リトアニア ワセジョ一人旅③🇱🇹シャウレイの十字架の丘に行ってきた
こんにちは♪
前々回からバルト三国のリトアニアを旅行中です
今回は首都ビルニュスからシャウレイの十字架の丘に行って、そのままラトビアのリガに移動しました。その時のことについて書いていこうと思います。
リトアニアの電車めちゃくちゃ安い
今回私はリトアニアの首都ビルニュスからシャウレイの十字架の丘まで電車で移動しました🚃
電車はLTGという以下のサイトから事前に購入しました。学生だったので学割で半額になり2時間半の移動でなんと4.9ユーロ。めちゃくちゃ安い
朝7:10にビルニュス中央駅発の電車に乗りました。1等車、2等車、3等車があり、私は3等車でした。3等車がどこなのかわからなかったので、チケットを見せて駅員さんに聞いたら優しく教えてくれました。
十字架の丘アスセス悪すぎる
ビルニュスから2時間半電車に乗ると十字架の丘の最寄駅であるシャウレイ駅に到着しました。
その駅から20分歩くと十字架の丘の最寄りのバス停まで行けるバスが出ているバスターミナルに着きます。チケットはバスの入り口で買う形式でした。現金支払いしかできないので要注意です。
そのバスに20分くらい乗ってDomantaiという駅で降ります。
Domantai駅から何もない道を2キロくらい歩くと十字架の丘につきました。長い道のりでしたがバスで隣に座った中国人集団と仲良くなり一緒に喋りながら言ったので楽しかったです。
リトアニアの占領の歴史の遺産十字架の丘
長い道のりを経て十字架の丘に辿り着きました。アクセスが良くないところがかえってありがたさを増しているのかもしれません。
到着すると目の前にはおびただしい数の十字架。
どうやってこの十字架の丘ができたのかを仲良くなった中国人が説明してくれました。
ロシアがリトアニアを占領していた時代1831年にロシアに対するリトアニアの蜂起が起こった。蜂起は失敗し、その犠牲者への追悼としてリトアニア人が十字架を立て始めたとされています。しかしロシアはその十字架を立てる行為をリトアニア人のロシアへの反抗とみなし、何度も立てられた十字架をなぎ倒しました。しかしリトアニア人は何度自分たちが立てた十字架がなぎ倒されようともまた新しい十字架を立てていきました。なぎ倒すと立てるが繰り返されてできたのがこの十字架の丘なのだそう。
世界遺産にも登録されていて、平和について考えさせられる場所でした。
リガに移動できない!?
十字架の丘を後にして、リガに向かうためシャウレイのバスターミナルに向かいました。インフォメーションセンターに行ってチケットを買いたいと英語で伝えましたが、英語が全く通じません。
Google翻訳を使ってチケットを買いたい旨を伝えるとバスの中で買えると言われたので、安心してリガ行きのバスを待つことにしました。
待っていると、バスが来ました🚌チケットを買いたいと運転手に言うと事前予約でチケットを持ってる人を先にバスに乗せるから少し待てと言われました。
その後、事前予約していた乗客を全員乗せ終わったバスの運転手が私たちのところに来ました。チケットを買いたがっていたのは私とロシア系の男性2人でした。私の方が先に列に並んでいましたが運転手はロシア系の男性2人にチケットを売り、終わった後私の方に来ました。そしてリトアニア語で何かを言いました。ロシア系の男性に意味を尋ねると、もう席が埋まってしまったのでバスには乗れないと言われました😳なんとかならないのかと聞くと、1人来ていない乗客がいるのでこの人がこのまま来なければバスに乗れると言われました。もしかしてリガに行けないかもと思いとても焦りましたが、結局乗客が1人来ず、無事にバスに乗ることができました。本当によかったです。
終わりに
前々回の記事から3回に分けてリトアニアについて書きました。物価も安く、食事も美味しく、建物も可愛くて、とてもいい国でリガ行きのバスに乗っている時はリトアニアから離れるのが寂しくなりました。今度行く時は誰かと旅行してリトアニアの良さを布教したいです。
ここまで読んでくださりありがとうございました🙇♀️次回はラトビアについて書こうと思います🇱🇻ではまた次回〜👋