「人間の実存は、たんに基礎的存在論の『場』としてのみ彼(ハイデガー)の興味を引いたのです」(レヴィナス『倫理と無限』、ちくま学芸文庫、42頁)とあり、実際、ハイデガーは『存在と時間 上』(ちくま学芸文庫)の127、128頁で似たようなこと書いてる。あくまでも存在論の一環。

正気か?