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29才 → 30才

「10代は、若さによって外見の美しさを手に入れているけれど、
30代以降の美しさは、その人の生き方といった内側から滲み出てくるものによって左右されるのよ」

この言葉に、20代の全てを注ぎ込んだように思う。

これは、わたしが18才の頃に、知人の60才くらいのおばあちゃんに言われた言葉だ。根拠なんてなかったけれど、これは真実だと、雷が落ちたような感覚に当時なったことを今でも覚えている。いまは、若いからいい。でも、いつか終わりがくるんだ。そして、30代以降は、「内側の美しさ」が必要になってくるんだ、と。

この言葉を聞いた日から、
「絶対に、自分らしく生きて、内側から輝きをもつ美しい30才になりたい」
と、強く思ってきた。

そして、あれから12年。30才を迎えてみて、18才からここまでの自分を振り返ってみた。



「自分探し」に全てを注いだ、20代

20代はもう全て、冒頭のおばあちゃんの言葉を指針に生きてきた。30才になる頃には、絶対に、自分の軸を確立させ、自分に自信をもって内側から輝いている人になるぞ、と。

その目標に向けて、20代はいっぱい走り抜いてきた。途中で、たくさん転んで痛い目にあったし、なんで自分この環境選んじゃったんだよ、と思ったこともたくさんある。

特に20代前半は、「自分に全く合わないこと」をたくさん経験した。辛かった時期。20代中盤は、合わないことを経験したおかげで「自分はこれが好きなのかも、合うのかも」と、本当に本当に少しずつ、自分らしい選択ができ始めていたとき。でも、まだまだブレブレだったと思う。そして、20代後半は、もう開き直って「わたしはこう!!」と、自分軸を確立していったように思う。だから、20代後半から、自分の人生がひらけていった、そんな感覚だ。

わたしの遍歴を履歴書に書くと、この人何がしたいの?と一発ではわかってもらいないことが多い。でも、本当に自分の中では一つだけで、30才になったときに、「自分軸を確立していて、自信にみなぎって美しい人」になるという目標達成のためだけに、20代の全てを注ぎ込んできただけ。そのおかげで、どんどん、自分が本当にやりたいこと、自分が得意なことに近づいていっている。

自分軸を確立するまでに、いっぱい痛い目にあって、いっぱい寄り道したなぁと、今振り返ると思う。そして、自分の外見も変わってきたなぁと(笑)当時は洋服も髪型も、いまと全く違かったし。

「社会ってこんなものか、仕事ってこんな感じか。」と、どこかで妥協してもよかったかもしれない。だけれど、自分の性格上、どうしても諦めきれなかった。ちゃんと探し続ければ、歩き続ければ、18才に思い描いた30才になれるんじゃないかって、どこかではそう信じていた。

「自分探し」

20代を一言で言うと、まさにこれだろう。
体当たりで、自分探しをしていった時期。痛々しくて、どこか危なっかしくて、でもおばあちゃんの言葉だけは真実だと確信して、未来の自分へ少しの希望をもっている。この時期は、振り返るには苦い思い出だらけだけど、わたしにとって、本当に本当に大切な日々だったと、今なら確信できる。


18才に思い描いた、30才の自分へ

そして、30才をむかえた。

正直、あまり変わらないよね?と思っていたのだが、29才から30才になった頃、明確に自分の内側で変化があった。

まず、12年間追い求めてきた自分の理想像について。
30才になったとき「ずっと追い求めてきた理想の自分にはなれただろうか?」と、真っ先に自分へ質問をした。

答えは、YES。

もちろん、まだまだありのままの自分を認められなかったり、どこか抑圧してしまっている部分があったり、もっと仕事こうなればいいのにとかは思うが、でも、今の自分の生き方や働き方、スタンスについては、当時思い描いていた理想の自分に近づいてきている。好きで得意なことを仕事にして、自分の心に正直に生きられる瞬間が、日常の大部分を占めてきている。

あぁ、わたし達成できたかも。

と、ふと肩の力が抜けていったのがわかった。12年間ずっとずっと、追い求めていたこと。目標に掲げていたこと。

大企業を辞めてしまう自分はおかしいのだろうか
こんなに自分らしく生きることを追い求めている自分は、お子ちゃまなのだろうか
あの頃見たく夢中になって生きたいって思ってしまう自分は、中2病なのだろうか
"仕事だから"って割り切って、お金になる無難な仕事をするべきなのだろうか
どこかで、理想を諦めた方が良いのだろうか

そんなことがずっと頭の片隅にあったから、30才を迎えて、「やっぱりこの道で合っていた」と思えたとき、純粋に嬉しかった。自分は間違えていなかったんだと、心から思えた。

そして、逆に、実際に理想の自分になってみたら、感じたこともある。
それは、「あ、意外とこんなもんなんだ」ということだ。

良い意味でも悪い意味でも、理想の自分になれば、人生happyになるかと思ってた。でも、確かに好きな自分になるにつれて悩みは減っていったけど、全くないと言われたらそんなこともない。

理想の自分になってみて思ったのは、「やりたい仕事・好きな仕事をする」こと自体は、人生を楽しむツールの一つにしかすぎないということだ。

どんなに自分が輝ける仕事をしていたとしても、日々美味しいご飯を食べてあげなきゃ、睡眠をちゃんと取ってあげなきゃ、髪の毛のケアをしてあげなきゃ、私は心から満足できない。ハッピーとはいえない。

映画を見る時間も必要だし、こうやって朝、喫茶店に来て美味しいカフェオレを飲みながらnoteを書く時間も必要だ。もちろん、大好きな人たちとお酒を飲んで楽しむ時間も、家族との団欒の時間も。

要は、「自分の軸をしっかり持ち、自分に自信をもって内側から輝いている人」になりたいと思って12年間突っ走ってきたが、そもそもこうなりたいと思う理由は、「人生を楽しみたい」と思っているから、ということに気がついた。

「人生を楽しむ」が最終ゴールなら、もちろん"好きな自分でいること"
"自分らしく生きること"は必須。だけれど、それはあくまで目的を達成するための一つの手段でしかないのだ。

「理想の自分になるかどうかよりも、人生を楽しむことの方が大事」

30才になって、やっと気づくことができた。これに気づいてから、明らかに昔のような「理想の自分像を追い求める」ことが減った気がする。ある程度いまの自分に満足できているというのも理由の一つかもしれないが、昔に比べて固執することが少なくなった。

だって、人生を楽しむための手段やツールは、ほかにもたくさんあるのだから。


これからについて

このような経緯があり、今のわたしが掲げている目標は「人生を楽しむこと」

そこで、わたしの周りにいる「人生を楽しそうに生きてる人」たちのことを観察してみた。その人たちに共通して言えることは

・リラックスしている
・自分自身のことを愛している

ということ。二つ目の"自分を好きでいる"ことに関しては、わたしなりにたくさん研究して実践して、達成できつつあるが、一つ目に関しては皆無。目標に向かって、とにかく必死に走り抜いてきたこれまでの自分には、この「リラックスして人生を楽しむ」という視点が抜けていたように思う。どこかいつも身体に力が入っていた。

目標に向けて!!!!と頑張るときも大事なんだけれど、
肩の力を抜いて、リラックスして楽しむ時間も同じく大事。

「理想の自分」は、日々、どんどんアップデートされていく。きっとわたしのことだから、これまでと同じく、もっとこうなりたい!という想いの元、これからも走り抜いていくのだろう。でも、これからの30代は、時々立ち止まってみようと思う。

「理想の自分には近づいているけど、いま、人生楽しめてる?」と。

もっと、リラックスして。肩の力が入りすぎていたら、少し休憩しよう。寄り道したっていいじゃない。時には、理想や目標なんか全て捨てて、とにかく「楽しい」「リラックスできる」ことだけやってみてもいい。


だって全てのゴールは、「自分の人生を楽しむこと」なのだから。






これからの30代が、楽しみだ。





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