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まじめ散らかす

この前、研究室の同期に「周り(私含む)がまじめすぎて、つらい」と言われました。冗談混じりではありましたが、「まじめ」という一見よい言葉を使えば、ほかの人に面と向かって「あなたが自分のつらさの原因です」と言ってもいいのでしょうか?
あなたにはあなたなりの苦しさがあるのかもしれないけど、私にもまじめに頑張りたい強い理由がある、と言えなかった話です。


私の毎日

大学院生になった今でも、私は会社員時代の生活習慣を守って暮らしています。毎日7時に起き、8時には家を出て大学に向かいます。12時きっかりにお昼ご飯を食べて、13時までにお昼寝と歯磨きを済ませて、19時ぐらいに大学を出ます。それから22時半に就寝するまでは自由時間。

手帳を使って毎週週間計画を立てて、朝は重たい考えごと、夕方には軽めの課題をします。なんて贅沢な時間の使い方だろう、と毎日感謝しています。

周りの学生の暮らし

私が所属している研究室は割とゆるいので、みんな来る時間はまちまちです。早めに来る子でも朝10時半ぐらい。お昼すぎにふらっと来る子もいます。先生がおおらかなので、みんなのびのび仲良くしています。

それに対して、殺伐としたオフィス上がりの私だけが、日々効率を追い求めているような気がします。多分冒頭の「まじめすぎる」もここから来てるんだろうなあ。

これまでのまじめ遍歴

思い返せば、高校生のときからまじめに生きていて浮いていました。

「今日のテスト、勉強していない」と笑う子を見ながら、そのことの何が面白いのか全く理解できなかったので、いつも一人で勉強していました。結果、学年テストでは複数の教科でいつも1位でした。そしてその代、私の高校から旧帝大に進学できたのは私だけでした。ところで、私は帰国子女だったのでみんなより1年遅れての高校生活スタートでした(すごくない?)。

会社にいたときもまじめに生きていたので、当然のように浮きました。宿泊研修中、毎日のように開かれる夜の飲み会には参加せず、次の日の講義に備えて早寝していました。講義中、面白いなと思いながら聞いている私の横で、同期の子は寝こけていました。3年後の研修でその子と話した時、自分の方がかなり難しい仕事を任せてもらっていることを知り、驚きました。

こうした出来事を通して、「まじめに頑張っている最中は孤独でつらくても、長いスパンで見ると絶対に何か良いことがある」という信念が自分の中にできました。

私は要領が悪いので、何かを成し遂げようと思うと人より時間がかかります。それでも、人よりもたっぷり時間をかけながら、置かれたありがたい環境に報いられるよう目標を達成してきました。

「まじめ」な人の生きづらさ

私がこうした「まじめ」な話をすると、「がんばっていて偉いね」と言われることがあります。その言葉に含まれる「私はしないけど」というニュアンスのかすかな嘲笑や諦めが、私は昔から大嫌いでした。そして、一人でコツコツ頑張る私に「ノリが悪い」と言う人の尻拭いをさせられるとき、心底不快に思っていました。

例えば、いつも飲み会ばかりしている上司の資料を直すのが大嫌いでした。「英語、勉強しなきゃ笑」と何年も口先だけで言い続ける人のために通訳するとき、もう二度と勉強したいなんて言うなと思っています。

みんなが遊んでいる間、私は教科書とにらめっこしてうんうん唸ってきたんです。可愛い服の代わりに、本を買ってきたんです。周りの頼りない大人から守ってあげられるほど自分が賢くなるまで、子どもを産まないと決めているんです。

そんな努力を「まじめでえらいね笑」で片付けられ、時には上手く利用されることに、そろそろ疲れたのかもしれません。

まじめ散らかす決意

こうした生きづらさを抱えた私が一番居心地よく感じた場所が大学でした。教授や研究スタッフの皆さんと話をして、知識や洞察力で打ちのめされるたび、「もっと努力してこんなかっこいい大人になるんだ」と前向きな気持ちで胸がいっぱいになります。わからないことでぐちゃぐちゃになった脳みそをひっくるめて、今までの自分を肯定されたような気持ちになるのです。

そのため、ようやっと息ができた場所で加害者扱いされて、とても寂しい気持ちになりました。

ただ、それは頑張ることをやめる理由には到底なりえません。積み重ねた努力が花開くまで、たいてい長い時間がかかるものです。たとえ明日テストの点数が10点上がらなくたって、毎日勉強するのです。華々しい結果を目の前に吊るされなくても、前を向いて歩き続けることの美しさを私は知っています。

ひとしきり吐き出したら落ち着きました。
明日からもまじめに頑張ります。

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