあるnoteを読んだ。

「書くこと」は、自分の感性をていねいに磨いていく行為、だと思う。へたくそでも、うまくなくても、誰かに向けた文章じゃなくても、たとえ自己満だったとしても、自分はこうやって世界を見ているんだ、ということに向き合うこと。

あかしゆか「「なぜ書くのか」についての備忘録」

人には、その時にしか味わうことのできない気持ちがある。あとになって思い返してみれば恥ずかしいようなことでも、その時の自分にとったら人生を変えてしまうのではないかと思うような、そんな気持ち。
そして、それらの「いつかは消えてしまう感性」を言葉にして記すことは、なんだかとても大切で、すごいことなんだなあと思う。

あかしゆか「人はいつかは子どもだった。」


この文章を読んで、心がふわっと軽くなった。そうだ。わたしずっと、その時に自分が感じたことや、考えていることを、ただ自由に書きたかったんだ。なんだか少し涙が出そうだった。

感受性も高い方だから日々いろんなことを感じるし、けっこう物事を深く考える。挫折を経験したり、暗闇にいた時もあって、どうにかして自分の人生を取り戻そうと葛藤していた時期もいる。きっと人と少し違ったキャリアを歩んできたし、今後やりたいことや夢もある。それらを全部自分の中だけに閉じ込めていると、とても息苦しく感じるときがある。だれかに話を聞いてもらったとしても、その場ではうまく言語化して喋れないときもあって。だから、一人こうやってPCに向かい合いながら、思考を整理してアウトプットできるnoteの時間は、わたしにとって至福の時間なのだ。自分を大事にできているなぁって思えるし、わたしこんなこと考えているんだ、と、少し自分が愛おしく感じられたりするから。

そして、自分が自由に好きなように書いた結果、誰かが共感してくれたり、誰かの背中を押すことがたまたまできたのだとしたら、それはやっぱり嬉しい。

結果としては同じかもしれないけれど、自分発信でnoteを書くのか、最初から他人ありきで書くのかによって、文章も違ってくると思うし、noteへの向き合い方も変わってくるだろう。わたしは、ずっとずっと、前者で在りたい。

自分発信で良いんだと肩の力が抜けたら、書きたいことがいっぱい頭の中に駆け巡る。何から書こう。でもとにかく、この静かに自分の中に生まれた熱い想いを書き綴らなきゃと思い、火曜日の午前中に、仕事の合間をぬってnoteを書いている。記念すべき、第1投稿目。あぁ、やっぱりnoteが好きだな。自分の気持ちを書いて表現すること、わたし好きなんだな。


自分が楽しいと思えるから。
その時間が、好きだから。



これが、わたしがnoteを書く理由。
いまのところ、これ以上のものは何もない。



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