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覚えるための努力

わたしは人より記憶力がよくない、と思っている。

うれしいこと、かなしいこと、腹が立つこと。
全て、すぐに忘れてしまう。
感情も決意も、放っておくとその日に置き去りになって、気づかないうちに視界の外で死んでいる。

だから、何もかも文字に残しておいて、一緒に生きたい。

6月に入ってから、農業に従事している複数の友人の「梅をとった」「梅を漬けた」「たけのこを煮た」といった話題が初夏のSNSのタイムラインを彩った。
緑あふれるなんともない田舎の風景や、採れたての野菜の写真を見て、ようやく、祖父母との暮らしを思い出せた。田舎で農業を営んでいる祖父母に会って、どこまでも延びるあの夕暮れの田んぼのあぜ道をまた歩きたい、とようやっと強く思い出せた。

これまでも会いたいとは思っていたのに、母と伯母の関係がこじれているせいで足が遠のいていた。
私の結婚式のために、田植えの時期をずらして飛行機に乗ってきてくれた祖父母は、6年前の記憶よりもずいぶん小さかった。

私の中の祖父母と同じく、祖父母の中の私の時も止まっている。
親から送られてきた写真の中で、祖父母の後ろに座る写真の中では、5歳のころの私が笑っていた。

文字や写真を残すことは、過ぎていく時間を切り取って、保管するための大事な過程だ。

そのために、文明の利器を活用しながら、飛んでいく毎日の記憶をたくさん捕まえておきたい。





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