埴谷雄高、慕われる【要因論】

埴谷雄高、慕われる【要因論】

埴谷雄高は、多くの新人小説家を発掘し、見出したことで有名である。あの安部公房だけではなく、他にも居るが、例えば座談会なんかの時でも、場の空気が悪くなった時に、その空気を良いものに変化させる立場に居たとされている。忌日は、「アンドロメダ忌」と言われ、宇宙論的視座が、作品に合ったことからの命名だろうが、多くの人に慕われていた様である。端的に言って、埴谷雄高は優しいのである。それは、攻撃的ではない文体からも、強く伝わってくるし、主張、といういよりは、意見、と言った感じで、一歩引いて文章を書いていることに、好感が持てる。

そしてまた、自由自在に言葉を使用している姿からは、引き出しの多い豊富な言語世界が想像でき、日常の埴谷雄高は、さぞ、人と接する時に、気を遣う人だっただろうな、という感じを抱いている。こういったことから、慕われただろうと思うし、それは、以前述べたが、講談社文芸文庫から出ている、『素描 埴谷雄高を語る』に、記されている、多くの有名人からの慕いの言葉からも、理解出来るのだ。それは、素晴らしいことであり、埴谷雄高の作品に触れた自分も、何か文章を書きながら、窮屈な精神が解放されて行くのを、実体験したものである。

埴谷雄高、慕われる【要因論】としては、埴谷雄高が心優しい、ということが要因だと思うが、これは、ウィキペディアにもあるように、

台湾において「支配者としての日本人」を強く意識し、罪悪感を覚えていた。

ウィキペディア

という体験から、人に優しくする、ということの必要性を覚えたのではないかと、思うのである。そして、人に優しくすれば、また、人に慕われる、という好循環が生まれるだろう。つまり、原初にあったものは、こういった、ウィキペディアにあるような、内容だったと思われる。そう言った点で、埴谷雄高、慕われる【要因論】として、優しさ、というものが、力学として働いていたように思われる。これにて、埴谷雄高、慕われる【要因論】、を終えようと思う。

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